六話 四月二十日 夜 藤相談所にて
「それにしても、誤解で人を呪い殺しそうになってたなんて怖いな」
誤解が解けて無事に四条と別れたあと、本庄は日が落ちた空を見上げて呟いた。空は分厚い雲が流れていて、夜にでも一雨来そうな空模様だ。
勘違いの発端は委員会での梅崎と宮本の会話だった。
宮本は四条の好意に薄々気づいていた。そこで委員会のときに梅崎に女子の見解を求めるために意見を聞いた。
梅崎の返答は「それはたぶん宮本くんのこと好きだと思うよ」というもの。それをたまたま聞いていた生徒が前後の言葉を聞き逃して「たぶん宮本君のこと好き」と言ったのだと勘違いして噂が広まってしまったのだ。
梅崎から説明を受けた四条は、間違った噂を信じて梅崎を苦しめた罪悪感や、噂が偽物だった安堵感、そして自分の気持ちが好きな人にバレていた恥ずかしさで一人で百面相をしながらも、何度も土下座する勢いで謝ってから帰っていった。
「もし彼女の鬼が最終的に梅崎さんを呪いころていたら、梅崎さんもそうだけど四条さんもきっと報われなかっただろうね」
「藤さん、ありがとうございました」
梅崎の顔色はまだよくないが、金縛りはもう起こらないという安心感で表情はずいぶんと明るい。
「どういたしまして」
三人で肩を並べて歩きながら八尋は無事に解決したことに一息ついた。
本庄も、鬼は見られなかっただろうが鬼と対峙しているところを見られたのだから、これで満足するだろうと考えていると、ちょうど本庄が弾んだ声で八尋の名前を呼んだ。
なんだか嫌な予感がすると思いながらも本庄を見ると、本庄は初めて相談所に来たときのように目を輝かせていた。
「お、俺! 幽霊見えたんだ!」
突然の爆弾発言に八尋は足を止めた。
「さっきの鬼のことかい?」
「そうです! 生き霊って半透明の四条さんだよね。あの場面で幽霊が見えたって言うのはさすがに言いづらかったから黙ってたんだけど、見えてましたよ」
ぱちぱちとまばたきした八尋は、止まっていた足をまた動かし始める。
「生き霊は見えやすい鬼ではあるけれど、急に見えるようになるのはおかしいね。当事者ならともかく」
八尋の言葉に、生き霊が見えていた自分もおかしいのではと不安になっていた梅崎は、一人ほっと息を吐いた。
どうして急にと考え込む八尋とは正反対に本庄は満面の笑みを浮かべている。
まさか盃山市で起こっている異変の影響を受けているのか。いや、そんなことは聞いたことがない。だとしたら元々見える気質だったのでは。だとしたらすでに見えているだろう。
などと八尋がぐるぐると思案に暮れている間、本庄は一人で鬼を見られた喜びを喋っている。
「やっぱ願いは叶うのもなんだなあ。いや、別に長年の夢だったわけじゃないんだけど、幽霊が存在しているってわかったら見てみたいじゃん。ああ、嬉しいな」
「そんなに嬉しいの?」
「う、うん。なんか非日常的で楽しくない? あっ、梅崎さんは嫌なことあったから楽しくはないか……」
わたわたと慌てて気遣うように声のトーンを落とした本庄に梅崎はくすっと笑う。
「奏でいいよ」
「か、奏さん?」
「なんで『さん』なの」
「奏……ちゃん?」
「うん」
ただ喋っているだけなのに変に緊張している本庄に、奏はおかしそうに笑った。
「あ、そうだ本庄君のことは桃太郎君って呼んでいい? 男子からそう呼ばれてたよね」
「う、うん。いいよ」
桃太は自分がなんと呼ばれているか知っていてくれた嬉しさと、できれば下の名前で呼んでもらえなかった残念さで複雑な気持ちになった。それでも女子とこんなにたくさん話せてしかもあだ名で呼ぶなんて、これからも仲良くできそうな展開になって晴れやかな気分だ。
このチャンスを無駄にしないためにも、これからも勇気を出して話しかけないと。と決意している間に藤相談所に到着した。
二人が学校の前で解散せずに八尋と一緒に藤相談所に戻ってきたのは、学校に行く際に荷物になる鞄を置いて行ったためそれを取りに来たのだが、それとは別に八尋は知らない理由が二人にはあった。
相談所の中に入り、さっきは時間がなく食べなかったどら焼きと、新しく淹れなおしたお茶を持ってきた八尋は二人に笑いかけた。
「疲れただろう? 帰る前に一息つくといい」
そう言いながら八尋もお茶を飲んだ。
二人が談笑しながら美味しそうにどら焼きを食べている間、八尋はまたについて考える。いくら考えたところで、わからないものはわからないのだが、それでも考えることはやめない。
「それで、無事に事件は解決したわけだけれど、本庄君、これで君の相談は解決したということでいいね?」
どら焼きを食べ終えた桃太に聞いた。
「は、はい大丈夫です。ありがとうございました。……あ、相談料っていくらですか? すっかり忘れてたんですけど……」
今までお金の話は一度もしていなかった。三日間に渡る相談だ、きっと結構な金額に違いないと桃太はごくりと息を飲んだ。
八尋が口を開く前に、お茶を飲んでいた奏が被せるように手を挙げた。
「私も払うよ!」
「いいよ! 俺が勝手に相談したんだし」
「でも助けてもらったのに桃太郎君にだけ払わせられないよ」
「いいって!」
「だめ!」
喧嘩が始まりそうな二人の会話に、八尋はおずおずと割って入る。
「あのー、盛り上がっているところ申し訳ないんだけど、相談料も依頼料もいらないよ」
二人は勢いよく八尋を見た。
「え! もしかして俺たちが未成年だからですか?」
「いやいや、そうじゃくて。鬼が関係する相談は、相談料を取っていないんだ」
それじゃあ生活が成り立たないのではと心配になった二人。そういえば八尋はひょろりと細長い。まさかお金がなくて食べるものに困っているのではないか。大の大人にこんな心配をするのは失礼かもしれないが、経営方針を見直した方が、といろいろ考える高校生二人をよそに、八尋は気にした様子もなく「その代わり、鬼に関する情報とか最近変わったことを聞いてるんだけど、君たち何か知ってるかい?」と尋ねた。
桃太と奏は顔を見合わせた。
「変わったことと言えば犯罪がすごく増えたっていうことですね。クラスでも犯罪に巻き込まれた子がいたり、他のクラスだと家出した子もいます。……けど、鬼かどうかは」
奏は困ったように八尋を見た。八尋はそういう返答だろうと予想していたのか、特に何も言わない。
「藤さんはどうして鬼を探しているんですか?」
桃太が初めて相談所に来たとき、八尋は「鬼を探すために相談所をしている」と言っていた。そのときから桃太はそれが不思議だった。
「探している人がいるんだ」
八尋はどこか遠いところを見ているかのような目で呟くようにそう言った。
「探している人? 鬼じゃなくてですか?」
「その人を見つけるには鬼を辿るのが手っ取り早いと思ってね。それで相談所を始めたんだ。このあたりにいるのは確かだから」
「そ、それなら!」と奏は叫んだ。
思ったより大きな声が出てしまって、恥ずかしそうにしながらも「相談料の代わりにそのお手伝いをさせてください」と力強く凛々しい表情で言い切った。
「あんまりできることは少ないですけど、情報を探したりしますよ!」
それに続けて桃太も便乗する。
「お、俺も一緒に手伝ってもいいですか?」
「だが……」
二人の申し出にあまり乗り気ではない八尋に対して、二人は口々に自分を売り込む。「女子高生の情報網はすごいです。他校生のことだって知っています!」だとか、「いくら相談所といっても若い人の情報は回ってこないでしょ」だとか、どれも納得するものだ。
最初は断るつもりだった八尋も、二人の熱意についに折れた。
「それならお願いしてもいいかな?」
「任せてください!」
二人は声を揃えてそう言った。
「とこで藤さん」
話も一段落して、少し落ち着いてから奏は八尋に話しかけた。
「あー、八尋って呼んでもらえたら嬉しいな。あんまり藤って好きじゃないんだ」
「そうなんですか。それなら八尋さんって呼びますね! 私のことは奏って呼んでくださいよ」
奏は「ぜひ!」と向日葵のように輝く笑顔を浮かべるが、八尋は苦笑を浮かべる。
「うーん、ちょっと関係を誤解されそうだからやめておくよ。ごめんね」
そう言われてしまっては無理強いはできない。自分のせいで八尋がロリコンと思われたら大変だからだ。
奏は残念そうに口を尖らせた。
「そういえば、いつの間に君たち名前で呼び合うようになっていたんだい?」
帰り道の会話を知らない八尋は首を傾げた。
「俺は名前じゃなくて桃太郎だけどね」
桃太郎呼びが少し不服な桃太。
奏は笑って「桃太郎君ってあだ名可愛いじゃん」と言う。
「可愛いかどうかは僕にはわからないけれど、桃は邪気を祓う果物だし、桃太郎は鬼退治をしたんだからいいあだ名だと思うよ」
八尋の言葉に桃太の機嫌は上昇した。単純だが褒められて嫌な気はしないものだ。
和やかな雰囲気になったが、「そうじゃなくって!」と奏は八尋に聞こうとしていたことを思い出した。
「八尋さん、話を戻しますね」
「はいどうぞ」
「ぶっちゃけ、鬼ってなんですか? 八尋さんって生き霊のことも鬼って言っていましたよね。鬼って角がはえてたり、もっと体が大きかったり、狂暴なイメージなんですよ。あ、さっきの生き霊も十分狂暴でしたけど、そうじゃなくて、もっとおどろおどろしいというか……」
奏の質問に桃太はピクリと反応した。
二人が相談所に戻ってきた理由、それは鬼について教えてもらうためだった。桃太は好奇心から、奏は八尋のことが知りたいと思う気持ちから、どうしても聞きたいと思っていたのだ。
「梅崎さんの言うような鬼もたしかにいるけど、鬼にもいろんな種類がいるんだ。人間だってそうだろう? 君たちみたいな黄色人種もいれば白人や黒人もいる。同じ人間だけど文化も言語も習慣も違う。鬼も一緒だよ。角のはえた鬼もいるし角のない鬼もいる。悪い鬼も良い鬼もいる」
良い鬼、と二人は口を揃えて呟く。まったく想像がつかないが、八尋が言うのだからいるのだろう。
「『鬼』はね、目に見えない不可思議なものの総称なんだ。『あやかし』と同じ」
そう言われてもいまいち理解ができていない二人のために、八尋は紙とペンを用意してその紙に「鬼」と一文字書いた。
「これをなんと読む?」
「『おに』、ですよね」
桃太が答えた。
「そうだね。だけどもう一つ読み方がある」
「もう一つ?」
思いつかない桃太に代わって奏が口を開く。
「『キ』じゃないですか?」
「そう。漢字には音読みと訓読みがあって、この字だと『おに』は訓読みで『キ』は音読みになる」
音読み、訓読みと言われて桃太は頭を抱えた。急に国語の授業みたいになったと苦しむが、今さら話をやめてくれとは言えない。
「音読みは昔の中国語の読み方なんだ。ここまではわかる?」
「はい」
当然だとばかりに頷く奏を見て、桃太はあとで奏から解説してもらおうと早々に考えることを放棄してしまった。
「漢字が元々中国のものだってことは知っているね? 日本には日本語はあっても文字はなかった。もちろんひらがなも。……だけど文化も言葉も存在していて、目には見えない何か恐ろしいものがあると信じられていた。それに、中国語で幽霊のことを意味する『
「目に見えないものすべてが『
「そう。そして『
このままではもっとややこしい話になりそうだと桃太が待ったをかける。
「いいです! 今はもう『
声高らかに宣言すると、奏は呆れ顔になった。奏の得意科目は国語なのでこの程度の話ならついていくことは難しくない。
「もう、桃太郎君だらしないなあ」
「じゃあ今度にしようか」
「今度」という言葉に桃太も奏も嬉しくなる。またここに来てもいいんだと認められたということだから。
二人は湯呑に残ったお茶をぐびっと飲み干して、もう一度今日のお礼を言ってから相談所を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます