第3話 茜色シャドー
パフェがテーブルに載せられた。
「これがこの世界のお菓子!」
「ふぉおおおお!」
カナは犬耳をピーンとパフェに向けて、ナタは祈るようにスプーンを両手で握っている。ファミレスのモダンなBGMは聞こえていないことだろう。
ヒロはシロップを入れたアイスコーヒーを混ぜながら言う。
「スイーツって言ったほうが当世風だぞ」
「すいーつ!」
カナが復唱し、二人は同時にクリームをすくって頬張った。
ぱぁぁぁぁ。ぶぇ。
「ふぁあああ甘ぁい!」
「あっっっっま!! なにコレやりすぎでしょ!?」
「また明暗が分かれたな」
片目をつむって水を飲むカナは、人心地つけてからスプーンを手繰る。
「いやだって、煮詰めたジャムが今まで食べた一番の甘さだもの……わぁ果物まで甘い。怖い」
「カナ、嫌いなら食べようか?」
「それじゃあ、あとで半分あげるわ。んっ、不自然な味だけど、これはこれで暴力的に美味しいわね」
三人がいるのはファミレスだ。昼食には遅すぎる時間のため客足は少ない。
「別に遠慮せず、料理食べてよかったんだぞ」
「へ、平気だから。食べてきたんだから」
ナタは赤くなって怒ったふうにイチゴを頬張って、頬を緩める。微笑ましい光景だ。
「気を失ってたやつが、『ごはん』ってうめきながら起きるなんて、よっぽどだぞ」
「うぅ、それは! お隣さんがカレーの匂いさせるからぁ……!」
桃髪から垣間見える額には、傷や打撲の痕はない。
何事もなかったかのように完全に消えていた。
「本当に、些細なことでも気になったら言えよ。気持ち悪いとか目が回るとか」
「ヒロも過保護ね。大丈夫よ。言ったでしょ? 私の世界では治癒魔法の後から症状が出たりしないんだから」
「頭と首は自覚症状がないことも多いんだ」
「さっきも聞いた」
カナのそっけない返事を聞きながら、ヒロは窓を見上げる。
通り二つ挟んだ向こうにヒロの家があり、その近所の野球場に透明な巨大ロボが膝で立っている……はずだ。離れて見ると陽炎の輪郭すらうかがえない。
墜落したヒロにとって幸いだったのは、減速する程度には推力を得られたこと。そしてヒロが最初にコックピットへ転移する前の、勝手知ったる地元の街だったことだ。無人の野球場に不時着し、人の目を避けて自宅に戻った。
その後、介抱したナタが「ごはん」と言いながら起きて、今に至る。
近くの席に客がいないことを確認して、ヒロは口火を切った。
「結局、お前らはなんなんだ? 俺の知ってる人間じゃないのは分かるんだが」
カナの頭を見ながら言う。犬耳がピクリと動いてヒロを向いた。
「私たちはね、異世界人よ」
「へー」
「……そう流されると凹むんだけど」
「いや、わりと予想の範疇だったから」
「それもそれで嫌ね」
グラスからクリームをかき出しているナタの前にパフェを滑らせ、カナは言葉を継ぐ。
「ざっくり言うと、復讐心を抱えた計画犯罪者と、追跡する警察、片方は復讐の対象……って構図が分かりやすいかしら」
イデアは世界を壊しかねないが、壊す前にナタを殺そうとしている。
カナたちはイデアを止めようとしている。
なるほど構図としては分かりやすい。
「犯罪者じゃないもん」
「知ってる。私たちだって警察じゃないでしょ。怒らないでよ、ヒロのための喩えだってば」
カナはナタをなだめて、ヒロを見た。
「空でも言ったけれど、私たちの世界には"魔力"も"魔法"もある。難しい話を飛ばして言うと、むしろ"魔力しかない"の。この世界でも、質量をエネルギーの数式で表せるでしょう? 双方のハードルをものすごく低くして、さらに霊的なスパイスを加えたイメージよ」
「そもそもカナが特殊相対性理論を知っている方が驚きだ」
「勉強したの。いま重要なのは、私たちの"森羅万象"は魔力でできてる、だから私たちは恣意的に作用させる"魔法"が使える。とまあ、そんな理屈が成り立つってこと。腕も風も同じモノだから。つながりの強度が違うだけ」
「なるほど。つまり、あのロボットも魔法と」
ヒロの軽い確認は、思いがけずカナを困り顔にさせる。
「その通り、と言っていいのか迷うわね。ゼロドライブ……私たちの機体については、一応魔法と言えそう。でもエクスマキナはどうなのかしら」
「追ってる相手だろ。分からないのか」
「ゼロドライブとエクスマキナはね、アーティファクトなの」
ナタがグラスの中でイチゴのクリーム団子を作りながら言った。
「いつ、どこで、誰によって、なぜ、どうやって作られたのか……なんにも分からない。ずっと聖域の森に隠されてきた。エクスマキナは、また別の世界からやってきたのかもしれない、って言われてる」
それ自体で次元を超えられるのだ。突飛な想像ではない。
クリームイチゴを口に運ぶナタの幸せな顔に、カナは頬を緩ませる。
「物質を魔力に戻したり、レシピ通り再構築したり、って技術があるの。ゼロドライブにはその魔法が使える。相応の魔力量と、デタラメに精密な"魔力の筋道"が必要になるけど」
だからゼロドライブもアーティファクトなのよ、とカナは肩をすくめた。投げやりになるほど精巧らしい。
ぴく、と犬耳が動く。鉄板ハンバーグを運ぶ店員が通り過ぎると、ヒロの方に耳が戻った。その耳を見ながらヒロは尋ねる。
「じゃあ、今もゼロドライブは呼び出せるわけか」
「正確を期すなら、この場に作り出す、ね」
ヒロと目を合わせたまま、耳だけが店員の運ぶトンカツを向く。やたら食う客が来たらしい。
「魔力さえあれば全員分作れるのか?」
「いいえ。ゼロドライブの"レシピ本"で制御できるのは一体ぶん。複製は不可能ね。あの大きさの機械を顕現させるほど膨大な魔力となると、勝手に相互干渉しちゃうから普通は制御できない」
つまり、存在すること自体が一種の奇跡だ。
顔色一つ変えずに犬耳が揚げ鶏を追いかけ、名残惜し気に戻ってくる。
ヒロは手を挙げた。
「すみません。特選牛ステーキと黒豚チョリソーと比内地鶏のチキングリルを一つずつこの娘に」
「ぴゃーっ!!」
カナが座ったまま飛び上がる。
「なんっ、まっ、言い方ァー! 私すっごい食べる子みたいじゃん!! 食べないよ!!」
「うるせぇ肉が食いたいんだろ!? 悪かったよ甘いもん頼んで! 犬だもんな、ごめんな!?」
「いいい犬じゃねーしっ! やめてよちょっと!」
犬耳を押さえて顔も真っ赤に抗議する。
だが結局店員に訂正せず、ご注文を確認する最中もそわそわチラチラしていた。食べるつもりだ。
「ふと思ったんだが。世界が違うのに、なんで言葉が通じるんだ?」
なにを今さら。そんな呆れ顔がヒロの疑問を受け止めた。
「世界同士が親戚だからね、相通じるのよ。それを言うなら言葉以前の問題でしょ。私やヒロが別の世界に行ってるのに、体が動かせて、生命活動を続けられるほうがおかしい」
「……ほう。確かに」
別の世界であるならば、呼吸可能な濃度で酸素分子を含む大気を持つ1Gの重力を有した慣性系であることの説明がつかない。
カナは上品にナイフとフォークを持つ。まだ料理来てないのに。
「この世界は多面体で、重ね合わせの状態なの。どの面が表になっているか、いいえ、どの面を"表と捉えるか"によって、世界が変わる。エクスマキナは多面体の“出目”を操れるわけ。グラサイよ」
「グラサイ」
ひどい能力もあったものだ。
「あの黒い機体……エクスマキナ、んで乗ってるのがイデアだっけ? 何者なんだ」
「イデアは、ね」
カナの視線がナタを向いた。
何も言わずナタは微笑んで、店内に視線を投じている。皿を満載したお盆を運んでくる店員が見えた。ヒロも彼女の視線を追って意識を逸らす。
だから、危うく聞き逃すところだった。
「私の、妹みたいなもの」
しゃべり終えたナタがミカンを口に含み、目を細める。
問い返す前に店員が来た。
「お待たせいたしました。特選牛ステーキのお客様……」
「はいっ! 全部私です!」
わくわくとステーキを受け取る嬉しそうなカナと、にこにことパフェを食べ続けるナタ。
イデアは妹みたいな存在。
なぜ、そんな相手に命を狙われる?
とても訊ねられる空気ではなかった。
なかなかの健啖ぶりを発揮して、二人はあっという間に完食した。
「はー! 美味しかった! ご馳走さまっ」
「よかったよかった」
「これでヒロからの援助は十二分。助かったわ。だから、もう大丈夫」
伝票を触ろうとしたヒロの手が止まる。
カナは優しい目でヒロを見ていた。
「散々助けてもらって勝手だと思うけれど。でもやっぱり、これは私たちの問題だと思うから。これ以上は巻き込めない」
「いや、でも」
言い募る言葉は止められた。
ナタがヒロの手に指を添えている。
「ねぇヒロ。……私たち、"人間"じゃないんだ」
息が詰まる。
どことも知れない原生林。空を飛ぶ巨大ロボット。そして空間を越える白いヒビ。
あまりにも現実離れしている。
そして実際に、この世界の現実ではない。
「ヒロみたいに無関係な普通の人が、優しさだけで関わっていいことじゃない。分かってほしいの」
分かっている。
コックピットで強打した胸郭が、まだ鈍く痛んでいる。
突然異世界に行って、そこに巨大ロボットがいて、襲ってくる敵がいて、少女を守るために戦う。
なんて、いい話だろう。
もしヒロが特別な存在なら、迷わず立ち向かい、彼女たちを救うことができたはずだ。
現実は違う。ちょっとロボ好きな、ただの高校生だ。
ヒロの手は小さい。人間のように。
「でも、」
それでも。
助けを求める声に応じたのは。
小さい手を拳に握る。
「俺だって、なにかの力になりたいんだ」
絞り出した言葉は、しかし。
「ありがとう」
優しい微笑で拒絶された。
二の句を継げずにいるヒロの前で、二人が立ち上がった。桃色の髪が揺れて、蒼い耳が震える。
話は終わり。
「ヒロ。――会えて嬉しかった」
カナまでも、そんなことを言う。
ヒロは。
結局、巨大ロボットに乗って飛び立つ二人を見送るしか、できなかった。
「俺じゃあ、なんの力にも、なれないんだな」
野球場の前で声を漏らす。
茜色が差し始めた空に、機体の輪郭はもう肉眼で捉えられない。
ヒロは首を振って歩き出した。
角を曲がって、
「は?」
【――――?】
水に垂らした墨汁のような。
わだかまる黒い煙のような。
道の真ん中に佇む"迷い子"が、立ち尽くすヒロを振り返る。
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