第2話 黒金スカイ
虚空を砕いて現れた腕は、
腕は正面スクリーンを覆い隠すと指を曲げ、鷲づかみに握る。見た目以上の衝突が機体を打ち据えた。
「なにする気だ。これ別の機体か!?」
ヒロが操縦桿をひねるよりも早く。
漆黒の腕に引きずり倒される。
平衡感覚がねじ曲がった。
「はぁ!?」
次の瞬間、眼下に広がっていたのは住宅街だ。原生林の緑はどこにもない。
見覚えのある幹線道路と屋根の配置に固まるヒロを、カナの叱責が叩いた。
「ヒロ、立て直して!」
「だあっ! そうだった!」
操縦桿を引きスロットルを押し開ける。
瞬間、景色が白く砕けた。
「なっ!?」
苔むした巨木の幹。
機首上げの勢いのまま機体は木に衝突した。
こらえる余地なくシートから体が飛び、ヒロは計器盤に胸を打つ。
「ぐぁっ! いってぇえええ!」
「ヒロ……っ!」
ナタもシートから落ちながらも、ヒロを支えようと手を伸ばす。手が届く前に重力がひっくり返る。
水面に叩きつけられた。二人の体が再度シートに蹴り上げられ、鈍い音が響く。
川に落ちていた。スクリーンの向こうで川面が波紋を広げていく。
「ぐ……わっけ分かんねぇ、なにがどうなった」
胸郭を押さえながら体を起こすヒロは、隣でぐったりと瞑目するナタに気づいて飛びついた。桃髪の間で、額が赤く腫れている。
「ナタ! 頭打ったか、くそ。カナは大丈夫か!?」
カナは後部座席に収まっていた。だが、彼女の目はヒロを素通りして正面スクリーンに向かっている。犬耳をピンと伸ばしたまま、唇を震わせた。
「こんな、ときに……イデア……っ!」
『なんか男の人の声があったね』
指が。
漆黒の指が、空を破る。
ビリビリと紙を裂くように虚空を掻くと、空の色は失われて白い裂け目が作られる。艶やかな漆黒と深い金に飾られた巨腕が、窮屈そうに隙間から押し出された。
腕だけではなく、肩、胴。そして頭。
地獄のように赤く灯る双眸が世界を見下す。
その視線は間違いなく、ヒロに、機体に向けられている。
『逃げてね、知らない男の人。積極的に巻き込むつもりはないから』
厳めしい外観にそぐわない舌足らずな少女の声で、黒い機体は警告する。
紛れもなくヒロのことだ。ヒロは機械仕掛けの悪魔を思わせる巨体を見上げた。
「巻き込むって、なににだ」
『ナタを殺すの』
事もなげに。
黒金は手のひらを伸ばす。光景が溶けるように影がにじみ出て、濃縮し、球を象っていく。迷い子とは比較にならない、光すら飲み込むような"異物"の砲弾だ。
「ヒロっ!」
「分かってる!」
痛いのなんのと言う暇もない。ナタを胸に抱え、ヒロは操縦桿を握ってスロットルをかち上げた。水の壁を作りながら滑る機体の膝下を黒弾が穿つ。
衝撃はない。
機体の膝下も、水も、川底もなかった。川のクレーターに水流がなだれ込んで渦を巻く。
「もがれた……!?」
「足くらい作り直せるわ。ヒロ、悪いけど操縦任せる!」
「期待に沿えるよう誠心誠意っ」
水柱を連れて機体が飛び上がる。
水柱の中腹がだるま落としのように丸く消滅した。幸いにも砲弾は貫通せず、対消滅している。
「くっそ、どこだここ! 日本でいいのか!?」
工業港ほとりの巨大な河だ。タワークレーンやかまぼこ型の倉庫が並んでいる。
高度を上げながら周囲を見渡していると、
『なんか、カナじゃないね。操縦してるの』
推力を切る。
背中を追い越して黒い砲弾が駆け抜けた。上空の雲を丸く穿つ。
「デタラメな……」
ヒロは落とした機体を立て直しながら、身を乗り出して背後を見た。
いない。
「上っ!」
カナの声に腕を弾く。
バランスを失う形で身をひねった機体の鼻先を、黒金の腕が通り過ぎた。
虚空から落ちてきた黒金は外した手で影をすくい、砲弾を次々と撃ち放つ。
ヒロは機体を寝かせながらスロットルを開けて、ひねり込む機動ですべてかわした。流れ弾が河面や畔などひと気のない場所をえぐる。
「うかつに避けることもできないな……っ!」
足下の色が工業地帯の灰色から住宅街のカラフルに変わる。もう落ちることはできない。少しずつ高度を取る。
周囲を見渡して、ヒロは黒い機体が出てきた空間に残る白いヒビに目を留めた。
「さっきのむちゃくちゃは、アイツの空間転移か」
『そうだよ。時空に穴を開けられるの』
正面から。
無造作に振られた拳を、籠手で押しのけて避ける。重量同士の打ち合う轟音が雷鳴のように空を打った。
「反則だろ!」
『む。ズルい、操縦うますぎ』
錐揉みに落ちる機体に噴射でカウンターを入れて立て直し、機首を上向ける。すれ違った黒い機体はその場に留まり、ゆったりと振り返っている。俊敏に追ってこない。
息を吸うのを忘れていたヒロは、頭痛をこらえて目をしばたかせた。
「ヒロ、平気?」
「俺、武器に向いてるかも。兵器だけに」
カナの声にダジャレを返す。冗談でも言わないとやってられない。
黒金の機体は両の手のひらに砲弾を生成している。あの様子では無尽蔵だ。
「馬鹿正直に飛んでたらジリ貧だぞ、これ……」
危機感に張り詰めたヒロに、背後の声が追従する。
「なんとか打って出る糸口を探さないと」
「はぁ?」
「え?」
ヒロは思わず身を乗り出して振り返った。
カナは犬耳をまっすぐ正面に向け、焦燥に強張ったままヒロを見つめ返している。好戦的な色はない。
「ナタが人事不省なんだぞ」
「あ……」
虚を突かれたように瞠目した。
カナの視線が移る。ヒロの腕の中で、未だにナタは眠っている。カナは痛みをこらえるように目を伏せた。
「そうね、その通りだわ。ちょっと……冷静じゃなかった」
「訳アリか、イデアと」
そうだよな。ヒロは独りごちて納得した。
でなければ、殺す殺されるなんて話にはならない。
「とにかく、話はあとだ。今は逃げないと」
「任せて。追跡を撒くくらいなら、自前の魔力でも持つと思う」
「自前のなんだって? おう!」
スクリーンに映りこんだ自機の腕が透き通っていく。
陽炎のように輪郭が揺らめいているが、眼下の街が見通せた。
「光学迷彩か!」
「なにそれ? これは透明化の魔法よ。長くは持たないし、激しく動くとほどけちゃう。ゆっくりお願いね」
「魔法……ま、今さらか。まずは落ち着ける場所でナタの様子を見ないと」
足元の景色に目を凝らすヒロの後ろで、カナはそっと振り返る。
はるか後方で黒い機体が白く砕けて消えていく。空の青に塗り潰される痕跡を見送って、小さく独語した。
「絶対に止めるわ、イデア。たとえ世界を滅ぼしたって、あなたの願いは叶わないんだから」
その声と言葉を、ヒロは静かに胸に刻む。
それが二人の"理由"なのだ。
と。
ガクン、と歯の根が浮くような浮遊感。
「うお? あれ、なんか急に……出力が上がらねぇ!」
「……あ」
振り返ると、カナは間抜けな顔で口を開いていた。
「ごめん、私ひとりじゃ魔法と魔力炉の同時制御はできないみたい」
「分かるように言ってくれ。つまり?」
「もう飛べない」
「くそぉおおおお!」
スカイダイビングよろしく両手両足を広げながら住宅街に落ちていく。
幸いなことがふたつあった。
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