閑話
下弦の月と八尋
雨が降るかと思われていた天気はどうにか持ち直し、雲間から下弦の月が空を静かに照らす夜、蠟燭だけが灯る部屋に八尋はいた。
ここは相談所の居住スペースである三階の一室。天窓から星空を眺められるこの部屋を八尋は気に入っている。
天窓のちょうど真下に置かれた白いテーブルには、水が入れられた透明の広くて浅い器がある。テーブルの前の椅子に座る八尋は、ぼんやりとしていて昼間のような優し気な表情はない。感情が消え去ったような虚ろな瞳で、ただ静止している水を見つめる。
「どこにいるのだろう」
八尋は人差し指を水に浸けた。
「ここにいるはずなのに……。近くまで来たはずなのに……」
くるくると指を回して水を揺らす。
「いるんでしょ? ここに」
水から指を離すと、ピタリと水は動かなくなる。波紋も僅かな揺れさえもない。まるで八尋が指を入れたことが嘘だったかのように佇んでいる。
「どうして何も教えてくれないんだ? やっと近くまで来たのに。……やっともうすぐ会えるのに」
色のない声で呼びかけるが、誰もいない部屋だ。もちろん返事はない。
懐から取り出した和紙をそっと水に乗せるが、ただ水を吸って浮かぶだけ。
八尋は苦しそうに息を吐き目を閉じる。
「ああ、早く会いたい」
蝋燭がゆらゆらと揺れる。
炎は小さくなったかと思うと大きくなり一つの形を留めない。温かな光を八尋に届けるが、八尋の表情は凍てついたまま。
八尋は動かない。水もまた、動かない。
そうして今夜も時間だけが過ぎていく。
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