第5話 萌黄色リバーブ
「ところで、もうすぐ夜だけど宿と飯はどうするんだ。金とか持ってるのか?」
「フッ……持ってると思う? 着の身着のままよ」
「カナって、クールに見えてすっごいバカだよね」
「ちょっとナタ、顔貸しなさい。ひっぱたくわ」
「本当にどうするつもりだったんだ……」
というわけで、ヒロの家に戻ってきた。
玄関を前にヒロが二人を振り返る。
「そろそろ母さんが帰ってると思う。お前たちは、うぅーん……なんのフリなら不自然じゃないんだ? さすがに学友は無理がある。髪の色がパンクすぎて」
蒼色が不満げに揺れ、桃色が楽しそうに傾く。
「恋人はどうかな?」
「いきなり二股して連れ込むとか、お母様の心臓を殺しにかかってるわね」
「そこはホラ、カナお姉ちゃんは妹が心配でついてきた、みたいな」
玄関先でミーティングしていると、どばさばさ! と道に買い物袋が落下する。
ヒロ母が立ち尽くしていた。
「ヒロ、その子」
言い訳しようと口を開きかけたカナの頭を、震える指が差す。
「なにその耳! 本物!?」
「あっ」
びくり、と犬耳がヒロ母を向いて揺れた。
計画が無駄になった。
信じてもらえないかもしれないけれど、という前置きで洗いざらい説明する。
ヒロがロボットの中に現れて、二人を助けて、この世界に流れてきた、と。
リビングダイニングいっぱいに響く声で、母は大きく慨嘆した。
「はーっ! そりゃまた、すごい話に巻き込まれたものねぇ」
「信じたんですか?」
「信じられないけど……その耳を見たらね」
カナは視線から逃れるように両手でそっと耳を押さえる。
ダイニングテーブルに頬杖をついて、母はヒロに流し目を送った。
「それに、ヒロも昔に似たようなこと言ってたわ。森で女の子と会ったーって」
ギョッとしてヒロは自分を指差す。
「俺が?」
「公園ですべり台から落ちたときだから、夢の話かもしれないけどね」
母はふにゃっと笑う。どっちでもいいと考えているようだ。
「とにかく。行くところがないんでしょ、泊まっていきなよ。不出来な息子に彼女候補ができるのは歓迎だ」
「いや、そういう関係じゃ」
「照れんな照れんな。まあくつろいで。晩御飯にハンバーグ作るわ」
「あ、手伝います」
カナが立ち上がってキッチンに追いかける。
対して、借りてきた猫のように座ったままのナタは、むすーと膨れた。
「どうしたナタ、なにかあったか」
「べつにー。カナのせいでなにもなかった」
「なんだそりゃ」
「料理練習しておけばよかったな。そしたら、私もお手伝いできたのに」
「カナは料理できるのか」
「わかんない。キッチンに立つところ見たことないけど……」
ヒロがキッチンを覗くと、カナがまな板の玉ねぎに包丁を入れている。
ぷるぷるぷる。ぐぐぐ、ずだんッ!
「お前包丁触るな」
「な、なによ! 料理くらいできるわよ! 切って焼けばいいんでしょ!」
「すまないが、玉ねぎステーキは献立にないんだ」
「うるひゃい!」
「えっと……ピーラーでニンジンの皮向いてもらえる?」
「はい……」
しゅん、と犬耳を垂らしたカナがニンジンをグッと握ってピーラーを添え、ぷるぷるぷるぷる。
「はい没収! 危ないな、指まで行っちゃうだろ!」
「ヒロ邪魔しないで!」
「守ってるんだろうが!」
ひょっこりと現れたナタが玉ねぎに包丁を入れる。しょり、とん。しょり、とん。手つきはたどたどしいが、カナのような無謀さはない。
「包丁の使い方ってこんな感じであってますか?」
「ん、そうよ。料理初めて?」
「生地をこねる焼き菓子は何度か。でも包丁の料理は初めてです。恥ずかしながら、家事とは縁遠い暮らしだったので」
その言葉に、ヒロはまじまじと二人の顔を見る。
美少女なだけあって肌は透き通るように白い。指も細いし傷一つない。日ごろから陽の下で励むような生活でないことは確かだ。
甘味はジャムしかない生活なのに。
「……もしかしてお前らって、いい身分だったりする?」
カナは口を尖らせてピーラーをためつすがめつしながら、ついでのように答える。
「王位継承権の低い王女と、聖域の祭事を担う巫女よ」
ヒロは思わず顔を覆った。
お姫様と巫女様って、お前それ、やんごとないやつじゃないか。
「ご無礼をお許しください、姫」
「そういうノリの貴族じゃないから」
うげ、と顔をしかめてカナは嫌がる。
そんな立場の二人をイデアは殺そうとしているのだ。
「イデアは、なにがしたいんだ」
「知る必要はないわ」
すげなく言う。ピーラーを調理台に置いた。
「知っても知らなくても……あの子の願いを踏みにじらなきゃいけないのは、同じなんだから」
そんなことを、悲しげに言われてしまえば。
ヒロは口をつぐむしかない。
「ヒロ助けて!」
「何事だ!」
飛び起きた。
見回すと自室だ。どうやらカナが健啖家ぶりを発揮した夕食の後、洗い物を済ませてすぐ自室で寝落ちしてしまったらしい。慣れないことだらけで疲れていたからだ。置時計を見れば、時間は夕食からさほど経っていない。
声は階下から聞こえてきた。部屋を飛び出して階段を駆け下りる。
「まさかイデアが来たのか? どうやって家を」
「ヒロー!」
ヒロの足は扉の前で止まった。
脱衣所。
いやそんなベタな。
「オーケー、落ち着け俺。壁が壊れる音はしなかった、悲鳴はナタのぶんしかない、抵抗してる感じはない。まずは状況を確かめてからだ」
指折り数えてフラグを折ったことを確認する。
深呼吸して寝起きの動揺を落ち着かせてから、扉の木目に声をかけた。
「……コホン。ナタ、どうした!?」
ガチャン。
肌色の塊が飛び出した。
「ヒロぉ! お湯が出なくなった!!」
「キャーッ!」
ヒロの悲鳴。
濡れたナタがなに一つ隠さないままヒロの腕にしがみついて脱衣所に引きずり込む。つやつやした腹とか、ふなっとした胸とかにパンク寸前で浴室を見た。
「ねえナタ、シャワーヘッドどこ……シャンプーが目に入って……あー痛ぁい」
「キャーッ!」
目をつぶって手をぱたぱたしているカナがいる。もちろんなにも隠していない。
絹を裂くようなヒロの悲鳴に、カナは真っ赤な目を見開いた。
「ヒロ、なんで……っ? ッ!」
「う? あっ私……ぃ!」
爆発したように顔を赤くするカナを見て、ナタも恥じらいを取り戻す。
どうやら巫女様にも羞恥心は備わっていたらしい。
「ヒロごめん!」
「出てけっ!!」
あらかじめ謝罪して、ナタとカナは野郎を蹴りだした。扉が閉まる。
フローリングの床に這いつくばって、ヒロはうめく。
「気にするな……。あと給湯器の電源が落ちてる、電源ボタンを押すんだ……お湯が沸くのは給湯器がついてる間だから、消さないように……」
『ありがと!』
浴室のリバーブに乗った返事が聞こえてきた。
真っ先に人を頼る発想が出てきたあたり、もしかしたら入浴も自分でやらないのかもしれない。なにせお姫様と巫女様だ。
そんなことを考えたヒロを、居間から顔を覗かせた母が見ていた。
「……なに」
「あんたも大人になったわね、ヒロ」
「どういう意味」
まあ、イデアじゃなくてよかった、と考えることにした。
イデア自身は関係ない人間を巻き込むつもりはないと主張していたが、その認識の適用範囲は分からないし、目的達成を優先することは体験済みだ。
「助けて、か」
ふと、思い出す。
ヒロがコックピットに現れる直前。
「助けを求めたのは、どっちなんだろうな」
あのとき、二人とも驚いていた。ヒロを名指しで呼んだのに、だ。
求めておいて本当に来るとは思わなかった、という意味の驚きだとしたら。
「俺はなんで、いきなり世界を渡ったんだ?」
『それはね』
声がした。
足だけを伸ばして確かめると扉は閉まったままだ。浴室からナタが答えている。
『たぶん、私のせい。急にイデアを追うことになって、そんなの嫌で……助けてほしいって願った。その気持ちが、イデアが作った穴の痕を通じてヒロを引き寄せちゃったんだと思う。私が求めて、ヒロが応えたから、通じたの』
奇跡を喜んでいない声だった。
むしろ、寂しがっているようでさえある。
『本当は、助けなんて求めちゃいけなかった』
「なんで」
『イデアは、エクスマキナで悪いことをしてる。止めなきゃいけない。それは、間違いのないことだから』
ナタまでもが、そう言った。イデアを妹のようなものだと言った彼女が。
止めなきゃいけない。
願いを踏みにじらなきゃいけない。
叶わない願いを。
イデアの願い。
それはなんだ?
頭に巻いたタオルのなかで、犬に似た耳が震える。
廊下からヒロが立ち去ったのを確かめて、カナは湯船から腕を上げた。ちゃぷ、と垂れたお湯が音を響かせる。
上げた手で、涙をこらえるナタの頬を撫でた。
「どうするの、ナタ。このままヒロを頼りにする?」
「できないよそんな。……どう、したら……いいんだろ。……分かんない」
「そうね……」
ぼんやりと、カナは首を傾ける。うなじを汗が伝っていく。慣れない熱湯での入浴にのぼせそうだった。
分からないけれど。
結論だけは決まっている。
だから関わるなと言ったのに。
「私も、ヒロを悲しませたくないわ」
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