四話 四月二十日 夕方 藤相談所にて
相談所のソファーに座り窓の外に見える桜を眺める八尋は、小学生の下校時間になり、外が賑やかになってきたことに気づいて席を立つ。
今日も本庄が来るはずだ。その準備をしなくてはならない。
壁際の本棚の中から数冊本を取り出し、愛しい人の肌に触れるように力を込めずに中にそれらを捲る。古い本なので扱いに気をつけないと紙がちぎれてしまうのだ。
その本には多種多様のように鬼について書かれてある。
金縛りとなると家に憑いているか、たまたま彼女が憑かれているか、もしくは呪われているか。
鬼の種類を考えながら八尋はこれがただのストレスによるものだったらいいのにと考えた。
八尋の悩みの種は本庄の存在。見えない何かに興味を持つのは当たり前だし、それを解き明かしたいと思うのも当然だ。しかし鬼はあまりにも危険だ。
――それに、八尋はあまり人と接したくはなかった。特に本庄のような純粋な人とは。
だが、鬼が絡んでいるのなら話は別だ。彼女の体調不良や金縛りが本当に鬼によるものだったら八尋が鬼を消さなければならない。それが八尋の役目だから。
本を選び終わり、ソファーに腰かけて読んでいると呼び鈴が鳴った。
昨日よりずいぶんと早い時間だ。
リビングダイニングから出て玄関の扉を開くと、本庄と、その後ろに可愛らしい黒髪の清楚な女子生徒が立っていた。
八尋は瞬時にその女子生徒が本庄の言っていた金縛りにあっている子だとわかった。そして顔色の悪さが深刻な事態を示していることも。
「やあ、待っていたよ」
出てきた八尋を見た女子生徒は固まった。
扉の縁に頭がぶつかりそうなほど身長が高い八尋は、平均身長程度の女子生徒からすると恐怖の対象だろう。それに目も天色で、髪は腰までの長さ。怪しさ満点だ。
「こんにちは藤さん。この子が金縛りにあってるって言っていた梅崎さんだよ」
「は、はじめまして、梅崎奏です」
「ここで相談所をやっている藤八尋だ。話は本庄君から聞いているよ。どうぞ、入って」
これ以上怯えさせないために、少し屈んで笑いかけると梅崎はほんの少し緊張が解れたようだった。
八尋は扉を大きく開いて二人を中に招き入れた。桃太のあとに続いて家の中に入り、そのまま奥の部屋に案内する。
アームチェアは二脚しかなので、二人を壁際のソファーに座らせた。
「紅茶とコーヒーどっちがいい?」
リビングダイニングの奥のキッチンに向かいながら聞くと、梅崎は大袈裟に手を振って「あ、いえ、おかまいなく」と遠慮する。
しかし八尋は引かない。
「じゃあお茶を入れるね。話が長くなるかもしれないから、飲み物があった方が、緊張がほぐれるよ」
「そ、それならお願いします」
「本庄君もお茶でいいかい?」
「はい、大丈夫です!」
温かい緑茶とお茶請けのどら焼きをお盆に乗せて本庄と梅崎の前に戻ってきた八尋は二人にお茶を勧めてから自分は緑のアームチェアに座った。
「さて、梅崎さんの体調不良について話そうか」
二人がお茶に口をつけたのを確認して切り出した。
「本庄君からは金縛りにあっていると聞いているよ。それについて詳しく聞いてもいいかな?」
「は、はい」
湯呑を握りしめたまま何から話そうかと口をパクパクさせる奏を見て、八尋はもう一口お茶でも飲んで落ち着くように言い、これ以上委縮させないようにできるだけ優しく笑いかけた。
「ゆっくりでいいよ」
「……はい。えっと……金縛りにあい始めたのは新学期が始まってからです。なので今日で二週間目になります」
「え! そんなに前からなの。大丈夫?」
驚く本庄に梅崎は控えめに笑う。
二週間も金縛りにあって寝不足ならば、顔色が悪く、生活に支障が出るのも頷ける。
「うん。最初は寝苦しいなって思うくらいだったし、夢かなって感じだったから気にもしてなかったの。……でも先週から夜中に苦しさで目が覚めるようになっちゃって……。疲れてるだけかなって思ってたけど、昨日の夜、金縛りで目が覚めたら何かに首を絞められて……」
記憶を辿るようにポツリポツリと呟くように話していた梅崎は、首を絞められたことを話すと今にも泣きだしそうに顔を歪めた。
話を聞いていた八尋は梅崎に試したいことがあると言ってから立ち上がり、棚から一枚の短冊状の和紙を持って戻ってきた。
墨で星のマークが書かれたその和紙を奏の首元に軽く当てると白かった和紙は紫がかった黒く染まった。
その変化に梅崎と本庄は驚き、八尋は眉をしかめた。
「藤さん、私、幽霊に殺されるんですか?」
和紙が何を表しているのかはわからなかったが、それでも良くないことだということは十分読み取れた。
「このままいくと、おそらくそうだろうね」
ひゅっと梅崎が息を飲んだ。
深刻そうな梅崎と本庄に対して、八尋は二人を家に招き入れたときのように優しく微笑む。
「だけど、僕が助けるからそんなことにはならないよ。必ず守るから」
透き通るような天色の瞳に見つめられ、「必ず守るから」なんてことを言われた奏は頬を赤く染めた。
会って間もないが、梅崎はきっと八尋が金縛りを解消してくれると確信した。それほど八尋の言葉には説得力があった。
「藤さん、これはどんな幽霊なんですか?」
梅崎が八尋に見とれている隙に、本庄は我慢できないとばかりに八尋に尋ねた。
「……おそらく、生き霊だろう」
「生き霊? 生き霊って呪ったり怨んだりしたら霊体になって呪った相手のところに行くあれですよね?」
「そうだよ」
「でも、そんな梅崎さんが誰かに怨まれるなんてこと……」
いつも周りに人がいて、笑っているような梅崎が人に怨まれるはずない、と八尋に物申すが、それを否定したのは八尋ではなく梅崎自身だった。
「ううん、本庄君。私だって無意識に誰かに怨まれることをしているかもしれない。……そりゃ、人に嫌われないように努力はしているけれど、でも完璧じゃない」
「梅崎さんの言う通りだよ、本庄君。優しくていい人でも怨まれることはある。それに生き霊は、呪う人が意識してやっておるわけじゃない場合も多い。寝る前に強く誰かを妬んだり怨んだりして、気づかないうちに寝ている間に霊となって怨んだ相手の元に来て苦しめるんだ。だからきっと今も梅崎さんを苦しめているなんて思いもせずに生活しているだろうね」
「そ、そんな」
こんなに苦しんでいる人がいるのに、苦しめている方は何も知らずに過ごしているなんて、と本庄はあまりの理不尽に憤る。
「梅崎さん、金縛りにあう前に誰かと言い合いになったり、誰かを傷つけたりしなかった?」
「金縛りにあう前って言ったら春休みですよね。……春休みは……その、一日中家でだらだらしていてほとんど誰とも会ってないです……」
「へえ、意外だなあ」
「だ、だって疲れるじゃない! 休みは一人になりたいタイプなの!」
恥ずかしそうに叫んだ奏は「と、とりあえず春休みはなにもありませんでした!」と無理やり話を終わらせた。誰だって好き好んで一人寂しく過ごしていることを人に言いたくはない。
「でもそうなると手がかりがないな」
八尋は腕を組んだ。
生き霊を消し去ること自体は簡単だ。八尋にとっては造作ない。しかし、消したところで怨んだ理由がわからないままでは、そのうちまた再発するだろう。
それに高校生の梅崎を怨む人間なんて家族や友人くらいだろうから、無理に生き霊を消し、生き霊を放った人間を傷つけるとその後が大変だ。できれば和解するのが一番いい。
「春休み中、家にいたから親が怒ってるとか?」
「そんなことないと思う。たしかに寝てるなら家事手伝ってとかグチグチ言われてたけど、全部じゃないけどちゃんと手伝ってたし……」
梅崎と話す本庄を見て八尋は口を開く。
「……本庄君は」
「え?」
「本庄君は何か気づかなかった? こういうのは、本人は気づかないものだからね」
「えっと……」
本庄は口ごもる。
「もし、……陰口とか何か噂とかを聞いているなら教えて」
梅崎は懇願するが、女子の噂に疎い本庄は戸惑うばかり。
「陰口とか噂……?」
唸りながら考え込んだ桃太は、しばらくすると「あ!」と顔を上げて奏を見た。
「そういえば春休み家にいたのなら、宮本君とは会わなかったの? もしかしてそれで宮本君が怒ってるとか」
八尋は初めて聞く名前に梅崎を見たが、梅崎でも何を言っているのかわからないとばかりにキョトンとしている。
「え? 宮本君?」
「あ、ごめん、宮本君とは二年になってから付き合ったのか。春休みはまだ付き合ってなかったんだっけ?」
宮本とは、本庄と梅崎と同じクラスの男子生徒である。バスケ部に所属していて本庄とは真逆のグループに属している。所謂、リア充だ。
運動ができて優しい。顔もかっこよく、表情豊かなため、女子からの人気が高い。
そんな宮本が、二年生になってから梅崎と付き合いだしたという噂が流れた。告白したのは梅崎からという。
その噂があったから、本庄は人気のないところで梅崎に声をかけたのだ。人目につくところで話しかけて、人気者の彼女にちょっかいを出す男というレッテルが貼られないように。
しかし梅崎は目をまん丸にしている。
「え、いや、そうじゃなくって。宮本って同じクラスの
「うん」
「私、宮本君と付き合ってないよ? ただ一緒の委員会になったからちょっと喋ったけど遊んだこともないし、連絡先も知らないよ」
「え? でもそういう話を聞いたよ」
三人はしばし黙った。
本庄は顔を青ざめさせる。
「も、もしかして宮本君が、間違った噂が流れていることに怒って……?」
「いや、どうだろう。生き霊はどちらかと女性がなりやすい。男性の場合、もっと直接的に攻撃してくるからね。それに自分の噂が立ったくらいで呪うとは思いにくい。……だって、例えば本庄君。君が梅崎さんと付き合っていると噂が流れたらどうだい? 怒るかい?」
「い、いや……どちらかと言えば嬉しいかな……。あ! 変な意味じゃないよ! 俺も梅崎さんと付き合えるくらいの男だって認めてもらえてるみたいで嬉しいかなって」
隣に梅崎がいるのに「付き合っているという噂が流れたら嬉しい」なんて言ってしまい、慌ててもごもごと言い訳を連ねる。だが、当の本人はまったく気にした様子もなく、本庄は自分の言葉なんてそよ風程度なんだろうなと悲しくなった。
それに変な話を振ってきた八尋もまったく本庄を気にした様子もなく、本庄は一人で騒いでいるみたいで恥ずかしくもなって誤魔化すようにお茶を一口飲んだ。
「そう。そんなに怒らないだろう。もし宮本君に好きな女の子がいたとしても、否定すればいいだけだ。……なぜなら噂の渦中の人間だから。部外者だから何もできずに気持ちだけが落ち込んでいく。……さて、ここで問題だ。二人が付き合っていると噂が流れて、傷つく、もしくは怒る部外者と言えば?」
「……梅崎さんか宮本君を好きな人?」
「ああ、そうだろうね」
八尋は頷く。
二人の話を聞いていた梅崎は、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめて強い目で八尋を見た。
「それなら、私思い当たる人がいます」
「え?」
八尋は驚いて梅崎を見た。
ここから、二人のどちらかを好きな人を探さなければならない、骨の折れる作業をしなければならないと思っていた矢先だったからだ。
梅崎は話し出す。
「去年、宮本君と同じクラスだった子で、たしか
ずいぶんと曖昧な情報に八尋は首を傾げる。
「たぶん?」
「私はその四条さんって人知らないんです。この前、委員会のときに宮本君から直接その人のこと聞いただけで……」
「それでも君はその四条さんがあやしいと思ったんだね」
「はい。宮本君から『あいつ、俺のこと好きなのかな』って相談されたんです。その話を聞く限り、四条さんは宮本君のことが好きです」
きっぱりと言い切る梅崎に、八尋は彼女の言うことを信じることにした。
「それなら今日は梅崎さんにお守りを渡して、明日四条さんに話を聞きに行くかい?」
お守りがあれば金縛りにはあわないと言う八尋に、梅崎はすぐには返事をせず、何か考えるように壁にかけられた時計を見た。
時計の針は六時少し前を指し示している。
「いえ、たぶんまだ四条さんは学校にいるはずです。いつも完全下校の時間まで教室で勉強しているそうなので。今から学校に行けば四条さんが帰るのに間に合うと思います」
一晩も待っていられないという様子の梅崎に、八尋は声に出さない程度に笑った。
大人しそうな外見をしているが、案外負けん気が強いのだろう。
「じゃあ今から行こうか」と八尋が声をかけると、梅崎も本庄も目を輝かせた。
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