三話 四月二十日 昼 漱朋高校にて

 漱朋高校そうほうこうこうは平凡な盃山市によく似合う平凡な高校である。学力も平均、校風も少々自由を重んじているだけでいたって平凡。

 そんな平凡な高校に通うこれまた平凡な少年――本庄桃太は机に顔を伏せて、じっと耳を澄ませていた。

 五十分の拘束が解かれた休み時間、生徒は思い思いの行動をとっている。その中でも女子は友達の席に集まって短い十分の間、あれやこれやと話に花を咲かせる。

 本庄の席の近くにも、一つの女子グループが集まっていた。本庄はこの会話を聴くために、席を立って足を自由に動かしたいのも我慢して眠ったふりをしている。

 本庄がこんなストーカーのような真似をするのには理由がある。


 本庄が藤八尋と出会ったのは一昨日のこと。そして本庄は昨日、学校帰りに藤相談所を訪れて、原因不明の女子生徒の話の続きをしていた。新しく仕入れた「毎晩金縛りにあっている」という情報を携えて。

 それでも八尋の返事は「それだけでは情報が少ない」というもの。

 問題の女子生徒を知らない八尋では、その金縛りが本当に鬼によるものか、それとも新学期の緊張やストレスによるものか、はたまた勘違いなのか判断がつかなかった。

 いくら本庄が新学期に緊張するような性格の女子ではないと言っても信用しない。昨日今日知り合ったばかりの子どもの主観的な意見は信じないのだ。

 信用されていないことに不満はないが、幽霊を見たい本庄は焦った。そのため、本庄は確固たる証拠を掴むべく、寝たふりをして女子の会話を盗み聞くことを余儀なくされた。

 本庄は女子と喋れないわけではない。しかし、仲良く会話するほど親しい女友達がいるわけでもない。それに問題の女子生徒――梅崎うめざきかなでは明るい生徒で運動神経も頭もよい人気者である。よく笑う笑顔が可愛いと評判で、裏表のない性格は男女ともに好かれている。

 そんな女子生徒に、突然話しかけられるはずがない。

 八尋は簡単に「本人を直接連れてくるのが一番手っ取り早いよ」なんて言ったが、それができればもうやっている。


 目を閉じて、耳だけに神経を集中させると、教室内の様々なざわめきが聞こえる。次の授業の愚痴から、最近起こった事故の話、恋愛の話もある。その中から、斜め前の席に集まる女子たちの声を探す。

「奏ちゃん、大丈夫? 保健室行った方がよくない?」

 心配そうに気遣う声。

「そうだよ、私ついて行こうか?」

 これは吉田だな、とクラスメートの顔を思い浮かべる。

「ううん大丈夫。次の授業、私の好きな古典だし頑張れるよ。……ありがとうね」

 吐息のように弱弱しい声の主こそ、本庄が探っている梅崎奏の声だ。

 本庄が知っている梅崎奏はこんな声で喋る子ではなかった。もっと溌剌はつらつとした明るい声だったはずだ。もちろん直接話したことはないが。

「金縛り……だよね?」

「うん……、気のせいだって思うよね。私も自分がなるまで金縛りなんてただの夢だよって思ってたし」

「ううん、奏ちゃん見てて気のせいだなんて思わないよ!」

「そうだよ!」

「ありがとう、つぐちゃん、よっちゃん。……実はね、昨日は金縛りだけじゃなくて首を絞められたの。あれは絶対に夢じゃなかった。姿は見えなかったけど、人間の手に首を絞められてる感じだったの」

 思いつめた梅崎の声に本庄は恐怖を抱く。

 ――首を絞められるって、このままじゃ梅崎さん殺されちゃうんじゃ……。

 本庄の脳内では、梅崎が何者かもわからないものに首を絞められて殺されている場面が駆け巡る。

 今の今まで幽霊なんて、マンネリした高校生活をあっと面白くする素晴らしいものだとしか思っていなかったが、いざ幽霊に苦しめられている梅崎の声を聞くと、ずしりと胃が重くなった。

 教室にチャイムが響き渡り、生徒たちは席に戻って急いで授業の準備をするためにいっそう喧騒が大きくなる。

 本庄は体を起こすと梅崎の丸まった背中を見つめて、ある決心をした。



 放課後、本庄は、終礼の合図とともに学校を出ようとしていた梅崎を人気のないところで呼びとめた。

 直接話をする勇気は持てた。だけど人のいる前で話かける勇気はまだない。それに勇気あるなしにかかわらず、人前で梅崎に話しかけて、告白だなんやとあらぬ疑いがかけられると残りの高校生活がすべて潰れてしまう。

「話って何? 本庄君」

「え、えっと、その……」

 喋る内容は授業中に考えていた。それなのにどう切り出していいかわからず、どもってしまう。

 本庄が口ごもっていると、力なく愛想笑いしていた梅崎が申し訳なさそうに眉を下げた。

「ごめん、たいした用じゃないなら今度にしてもらっていいかな? 最近体調が悪いからしんどいの。本当にごめんね」

 体調が悪い。そのキーワードに本庄は今だ! と口を開く。

「あ! その体調不良のことなんだけど!」

「え?」

「その、……たまたま聞こえたんだけど、……ほら俺たち席が近いでしょ、だから最近金縛りにあってて眠れないって知ってるんだ。……それで、もしかしたら治せるかもしれない人を知ってるから紹介したくて」

 用意していた台詞だ。だけど口にするとなんだか胡散臭い。

 言いながら本庄はこれで梅崎がついてきてくれるだろうかと不安になった。

 なけなしの勇気を振り絞って梅崎を藤相談所に連れていくことを決意したのはいいものの、今まで喋ったことものない、ただ同じクラスの男子というだけの自分についてきてくれるとは思えない。

 精一杯、害のないアピールのために笑顔を作るが、ちゃんと笑えているかもわからない。

「ゆ、幽霊に詳しい知り合いでね、その、信じられないとは思うんだ。でも、もしよければ一度試してほしいなって……」

「お祓いをしてくれるってこと?」

「うん。お祓いって言っていいのかわからないけど」

 八尋は相談に乗って、できるなら解決までするとは言っていたが、お祓いや除霊なんて言葉は使っていなかった。だけどそんなことを言うと、本庄の話を聞いて表情を明るくさせた梅崎をむやみに不安がらせるだけだ。

「そういうことならお願いしてもいい?」

「うん!」

 ようやく本庄も自然な笑顔になった。

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