第11話 白色メモリアル
「イデアが本気で世界を滅ぼそうとしているわ」
玄関を出て、道路の真ん中で輪になって。
カナが夜天に重なる迷い子の影を見上げて言った。
「迷い子の本質は"異世界性"。摂理を超えると壊れてしまうのは、世界そのものだって例外じゃない。あの世に届くほどの大きな穴を開けられたら、世界がまるごと迷い子になる」
「もしそうなったら俺たちはどうなるんだ?」
「類推だけど、粉々になるんじゃないかしら。物質の結合が失われ、ほとんどのエネルギーが流出する。二度と元に戻らないのは確かね」
「とんでもない話だ」
見える空にエクスマキナは認められない。
しかし、確かにどこかにいるのだろう。並ならぬ威圧感、この世ならざる圧力の気配を、ヒロはつぶさに感じ取った。
空から顔を下ろしたカナは、ヒロとナタを順に見る。
「二人とも準備はいいわね?」
「カナこそ、服着てるけどいいの?」
「ごめんなさい! 反省してるから服くらい着させて!?」
まだ根に持っているナタは、ヒロの手を取った。
「たぶん、イデアはもう止まらない。真面目な子だから。たとえ私が生きていても、殺そうとした自分を許せなくて、責任を取ろうとする。最後まで突き進もうとする。……だから。えっと」
ナタはそこで困ったふうに眉を下げた。ヒロに頼みたい。けれど、どれのことを、なんて言えばいい? そんなふうに。
笑って、ナタの手をしっかりと握り返す。
「全部、任せてくれ。うまいこと収める」
「……ありがとう、ヒロ」
ナタは笑った。
そしてナタは逆の手でカナと手をつなぐ。幼馴染の二人は言葉を交わさず、ただ笑みだけで通じ合った。
ナタが目を閉じる。
「召喚術式、起動」
ナタの胸の中心に、白銀が灯った。
「うおぉ?」
足元をすくい上げられ、三人の体が浮き上がった。周囲を包むように魔力が伝い、壁を織り成す。ゼロドライブのコックピットが立ち現われた。
「いつも通り、ヒロは操縦をお願いね」
「分かってる」
カナたちは後部座席、ヒロは前部座席に。シートベルトを締め、操縦桿を握る。
どっしりとしたグリップの感触に、ヒロは頼もしそうに笑う。
「行くぞっ!」
加重。窓の外の夜空が巡り、ゼロドライブは飛び上がった。
夜気を裂く。
操縦桿にかかる圧力を逃し、傾ける。ヒロは横目で計器が示す魔力炉の圧を確かめた。確かに、素体では一割にも達していない。
もはや霞んだ月の下。空のただなかにエクスマキナはいた。
『……お兄ちゃん。まだいたんだ』
イデアがぼんやりとつぶやく。
『もう、ナタも死んじゃったのに』
「生きてるよ!」
びくりと肩を震わせ、エクスマキナが振り返った。赤い双眸が戸惑いを映すように揺れる。
『う……そ』
「嘘じゃないよ! 生きてる、やり直せる! だからイデア……きゃあっ!」
『嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ! 嘘だって言ってよ!』
エクスマキナが両腕を上げた。夜空の闇色が深まっている。
渦巻くような空を見上げてヒロはうめいた。
「なんて規模だ……これが本気のエクスマキナか」
『イデアはっ! イデアは……ナタを、また殺さなきゃいけないの……っ?』
夜天が張り詰める。底が抜けそうに軋んでいる。
「迷ってる暇はないわ」
後部座席を見る。
空を見上げていたカナが、ヒロと視界を絡ませて口の端を緩ませる。
「ヒロ。私をお願いね」
微笑が燃える。
「カナっ? 勝手に……ダメだってば!」
「べ。ナタにばっかりいい恰好させないから。心配しなくても大丈夫よ。――ヒロがいるもの」
ナタの涙声が飲み込まれる。
同時に、カナの姿が溶けていく。
操縦桿を握るヒロの胸が焼けそうに熱くなった。脳裏の感情が暴走し、眉間をしかめながら涙がこぼれて、口に笑みが止まらない。
魂が、雪崩れこむ。
腕が裂けそうに痛い。
足が空をかいた。踏むはずだったものがどこにもなかった。足が止まらず落ちていき、腰が追従しようとしていた。
引っ張られた勢いで、体の倒れる向きが変わる。崖下ではなく崖上の土に転がった。腕は痛いはずなのに、気にならない。
背中が凍える。心臓がわけも分からず乱れている。今、自分はどうなった?
「カナぁ!!」とナタが叫んで、私を崖から引き離す。
「ふぅー、間一髪。ちゃんと周り見ないとだめだろ、危ないだろ」
男の子がいた。今まで自分たちの他には誰もいなかったのに。まるで、突然そこに現れたみたいに立っている。
自分の腕をさすりながら叱った男の子は、辺りを見回した。森、苔、そして崖。
「でさ。ここどこ?」
ナタと目を合わせる。困ったような顔をしていた。たぶん、私も同じ。
男の子を見て、教える。
「神殿」
彼の背後、森の中央に、荘厳な白亜がそびえ立つ。
彼はきょとんとして振り返った。
「す……っげぇー! わぁ、すげえ!」
そして豹変した。
両手をかち上げ、足を弾ませ、全身で
「巨大ロボットだ! グッチャゲッチャーみたい! かっけー!」
「きょだ……なにそれ?」
「知らないのかグッチャゲッチャー! 巨大ロボット! めっちゃカッコいい正義のロボットなんだ!」
ぐちゃあ、ぐっちゃあ、と身振りで示す。正義っぽくない。
巨大ロボットがなにか分からなかったけれど。神殿を見上げる。列柱に抱かれる青灰色の鎧甲冑を。
私は、一目で怖くなって逃げ出したのに。
この神像が大切なナタを殺すと知って、なんとかするために来た私が、崖を忘れるほど怖気づいたのに。
「あ、あぶないよぅ……こわくないの……?」
「怖いわけないだろ、だって巨大ロボだぜ? 俺たちの味方だ! てかオマエ、髪の色すごいな! どピンクか!」
「ぁう……変?」
「知らん! あっ、違う。かわいいぞ、だった!」
この男の子はまるで恐れていない。ナタを連れて近寄り、ペタペタ触っている。
巨大ロボットってなんだろう。
それを知れば、怖くなくなるのだろうか。
「ねぇ」
男の子は振り返った。
「あなたの、お名前は?」
健やかで真っ直ぐな笑顔を満面に浮かべて、
「公原ヒロ!」
そう名乗った。
「――恥ずかしいわ!」
ヒロは吼えた。
操縦桿を握り直す。スクリーンの向こうに見える腕は蒼銀に輝いている。鎧の色合いが違った。ゼロドライブは蒼い騎士鎧を身にまとっている。
スクリーンに映るエクスマキナの腕が黒く濁った。放たれた闇色の砲弾をかわす。
『なによヒロ、突然』
「やっぱり俺はお前たちに会ってたんだな! 俺バカ丸出しじゃねぇか! グッチャゲッチャー懐かしいな!!」
『あら。思い出した? 初心なナタはあのとき口説かれて以来、ずっと一途に想ってきたんだから。責任取って結婚しなさいよ』
「あんなので口説かれんなよ! もっと自分に自信持って!?」
「ぅう……だって、初めて男の子に褒められたから……恥ずかしいよぉ!」
『――馬上槍』
かざした槍が握り潰される。
エクスマキナの豪腕がうなり、虚無に飲み込む闇の炎が燃え猛った。
『まじめに、やれっ!』
迫る手のひらを宙返りにいなし、エクスマキナの肘を蹴り上げる。間合いを取ると同時に溢れる光を飛沫に散らし、虚空から片手剣を引き抜いた。
「真面目だぞ! 辛気くさいこと言わないで、イデアもこっち側に来いよ!」
『やだ! イデアはみすてりあすな美少女枠なの! カナとは違うの!』
『ねえどういう意味?』
「お菓子大好きなくせによく言うわ!」
『美味しいからいいの!』
やり取りをよく聞くと、カナの声は実はヒロ以外に聞こえていない。
言葉の応酬と裏腹に、エクスマキナは大振りに闇を振りかぶって必殺の一打を乱発する。ゼロドライブはときに打ち下ろし、弾き、また相殺させて防ぎ続けた。遠雷のような衝突が大気に染み渡っていく。
激しく動くシートに揺られながら、ナタは目をすがめた。
「なんか、私のときと雰囲気違わない?」
『ナタも根暗ってことじゃない?』
「カナは存在自体が面白いってこと?」
『ちょっと!!』
エクスマキナの拳を受けて、片手剣が砕け散る。
剣が粒子に還って空に溶けるよりも早く、ヒロは操縦桿を入れる。ボタンを素早く弾き、トリガーを絞り、ひねって押し込む。
拳を握り、ブースターで踏み込んで、エクスマキナを殴り飛ばした。
『くあぁああっ!』
「意地を張るな! 本当は分かってるんだろ!?」
『なにを!』
放たれた砲弾に、光の粒子で作った装甲を重ねて防ぐ。追撃を封じられたゼロドライブの前でエクスマキナが両手に闇の球を構えた。が、放つ前にゼロドライブの投じた投げ槍に貫かれ、対消滅する。
上段に構えた手に長剣を構成し、打ち込み。漆黒の籠手が受け止めた。ゼロドライブとエクスマキナは迫り合いにもつれ込む。
「イデア! お前と一緒にいられるのは、母親だけじゃないっ!」
『――っ!』
息を呑む声。
エクスマキナの双眸が、
煉獄の紅蓮に燃え上がる。
『しったふうなことをっ! いうなぁ!』
ほとばしる闇を、カナの生み出す光の粒子が受け止める。
静止して起こる衝突に空気が弾け、火花が散り、稲光が閃いた。
食らいあう。
『なんて力――! 魔力……持たな、い!』
カナの苦悶すら溶け込んで消える。
その連環のなかで、ヒロの脳裏に闇が生じた。
空隙でも虚無でもない。実体としての、この世ならざる異物としての闇。
エクスマキナの操る闇だ。
「マズい……ッ!」
意識が呑まれる。
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