第7話 乳白色ウォーリアー

 イデアはお菓子を食べ終えて、ジュースを最後の一滴まで飲みきると寂しそうに空き缶をベンチに置いた。コン、とアルミの無機質な音が夜に響く。


「ありがと、お兄ちゃん。もうナタに関わらないで。お兄ちゃんは殺したくないな」


 ブーツの足を振ってベンチから飛び降りると、くるりと回った。

 ヒロは反射的に立ち上がる。

 イデアの足元に白いヒビが入っていく。それは止めようもなく広がり、割れる。

 現実を突き破って漆黒の腕がイデアをさらった。


「イデア!」

「バイバイ、お兄ちゃん」


 腕が伸び、肩を越え、地獄のように赤い双眸がヒロを見下ろす。

 公園の地面から立ち現れたエクスマキナは、仁王立ちのまま悠然と夜空の中心へと飛び上がっていった。


「イデア……」


 ヒロは苦し気に眉根を寄せる。

 エクスマキナに乗る理由は分かった。だがイデアは他の重要なことはなにも教えてくれなかった。

 なぜ、ナタを殺さなければならないのか。

 どうしてイデアの願いがそのまま世界を壊すことにつながるのか。


 空が破裂した。

 見上げてもなにも見えない。いや、星明かりが揺らいでいる。陽炎は揺らぎを大きくし、合間から青灰色を覗かせ、ついには剥がれ落ちた。


「ゼロドライブ!? ナタとカナか!」

『ん――あ、ヒロ! カナ、ヒロいたよ!』

『なんですって!』


 ゼロドライブがヒロを見下ろすが早いか、背中の青白い噴射炎を消した。

 ヒロの前に青灰色の鎧甲冑が降ってくる。地面を波打たせ、強風に腕でかばう。


『なにフラフラしてるの、この大変なときに!』

「なにかあったのか? 今のは……」

『迷い子がいっぱい! あちこちだよ!』


 悲鳴混じりのナタの声。

 ヒロは夜空をふり仰ぐ。迷い子は闇に紛れて見えず、エクスマキナの姿もない。


『とにかくヒロ、乗って……っと!』


 出し抜けに籠手の左腕が振り上げられる。破裂。迷い子の影弾だ。


「なんで急に迷い子が?」

『イデアが本気出したってことよ。異世界まで届く大きな穴を開けたら、開けただけ迷い子は発生するからね』


 苦々しいナタの声に、ヒロは息を呑む。

 行動が早い。いや、話している間にはもう動いていたのか。


『急いで!』


 タラップ代わりに、巨大な手のひらが差し出された。

 一歩踏み出して、ヒロは固まる。


――もうナタに関わらないで。お兄ちゃんは殺したくないな。


『ヒロ、どしたの!?』


 ナタの声に顔をあげた。そこには白銀に灯る双眸がある。

 ヒロはただ首を振った。


「なんでもない。大丈夫だ!」


 手のひらに登るとヒロごと腕が持ち上げられ、胸部のハッチへと運ばれた。

 迫るゼロドライブを見上げて、ヒロは拳を握る。

 たとえイデアと敵対しても。

 イデアに人殺しをさせないためなら、戦う理由には充分だ。


「こんな夜中になにしてたの?」


 コックピットで操縦しているのはカナだ。

 出迎えの言葉にヒロは口ごもる。二人のお風呂に動揺して逃げたとは言いづらい。


「ちょっと考え事をな。収穫はあった。イデアに会えた」

「なんですって痛!」

「イデアはどこ?」


 立ち上がろうとして足をぶつけたカナを気にもせず、ナタは真剣な眼差しをヒロに向ける。ヒロは首を振った。


「見失った。エクスマキナが出てきて連れ去っちまった」

「……そっか」


 不安そうに顔を曇らせる。

 その顔は、イデアの行方や悪行を気にするというよりも、むしろ。


「元気そうだったよ、イデア。あげたお菓子を嬉しそうに食べてた」

「ん、フフ。あの子、甘いもの大好きだから」


 少しだけ表情を和らげて、ナタは微笑む。

 いいお姉さんだとヒロは思った。なにをしているにせよ、無事でいてほしい。

 カナは別の方向で心配そうにヒロを見上げる。彼女に首肯して応じた。


「二人がここまでして戦う理由が、少しだけどわかったよ」

「……ヒロも大概お人好しね」

「知らなかったのか?」

「いいえ、身に沁みているわ。悪いけど操縦代わってくれる? ヒロのほうがうまいから……あ」


 席を立ったカナが、ヒロの鼻先に指を向けた。


「シートベルト。つけてね」

「あるの!?」


 見てみれば、シートから金具が覗いている。気づかなかったと頭を抱えた。

 ナタもナタで遠い目をする。


「シートベルト締めると操縦桿に手が届かないの、おかしいなあって思ってたんだよね……」

「設計ミスも甚だしいわね」


 詰めて、とカナは後部座席に体を押し込んだ。シートベルトを締めているが、二人詰めではあまり意味がない。

 ヒロがそそくさとシートベルトを締め、正面スクリーンに目を向けて、全力で操縦桿に飛びつく。


「うおおお!?」


 間に合った。

 籠手で影弾を受け止める。正面まで降りて砲撃した迷い子は小さく旋回し、また上空に登っていった。


「くそ、なんで自然現象が狙い撃ってくるんだよ!」

「あくまで喩えよ。本来の意味で自然現象なわけじゃないわ」

「じゃあなんなんだ!」

「世界が親戚同士だから相通じるって話はしたわよね。親戚じゃない異世界の風や光、重力。異なる摂理が穴を通じて紛れ込むと、世界に在り損なって影が差す。それが迷い子」


 話しながら、カナは魔法を広げた。スクリーンの色合いが変わり、迷い子の姿が浮き上がって見える。

 降りてきた迷い子を握りつぶして吹き散らした。


「迷い子は影響力に抵抗しているのよ。近づくもの、動くもの、大きいものに攻撃にする。抵抗力を失うと無害な塵になって、少しずつ世界から弾かれていく。新陳代謝みたいにね」

「それでゼロドライブに撃ってくるわけか。ん? じゃあ、なんでエクスマキナには攻撃しないんだ」

「エクスマキナに世界は関係ないわ。迷い子にとって異なる摂理ではないのよ」


 カナの話にうなずいていると。

 色合いの違うスクリーンの中央が歪んだ。とっさに腕をあげる。

 直後、虚空から拳が生えた。こすれた籠手の破片が散る。座席が衝撃で弾んだ。


「ぐぅッ……イデア!」


 空間に走る白いヒビを前に、ヒロの操縦がゼロドライブを蹴立てる。腕をかざし、ブーストを吹かし、地面を蹴り砕いて飛び退る。

 白いヒビを肩で砕いて、亜空からエクスマキナがまろびでた。

 応じて漆黒の肩装甲をつかみ、ブーストで機体を浮かせてタックルの衝撃に自身を乗せていく。重量がこすれ、大太鼓のような音に街灯が揺れる。


「待てイデア! 少し話を!」

『関わらないでって、言ったのに』

「くっ!」


 エクスマキナを突き飛ばす反動で離れる。漆黒の巨腕が空を切った。切った空が強風となって並木のイチョウを柳のように曲げ、枝をへし折る。

 ヒロは流れた冷や汗に顔をしかめた。

 ヘビー級な見た目以上に、重量の乗った一挙手一投足が秘める爆発力は大きい。


「素体じゃ無理よ! 私が行くわ!」

「ダメ、カナは行かせない!」

「ナタにだって許さないわよ! 私が行くって言ってるでしょ!?」

「うるさい、ばか!」

「ばかって……あんたね!」

「ケンカすんな! こんなときに!」


 思わずヒロは怒鳴る。声を引っ込めて眼前に集中した。エクスマキナの腕が振り上げられる。

 振り下ろし、正拳突き、蹴りの予備動作、はたまた例の闇弾か――?

 背後からの衝撃につんのめる。

 傾ぐスクリーンを前に、ヒロは察した。


「迷い子ッ!?」


 エクスマキナが拳を握る。

 かわす――無理だ。操縦桿が重い。姿勢が崩れている。間に合わない。


「ヒロは絶対、守るんだ……っ」


 ナタの声。


「ゼロドライブ――完全起動!」


 体が内側から熱くなり、ヒロの意識は爆発した。




 とても可哀そうな子なのだ、と聞いた。


「……私の、名前は。イデア……です」


 顔が見えないようにうつむいて。前髪の隙間から窺って。なにかに怯えている。

 優しくしなさい、とパパに言われた。そうすべきだと思った。

 話しかけた。おもちゃをあげた。お菓子を作った。遊びに誘った。

 嫌そうな態度が透けて見えても、諦めるなとおばさまに教わった。


「感情を隠し損ねるのは、甘えたがってる証拠なのよ」


 いつしか、"イデアの隣は私"になった。

 私が隣にいるのではなくて、イデアの隣に私がいる。

 私を簡単に離れない人だと認め、怒らない殴らない蹴らない人だと知って。

 ようやくイデアは、私のそばなら落ち着けるようになったのだ。

 少しずつ、話してくれるようになった。

 笑ってくれるようになった。

 甘えてくれるようになった。


 だから間違えた。


 これで正しいのだと。

 いい方向に向かってると。

 幸せになってくれていると。


 いつしか、そう決めつけていた。




 ばちん、と電源を入れ直したように。

 ヒロの五感が戻る。


「今のは……? っ危ねぇ!」


 ヒロの顔はスクリーンを見つめたままだった。拳を振り上げたエクスマキナの姿が映っている。

 操縦桿を叩き込む。腰が浮き、Gに腕が重くなる。地面を蹴った勢いでシートから腰が浮き、天地が回る。

 ゼロドライブはエクスマキナの脇に飛び込むように拳をかわした。転がって膝立ちに振り向く。


「イデア、もうやめろ! ナタを殺す必要なんてないだろ!」

『ナタはいちゃだめなの。イデアの邪魔なの!』

「それじゃあ! ――あの笑顔はなんだったんだ!」


 叫んでから、、とヒロの心が悲鳴を上げた。

 笑ってくれたのに。甘えてくれたのに。

 知っているはずがない。そんな感情を懐くはずがない。

 この気持ちはヒロのものではなく、きっと。


「ナタの……っ!」


 あの幻視がなんであれ。ヒロは歯を食いしばる。

 甘いものに喜ぶイデアは。親切にお礼を言えるイデアは。

 月夜を一人で過ごすには、あまりに小さいあの背中に。

 誰かを傷つけて報われる道理が、一欠片も存在しない。


『うるさい、うるさい! ナタなんて!』


 エクスマキナが両腕を掲げる。


『だいっきらい!!』


 悲鳴のように叫び、闇の塊が放たれる。すべてをかき消す闇の砲弾。

 とっさにゼロドライブの腕を突き出して、

 まとう輝きが打ち砕いた。


「ナタぁあああああッ!」


 カナが絶叫した。

 ゼロドライブに降り積もっていく輝きを前に、エクスマキナが呆然と腕を落とす。

 ぽつりと。イデアは声を漏らした。


『……ナタが、死んじゃった』


 輝きの内側から乳白色の装甲がにじみ出て、ゼロドライブを鎧う。

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