魔力炉ゼロドライブ
留戸信弘
第1話 桃色フリル
――助けて。
「ん?」
――お願い、助けて。誰か。
「なんだなんだ。誰だ? どこだ? なんだかよく分からんが」
――ヒロ。
「俺は、ここだぞー?」
目の前に桃色フリルの尻があった。
「ギャー!」
「えっ? なに誰なに!?」
尻が上下左右に揺れる。
女の子特有の甘ったるい匂いにヒロは顔色を赤とか青とかにした。下がろうにも背中がつかえて動けない。
ヒロは制服姿のまま見知らぬシートに座っていた。そして少女は、なぜかアームレストの左右にそれぞれ足を乗せて前屈している。
狭い空間だ。カプセル、というよりも車の運転席、飛行機の操縦席が近い。四方に大きく張られた窓の青空を確認する余裕はヒロにはなかった。
少女が腰を捻って計器盤に尻もちをつく。
「え、なんで!? どこから入ってきたの!?」
「違う俺は」
混乱するヒロをさらに地獄に落とす事態、すなわち。
別の女性の声が背後から聞こえた。
「どうしたのナタ? わあっ!?」
「ああああ! 待ってくれ、俺は無実だ!」
ちょうどヒロの顔の高さに計器盤があるため、太ももの間からばっちり桃色フリルが見えている。
「違うんだ!」
「なに一つ違うところのない現行犯じゃない!」
背後の非難を遮って、少女が声を高くした。
「――ヒロ!?」
「誤解だ俺は助けを呼ばれて気づいたら! ……なんで俺の名前知ってんだ?」
バタバタさせていた手を止めて、ヒロはまじまじと少女を見る。
毛先がふわりとまとまったミディアムボブの桃髪、琥珀のような色合いを沈ませる丸い瞳、端正な面立ちに小さく開けられた口が映える。スリット入りのスカートも快活さに印象が塗り潰されている。
いっぱいに開いた両目を輝かせると、
「ヒロだぁ!」
「ぐヴォ……っ」
彼女は一転、喜色満面に大股開いてヒロの腹にどっかんと座った。顔をこね回す。
「わあすごい、本当に!? 本物だ! ヒロおっきくなってるー!」
「やへほ、ぼびまっべ」
そのとき、シートの横合いから少女が飛び出した。
蒼銀色の長髪をたなびかせ、頭頂部から一対の犬耳を震わせる横顔は焦燥に彩られている。
「ナタちょっとバカあんた、操縦……」
窓がふっと暗がりに呑まれた。
「あっ」
「え?」
椅子ごと衝撃に突き上げられる。
「ひぎぃいいい!」
「いやあああっ!」
「おごぉお!? わぎゃああ! ふぎゃあああ!」
ヒロは投げ出されそうな揺れの悲鳴と、両手両足でしがみつかれた熱やら感触やらの悲鳴を丁寧に分けて上げた。
ガツンどかんバキリばさり。
轟音の重奏が一通り終わり、腰が浮くほどのひときわ大きな衝撃がシートを蹴りあげると、唐突に鎮まる。
周囲は薄暗い緑に染まり、残響のような物音が遠く響いて消えていく。
窓に目を向けたヒロは息を呑んだ。
「なんだここ……」
どこかで見たような苔むした原生林が広がっていた。
屋久島のコマーシャルそっくりだ。地面は見えず、幹を見下ろしている。不自然に高い。
「うぅー、ごめんヒロ、カナ。そうだよ、空飛んでるんだった」
「ぱーどぅんみー?」
「つい喜んじゃって……ごめんねヒロ。今は行かなきゃ」
「行くってどこに」
その答えは、澄まし顔でヒロから体を離す蒼い少女が引き継いだ。
「"迷い子"が――私たちの敵がいるところよ。ナタ」
「ヒロ、目を閉じててね」
桃髪を揺らしてナタが立ち上がり、再びアームレストに足を乗せてインパネに寄りかかる。ヒロの斜め上方でスカートに飾られた桃色フリルが突き上げられた。
「やめてくれ! 清純な男子高校生には刺激が強すぎる!」
「私だって恥ずかしいよ! 目閉じてよヒロっ!」
「色ボケもスケベもいらないから、操縦に集中して」
「カナ他人事だと思ってー!」
ナタは悲鳴をあげながらも腕に力を込める。
森が沈んだ。
高速エレベータのような体が押し付けられる感覚が、あっという間に追い越される。強烈なGに手足が縛られ、かつてないほど顎が重い。
枝振りを突き破った。
空が青い。青空の下、地平線まで広がる緑の絨毯が山に向かって隆起している。
「オゴッ!」
水平G。
ヒロの体がシートにめり込む。ふくらはぎまでシートが長く伸びているようだ。
「おごご、なんだこれ。飛んでる?」
空を移動していた。
それも、途中で進行方向が変わるような推進方法で。
「私はナタ。名前ね、ナタだよ」
「あ、ああ。俺は
「知ってる」
ナタは肩越しに振り返っていたずらっぽく笑う。
笑顔の意味を図りかねるヒロをおいて、ナタは後ろに声を振る。
「カナも。自己紹介」
「……カナよ。べつに忘れていいけれど」
渋々という感じでカナが名乗った。トゲつきの声にヒロは頭を抱える。
「さっきから微妙に引っ掛かるんだけど。俺、お前らに会ったことあるのか?」
「あはは。大昔のことだから、覚えてなくても仕方ないよ」
朗らかに笑われてしまい、ヒロは困る。
二人ほど愉快な髪色の人類をそうそう忘れるはずもないのだが。
「ナタはさっきから何をしてるんだ」
彼女は不安定なアームレストに立って、 計器盤の脇から生える血圧測定器のような筒に腕を突っ込んでいた。健康をおもんばかっているのではなく、操縦しているのだろう。
「いや、おかしいだろ。なんでシートに立って操縦するんだよ」
ヒロは股の下から計器盤を覗きこんだ。
「ひゃウんッ!? あの、そういうのは二人きりのときに……」
「なんもしねぇよ!? そうじゃなくてお前これ、よく見ろ!」
「ごめん、後にして!」
にわかに声が鋭くなり、強烈なGとともに景色が急旋回した。
窓の外を黒い塊が数個、駆け抜けていく。
見送る暇もなく激しい衝撃が操縦席を貫く。墜落したときとは明らかに違う、狭く強い衝撃。
「なんだ? 撃たれてる? これどうなってんだ!」
「迷い子よ! 向こうから来てくれたわね。私が行くわ!」
「だめ!」
声が張りあげられた。
「ぜったい、だめ……!」
「じゃあっ! どうするのよ! 武器なしで戦うつもり!?」
「おい、そんな場合か……前! ナタ!」
口論の暇さえなく、正面スクリーンに黒い弾が迫る。 避けられない。
「危ない!」
腕がフレームインして弾を受けた。
腕、だ。
青灰色の籠手に覆われた巨大な腕が、ナタの動きに合わせて動く。
このパーツを持つ空飛ぶ乗り物はヒロの知る限りひとつしかない。
「――これ、巨大ロボットか!?」
「ナタ避けて!」
立て続けに激震。滅多打ちされている。ナタは細い足を沈ませて懸命に揺れに耐えていた。
窓に不気味な影が映る。
「なんだ?」
影を、そのまま引き延ばしたような。
水に落とした墨汁が溶ける途中で、空に逃げ出したような。
尾を引いて伸びる影そのもの。
影の先頭部が膨らみ、ぷっと食べた種を吐き出すように黒い弾を放る。
のどかな軌道とは裏腹の衝撃が機体を襲った。
「がぁ! ――あれか。あれが迷い子か!」
「くのっ! このぉ! ひい!」
「ナタ、意地張るのはやめて……っとぉ!」
「うぅー!」
ナタは懸命に逃げるが被弾は収まらない。
必死に揺れる尻を前に、ヒロは如来のような顔をする。
やってられない。
「ひゃァん! ちょっヒロ、悪戯しないでぇ……!」
「まどろっこしい! ちょっと代われ!」
ナタの股に腕を突っ込んで、計器盤の下に潜るレバーを引く。
がこん、とナタが揺れた。
「お、ととと? とっとっとぉ、あー!」
背中を反って耐えていたナタだが、限界を迎えてヒロの膝に落ちてくる。
彼女の膝で、がちんという音とともに計器盤が固定された。
「えっ? これ……」
「操縦席なんだから、シートに座って操縦するに決まってんだろ」
シートの前まで引き下されている。
ヒロは左右の筒に腕を差し入れた。最奥部それぞれに操縦桿が伸びている。プラスチックではなく、どっしりとした金属質だ。
操縦桿に合わせて機体が揺れる。親指の位置にあるホイールを押し上げると推進器が吼えた。三つのボタンはすぐに分かる反応がない。トリガーを絞れば、正面で機械の手が握られる。
「いける」
ナタがヒロを見上げた。
彼女に不敵な笑みを返し、ヒロはスロットルを押し開ける。
木々の上端を蹴るように加速し、次いで一直線に上昇した。
「え、ちょっと! そんな無造作に飛んだらいい的よ!?」
「分かってる!」
ヒロは重い体を動かしてシートから身を乗り出し、背後を見る。
迷い子は空を滑るように追いかけてくる。相手の方がわずかに速い。引き離せない。渦を巻いて頭が膨らみ、弾を吐いた。
操縦桿を弾くように傾ける。
推進器が入れ違いに噴き、鋭く姿勢が反転した。正面スクリーンを黒弾が駆け抜けていく。
迷い子と正対する。
「これ以上は、」
手首をひねり、スロットルをかち上げる。
逆進。
壮絶なGに吹っ飛びそうな体を、ナタが押さえてくれた。くらつく頭をこらえてトリガーごと操縦桿を強く握り、鈍い腕を動かす。
機体は応え、機械の腕を掲げ、拳に握る。
「やらせない!」
振り下ろす。
落下の勢いを乗せた鉄拳が迷い子を砕き、噴射するように煙を吹き散らしていく。そのまま風に溶けて迷い子は消えた。
ナタが呆然と声を漏らす。
「す、すごい……!」
「やべぇ殺っちまった! 大丈夫かな!?」
我に返ったヒロは狼狽した。
いくら外面が不気味とはいえ、あれが異世界の住人であればサラッと殺人を犯している。
「あ、大丈夫よ。迷い子は自然現象みたいなものだから。生物じゃないわ」
「そうなのか? よかった……」
とりあえず胸をなでおろす。
その瞬間。
機体前方の空間を裂いて、虚空から機械の腕が生えた。
「は?」
手のひらが迫り、正面スクリーンを覆っていく。
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