第4話 影色ライナー

【――――!】


 ぶわ、と大きく広がった迷い子は、腹を渦巻かせた。

 まずい――! という直感が言語の体をなす前に、ヒロは横っ飛びに体を投げ出す。

 それが生死を分けた。

 すぐ隣を黒い弾が駆けていく。背後で高い音を立てて車止めが破裂した。


「だぁ、マジかよ!」


 一切の含みなく純粋に爆破されている。金属の破片がパラパラとアスファルトに散らばった。生身に食らったらひとたまりもない。

 迷い子はタコが泳ぐような動きで飛んだ。夕暮れの道を邁進していく。


「シャレになんねぇぞこれ!」


 混乱もそのままに、とにかく走る。

 ゆっくりと路地を回遊していた迷い子は、ヒロに気づくとまたスッ飛ぶ。見失うわけにはいかなかった。

 被害が出る前に危険性を伝えられる者は、この世界に三人しかいない。残りの二人は迷い子がここにいることを知りもしないのだ。


「どうやって教えたらいいんだ!?」


 空を見上げても、茜色の空に陽炎も青灰色の機影も見つけられない。

 とにかく、がむしゃらに迷い子を追い続けるしかなかった。

 先を行く迷い子がまた角を回り込む。顎が上がっているヒロは、ふと足を緩めて壁に手を突いた。肩を上下させながら、そっと角から通りを覗く。


【――――】

「やっぱりか」


 迷い子はヒロが見えなくなった途端、速度を緩めて飛んでいた。

 さらにもう一つ。呼吸が乱れるヒロを不思議そうに見た犬連れの男性が通り過ぎる。迷い子を追って角を折れると、やはりだ、とヒロはうなずいた。

 裏通りには誰もいない。


「ひと気を避けてる」


 だから、ヒロと鉢合わせたり距離を詰めたりすると猛スピードで逃げたのだ。

 これは朗報だった。人的被害が出る可能性は少なくなった。


「走り続けなくていいしな」


 追跡も現実味を帯びてくる。

 だが、車止めを爆破したように、危険性そのものは少しも減じていない。

 一定の距離を保ちつつ、目を離さないように、迂闊に近寄る人を追い払えるように構えながら。

 ヒロはさらに思いついて、スマホを手繰る。検索するのはネット上での地元のリアルタイムな口コミだ。

 陽炎や巨大な影、足音などがウワサになっていないか。あるいは、奇抜な髪色の美少女二人でもいい。むしろ降りていた方が目立つし、口上に上りやすい。喫緊の用事があるヒロとしては望ましいところだ。

 あいにく何もヒットしなかった。しかし手掛かりもない今、カナとナタが闇雲に遠出するとも思えない。


「時間との勝負だな」


 いずれ話題に上る。それまで、迷い子が被害を出さなければいい。

 ヒロはその賭けに負けた。

 タム、タム、タムとサッカーボールが児童公園から転がり出て、迷い子に跳ね返った。迷い子が動きを止める。

 ヒロの背筋が凍った。駆けだす。


「行けよ、飛べ、逃げろ早く!」


 だが、迷い子がヒロから逃げるよりも早く。

 子どもがボールを追って公園から飛び出してきた。


「わっ! なんだこれ?」

【――――――!】


 ぶわわ、と大きく広がった迷い子の煙が、渦を巻く。


「おらァ!」


 迷い子の脇をすり抜けて、ヒロは少年をタックルで突き飛ばした。

 影弾はブレザーの裾を削って、公園のゲートポールをねじ切って砕く。


「いってぇー!」

「ッぐく。悪いな少年……命あっての物種だ……ッ!」


 両腕が子どもに潰されたうえ、滑り込んだ勢いでレンガ敷に引きずった。口から内蔵が出るくらい痛い。ヒロは脂汗を浮かべて見栄を張った。

 ヒロに立たされた子どもは、無惨にえぐられた公園の塀に目を丸くする。


「うわっ、公園が!」

「見ての通りだ。逃げるぞ!」

「え。でもボール……」


 未だ留まる迷い子の足元にボールが転がっている。

 命とボールとどっちが大事だ、という罵声も引っ込む。


「くっそぉ!」

「うぎゃ」


 鈍い悲鳴をあげる子どもを巻き込んで横転。レンガ敷の遊歩道が破裂した。

 学校指定のブレザーが頑丈でよかった、とヒロは痛感する。背中に破片が当たっても痛いだけで貫通していない。代償に制服はズタボロだ。


「ボールは後だ。逃げろ!」


 子どもを突き飛ばすようにして走る。

 追い立てるように、吐き出された弾がレンガを砕いた。狙いが甘いことだけが唯一の救いだ。

 ほとんど引きずられるような子どもは、それでも走って声を上げる。


「なんなんだあれ。怪人?」

「かもな! お前いい子にしてるか!? 悪い子はヒーローが来たときには手遅れなのがお約束だぞ!」

「か、帰ったら宿題やるよ!」

「それがいい!」


 ははっ、とヒロは笑う。笑い飛ばさないとやってられない。

 道を避けて植え込みに飛び込む。狙いを逸れた影弾が、公園の外まで飛び出して街灯をへし折った。

 倒れた電灯の騒音に、誰の悲鳴も混ざっていない。怪我人は出ていないようだ。


「やばいよアイツ! ほっといたら流れ弾で誰か死ぬ!」

「殴って勝てる相手なら考えるけどな……!」


 ちらりと背後を振り返って迫る迷い子を見る。顔が渦を巻いている。


「またかよ!」


 急に方向転換しようとしたのがいけなかった。

 子どもがつまづいて転ぶ。手を引いていたヒロも大きく傾いた。

 肩越しに見える。片膝を突く子どもと、その後方で影を収束させた迷い子。


「くっ!」


 ヒロは子どもを抱えるように庇う。


『へぇ、カッコいいじゃない』


 迷い子が陽炎に圧し潰された。

 質量に押しのけられた空気が風になって吹き抜ける。

 ヒロが目をすがめる前で、糸がほつれるように陽炎は剥がれていった。青灰色の拳が露わになる。

 その腕は高く伸び、肩があり、屈み込んだ巨大なロボットが地に足をつけていた。双眸が白銀に灯る。


『間に合ってよかったわ』

「カナ……?」

『見つけたの私だよ! 街灯がガシャーンて倒れたの。ちなみにカナは気づかなかった』

『ちょっとナタ! 余計なこと言わなくていいの!』

『自動車事故じゃないの? って言った』

『お願い許して!』


 ふへ、と声が抜ける。

 まだ今日会ったばかりだというのに。

 どうにも緊張感のない二人に安心して、懐かしささえ覚えた。


「え……なにこれ? 夢でも見てるの?」


 ヒロの傍らで子どもが戸惑ったように狼狽えている。


「おっと少年。どうやらヒーローが間に合ったみたいだ。もう大丈夫、俺たちは助かったよ。怪我は大丈夫か?」

「肘すりむいた」

「んん? 大したことないじゃないか」

「大したことかどうかは兄ちゃんが決めることじゃない」

「お、おう。ごめん」

「ちょっと待ってて」


 聞こえる声の調子が変わる。

 振り返ると、胸部装甲がずり上がってコックピットの座席部分がエレベーターのように降りてきた。地面に降り立ったナタが、髪を指ですくって耳にかける。


「怪我を見せて」

「うん」

「ちちんぷいぷい」


 ナタの指先に光の球が生まれる。その球で傷口をなぞると、ポロポロと土や血の汚れが落ちていく。傷が癒えていた。

 へえ、と息を漏らすヒロの隣に、カナが立った。カナと目を合わせると、肩をすくめる。いつものことよ、というふうに。

 光の消えたナタの手が男の子の肘を優しく叩く。


「これでよし! 治ったばかりだから引っかいたりしないでね」

「すごい。姉ちゃん魔法少女?」

「んふふ。そうだよー。みんなには内緒ね」

「頑張って生き残ってね……」

「え? う、うん。ありがとう……?」


 悲しい目をした少年は手を振って帰っていった。なにを観て育ったのだろう。


「ほら」

「ん?」


 カナが手のひらを見せてきた。ヒロは握手に応じる。

 顔を赤くしてカナが怒った。


「ちがう! 怪我! あんたのも見せて!」

「ああ」


 ヒロもあちこち擦りむいたり打ったりしている。

 ヒロの体を指で突きながら、カナはため息を吐いた。


「考えるより早く体が動くタイプよね、ヒロって」

「そんなふうに見えるのか?」

「別にけなしてるわけじゃないわよ。褒めてないけど」

「どっち」

「なんでもない。はい、おしまい! 服は直せないから、自分で修理に出してね」

「うへ。高いんだよなぁ制服って」


 物憂げなヒロの背中を叩いて、カナはコックピットを示す。


「乗って。私は疲れたから、ヒロが操縦して頂戴」

「……いいのか? 関わるなって」

「ヒロが関わったんじゃない。警告したのに」


 呆れたような笑みに、責める様子はない。


「危険と分かって迷い子に近寄るんだもの。野放しにできないわ」

「迷い子を放っておくほうが危険だろ」

「だから、一緒に行きましょうって言ってるのよ」


 素直じゃないカナの言葉に苦笑して、ヒロは操縦席へと足を踏み出した。ナタが寄ってきてヒロに並ぶ。

 今さらのように、パトカーのサイレンが近づいてくる。街灯も倒れた騒動だ、誰かが通報したのだろう。

 陽炎に身を隠した機体が人知れず飛び立つ。


 なお。

 空に上がった操縦席で、後部座席にカナと相乗りするナタが身を乗り出した。


「ヒロ。握手」

「ん? おう。……ナタ、これどういう握手?」

「ないしょ」


 少しの間、片手運転をした。

 戦闘機動でなければ安定しているあたり、ロボットの操縦も単純だ。

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