こうもり傘の少女

黄色い傘の下。細い雨は、立ちすくむ私達のことなど素知らぬ顔で水溜りの中脈打った。


「遠まわしな自殺」


 落ちた言葉には明らかに嘲りが含まれていた。誰に対して、なんて。言うまでもなく。隠されたままのそのまなざしが気になった。見てみたいと思ったのだ。確かめたいと、思ったのだ。

 ねえ、貴女は。またひとりで泣いているの。

 ガランドウな内臓に響く感情に、ひとりまた笑みを噛みしめる。


「生きていくだけで、いずれ死に至るなら。これは遠まわしなだけで、自殺と同じじゃない。死に至る病、だなんて。よくいったものね」


 くるり、と傘が回った。くるりと、彼女も舞った。喪服の裾は、もう踊らなかった。くるくる、くるくる。それでも彼女は楽しげに踊る。愉快に。本当に? なんて、知るはずもない。だって彼女は、いつだってなんだって見せてくれなかった。それが私にどんな衝動植え付けるかなんてまるで無関心に。

 私の手は、動かない。


「自殺は。あの人たちは。きっとむしろ、生きていたかったのよ。生きるために、死んだのだわ。私達は。惰性にきっと、殺されていく。ゆっくりと、ゆっくりと。自分の首を、締めていく」


 すらりとして細い手のひらが、緩慢に傘の外へ投げ出される。白を打つ灰色。その冷たさに、白は白を通り越しそうになっていた。

 その細腕が、ゆっくりと空気を縊る。しなやかで、それでいて不健全な細い指先は、まるで首を絞めるように節くれだっていく。


「ゆっくりと、ゆっくりと。真綿で絞められていくぐらいなら。自分が自分として生きるために。自分として在るために。自分として死ぬことが、その最後の手段なのだから」


 掴んだ手は、蒼白だった。ただの体温の低下なのか、あるいは力んでいるのか。

 いけない、と思った。思うのに。けれど私は動けない。動かない手のひらは、ただただ傘の柄を握っている。

 動かない、動かない、動かない。

 太い雫に殴られる、傘の悲鳴が耳につく。


「私は私で在ったわ。世界に負けてなんてなかったわ。染まってなんか、なかったはずなのに。私は、いつのまに、」


 深い泥沼のような声が地を這った。ゆっくりと己のスカートをつまみあげる。喪服のような真っ黒いワンピース。それを、真っ黒な女は笑いながら見やる。


「汚い色。汚い色ね。私はね、真っ黒だったはずなの。何にも染まらない、染まるはずのない、漆黒。それが、ねえ、こんなに、こんなに、こんなに。こんなに。」


 つまんだ黒色は、色落ちしたような、日焼けしたような、黒。蝙蝠傘の彼女は、大きく口元を歪めた。


「誰もが言うの。無意味だって。誰もが言うの。無意味だって。無意味だっていうの。そうして、生きろというのよ。私に。生きろというのよ、私に。彼方を忘れて、進めというの。彼方を殺して、生きろというの。いきろと、いうのよ。わたしに」


 蝙蝠傘の王国に、しみが増えた。大きく傘を前に傾けた彼女は、その顔を完全に隠してしまっていて何もうかがうことはできない。

 蝙蝠傘の女王様は、言募る。静かな声で。激しい声で。ぐちゃぐちゃに入り乱れた、漆黒になりきれない浅い黒色のような声で。


「彼方を一度殺した私が、出来る贖罪は。生きる意味は、彼方をもう二度と死なせない。ただそれだけなのに。誰が忘れても、誰が気に止めなくても。私だけは、一瞬たりとも、彼方を覚えていることが、彼方を生かす唯一なのに」


 抱きしめたいと思った。昔のように。あの頃、あの子が私にしてくれたみたいに。あの頃、私があの子にしていたように。けれど、私の死に場所ここに縫いとめられた足は、びくともしない。私の死に様さいごに縫いつけられた手は、びくともしない。

 ああ、なんて口惜しい。在りし日に、渇望した物を。


「皆、無意味だというの。無意味と言って、生きろというの。

 彼方を忘れころして、私に生きろしねというのよ」


 黄色い傘と、黒色の傘。それぞれの王国だと、無邪気に笑ったのは遠い日で。いつの間にか、少女は大人になっていた。雨の日しか知らない私と違って、たくさんの空の下、生きていた彼女が。

 生きるために、死にそうになりながら。

 それでも、「私を覚えていいき」ようとしてくれていた。

 ああ、それは。

 それは、なんて。


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