第24話
テキサスの夏は暑い。
大陸を撫でる乾いた土漠の風は、熱気を伴って体に吹きつけ、流れ出る汗をも干上げさせるほどであった。またそこに地面に乱反射した陽光が照りつけ、肌は陽焼けして赤く爛れた。
首元を乾鮭色に染めた南部のレッドネック達は、この日もイーグルフォード鉱区に卸す油井管を次々と生産していた。
豪田とテリーの関係は、その後も続いた。
二人は、テリーの住居のあるラ・グランジのモーテルや、ヒューストンのシティホテル、時には油井管ヤードの陰に隠れて、繰り返し愛を深めた。
この日、二人はある目的をもってテキサス州第三の都市ダラスへと向かっていた。
同州内といえど、南部の都市ヒューストンから北部ダラスまでは距離にして二百四十マイル(三百八十キロ)以上あり、ハイウェイを飛ばしても四時間はかかる。
時折、目にするガスステーション以外は、延々と続く背の低い綿花畠の広がるテキサスらしい風景の中、いつものように二人は他愛もない会話を交わした。
「へい、そういえばお前、日本でベースボールをやっていたと言ったな」
「ええ、三十歳手前まで―」
テリーの運転するピックアップでは、やはり御馴染みのナンバー、ZZトップが流れている。
エクスプローラーの特徴的な重低音が、路面からの振動と相まって、腹鳴りのように響いていた。
「では、レンジャーズのシマブクロって日本人投手、知ってるか」
何の気なしに問うたテリーだが、豪田の表情が一瞬、陰った。
島袋といえば、沖縄水産高校出身の名投手で、高校卒業後、読売巨人軍に入団し、その後メジャーリーグへと挑戦していた。
渡米後も先発ローテーションを守り、日米で重ねた勝ち星は百五十を越え、地元テキサスでも英雄扱いされるほどであった。
「ええ、まあ…」
テリーの問いかけに調子を合わせた豪田であるが、心の奥底で古傷が蘇った。
かつての戦友がテキサスにいることは既知だったが、豪田は敢えて触れなかったのである。
甲子園決勝で痛い敗戦を喫した豪田にとって、島袋の存在は一生忘れることは出来ないのだ。
「実は俺のマブダチのマブダチでさ、良かったら一緒に飲みに行かないか」
二人が店に到着した頃には既に西陽が傾き、街全体が橙色に染まっていた。オークローンのゲイストリートにもネオンが点され、早い時間帯であるが腕組をした男性同士のカップルが散見され、いかにも近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
豪田は、テリーの背中についていくと、路地裏にある小さなバーへと入店した。
店先には表札も看板なく、僅かに虹色の旗が掲げられているだけであった。
豪田は、恐る恐る扉の向こう側を見ると、そこには確かに、既視感のある顔があった。
しかしその異様な容姿を見て、豪田は思わず口を塞いでしまうのであったのだ。
「はーい、テキサスブロンコちゃん、久しぶり」
「やだーミセス・シマブクロ」
そこには、かつて甲子園大会で対戦し、その後、精確なコントロールと安定感から「テキサスの精密機器」と呼ばれた大投手、島袋がパンティストッキングにネグリジェという妖艶な出で立ちで佇んでいたのだ。
己の目を疑った豪田だが、透けたシルク生地からは、メジャーリーガーらしい屈強な肉体が垣間見える。間違いない、島袋だった。
「あら、もしかしてそこにいるのは豪田さんじゃない」
豪田は、必死に顔を隠そうとしたが、聞き覚えのある声を聞いた瞬間、かつての戦友の島袋と対面した。
豪田が呆気にとられている間、
「あなたたち高校時代のお友達なんでしょう、一緒にお話しを聞かせてよ」
と、急におネエ言葉になって手を招くテリーに、豪田は忍び足で近寄った。
「し、島袋、貴様…」
島袋といえば、言わずと知れた球界のエースであるが、不思議とここまで浮ついた噂はなかった。
野球選手といえば、女性ファンにも絶大な人気があり、しばしばモデルやタレントと密会する姿が週刊誌のネタにされるものだが、島袋は違った。
加えて、毎年十億円もの大金を稼ぐ大投手が、三十六歳になって独身というのも、違和感があった
「豪田君、あんたには言わなかったけど、実は私、ホモなの」
島袋は飄々と打ち明けてみせたが、しかし、相手がホモであろうなかろうと、かつてのライバルには変わりない。
豪田は毅然とした態度で島袋に対峙した。
「敗者に物言う権利は毛頭ないが、今から二十年前の甲子園大会で優勝投手となり、巨人のエース、そしてテキサス・レンジャーズに入団し英雄扱いを受けている貴様が、実は女装癖のあるホモであるとは、かつてのライバルとしてこれ以上に無念なことはない」
豪田が声を荒げると、島袋は俯き加減ではあるが、低い声で反論してみせた。
「よく人のことが言えたものね。あなたも、大学時代は二刀流(バイ)で鳴らしてたみたいじゃない。知ってるわよ、あなたもホモなんでしょう」
島袋は図星を射た。
「く、なぜそんなことを」
「鮫島さんよ」
鮫島といえば、紫水学園の元寮長で野球部主将であり、豪田が私淑してやまない存在である。同時に、豪田の初恋の相手でもあるのだ。大学卒業後と同時に巨人軍に入団した鮫島は、島袋の元チームメイトであるため、二人は面識があるはずだ。
「鮫島さんから聞いたわよ、あなた可愛いお尻をしていたって」
島袋は含みのある微笑を浮かばせて言った。
「まさか、島袋、貴様、鮫島を寝取ったのか」
「ウフフ、何か問題でも?」
豪田は、悔しさのあまり唇を噛み締めた。
豪田にとって、鮫島とは雲上人であり、高校を卒業して二十年が経とうとしている今も、頭の上がらない存在である。
かつて過ごした紫水学園の峻厳な仕来りは、あれから大学、社会人を経た後も、心の奥底に残り続け、その因習が抜け切れずにいた。
高校時代の師弟関係は今も変わらず、そして高校時代の戦友は、いまだに良きライバルなのだ。
豪田、島袋、鮫島の間で、奇妙な三角関係が生まれた。
島袋は意地の悪い笑みを浮かべながら、
「どう、私の逸物を試してみないかしら?」
と、豪田を誘惑してみせた。
島袋の股の間には、シースルーのドレス生地から立派な逸物が垣間見えていたが、豪田は思わず頬張りたくなる衝動を抑えた。
ここで誘惑に負けてしまえば、今度こそ本当に豪田の敗戦である。
耐えかねて豪田は店を抜け出すと、そのまま独り、駆け足でオークローンの街を彷徨った。
「変ね、あの子、うふふ」
島袋は、冷めたく嘲笑したまま煙草を蒸かせた。
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