第19話

ヒューストン北部、ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港を降りた豪田は、慣れない土漠の乾いた空気に目を顰めながら、インディアンイエローのキャブに乗り込むと、空港から一旦南下し、ヒューストン中心部から同心円状に広がる環状線ルート八を西に周回した。

窓外には、近代的なガラス張りのビル群と、その反対側には背の低い綿花農園の草々が、遠く地平線まで広がっている。

そんなヒューストンの街並みを背景に、豪田は初めての海外生活を哀愁深く思いつめていた。

新年度となった豪田に言い渡された辞令は、思い掛けない内容であった。

「豪田は翌年度、安徳鉱研株式会社への出向を命じる」

「鉱研、ですか?」

ジョーの口から飛び出した聞き慣れない社名に、豪田は表情を歪めた。

日本を代表する巨大財閥系グループだけに、「安徳」と付く社名は数多あるが、鉱研会社とは一体、何を生業としている会社なのか、豪田には全く見当もつかなかった。

不安を募らせる一方で、その後、三月中旬に正式な辞令交付を受けた豪田は、海外転勤準備や業務引継など、息つく暇もないまま日本を発つと、そのままヒューストン支社へと足を運ぶのであった。

豪田を乗せたタクシーはルート八を西方に向かい、そのままルート十へと流れた。

ヒューストンのビル群を後方に、ルート十を西部に走ること二時間、ブルックシャーにある安徳鉱研テキサス支社に到着した頃には、成田からの十四時間のフライトと、狭い車内で移動に、豪田の顔にはくっきりと疲労の色が見えていた。

豪田は、ドライバーにチップを支払うと、日本からの生活用品の詰まった重たいキャリーバッグを引き摺りながら、事務所へと入っていった。

全米第四の人口規模を誇る巨大都市ヒューストンだが、市域部から離れると南部州らしい手付かずの土漠と、長閑なコットンベルトの風景が広がっていた。

初めての海外勤務に淡い期待を抱いていた豪田だが、そこにあったのは、農場を切り拓いた砂地に建てられた工機工場と、四万平米もの油井管ヤード、そして今後、豪田が席を置く二階建の侘しいオフィスであった。

正門をくぐると豪田は、愛想のない黒人の守衛に「ゴウダ・ユウキ」と名乗った。豪田が日本人であると分かると、守衛は下げずんだ目で豪田を見つめながら、無言のまま応接室へと案内し、捲し立てるような南部訛りの英語で「そこで十分ほど待て」と言い放った。

岐阜も田舎であると感じたが、ここは広大なテキサス。窓外にはやはり、背の低い綿花農場が地平線まで広がっていた。

米国企業らしい広い応接には、革張りのソファに、背の低い丸テーブル、名も知らない画家の絵画が飾られていた。そこで待つこと数分、現れたのは安徳鉱研現地支店長の黒宮であった。

「やあ、私がテキサス支店長の黒宮だ」

黒宮がアメリカ式に握手を求めると、豪田は、

「はじめまして、豪田と申します」

と、緊張から上ずった声で応えた。

黒宮は、ジーンズにポロシャツというラフな出で立ちで、初めての米国生活で緊張した面持ちの豪田を、簡易的に迎え入れた。

国際電話で黒宮の声を聞いた時には、もっと大柄な男を想像していたが、そこに現れたのは、痩身で眼鏡の似合うサラリーマン風貌の男性である。

黒宮が席に座るのを確認すると、後に続いて豪田も腰を下ろした。

黒宮は、長い足を組み、まるで初対面でないような飾り気ない様子で、話し始めた。

「どうだい、ヒューストンは」

慇懃とした日本の挨拶と違い、アメリカ式のざっくばらんとしたやり取りを交わしながら、豪田は「ええ、何もかもスケールが大きいですね」と、当たり障りのない回答をした。

黒宮は満足気に首を縦に振ると、なにやら鞄からA4サイズの冊子を取り出し、豪田に手渡した。

豪田が目を通すと、そこには安徳鉱研の会社設立の経緯や業務内容が、記されていた。

「これから君が就く油井管製造部は、読んで字の如く、油井管の原料となる圧延鋼管を鉄鋼会社から購入し、工場で加工した後、採掘会社に卸すまでの、受発注管理、製造、そして物流管理を一貫して担っている」

豪田は、油井管という聞き慣れない言葉に首を傾けたが、まずは黒宮の説明を傾聴するに徹した。

「安徳鉱研は、もともと資源採掘に用いる採掘機械の開発、製造を専門に行っていた。採掘機の中には、研磨機や内部モーターなど、安徳工機から購入した部品を用いるため、二社は切っても切れない関係だ」

黒宮の説明によると、安徳鉱研の設立は思いのほか古く、高度成長期以前は炭鉱や鉄鉱といった岩盤切削を専門としていたが、その後のエネルギー革命で天然ガスや石油に消費の中心が転換すると、海洋資源の採掘技術開発に事業を変換した。

資源を持たない日本において鉱研技術の発展は困難を極めるが、同財閥グループの安徳商事とともに、早期から海外転換に臨み、事業を拡大していった。

安徳鉱研は、売上規模こそ小さいものの、日本でも数少ない資源採掘用機械の開発事業で、業界では重要な位置に君臨しているのだ。

「近年、シェールガスの採掘増に伴い、油井管需要も高まっている。シェールガスの採掘には、頁岩層と呼ばれる地下三千メートルの層を水平に掘削する必要があり、その分多くの油井管を使う。テキサス州にはシェールガスが豊富に存在し、実際、ここブルックシャー工場も、生産増とともに工場を拡大し、現地作業員の雇用を倍増させた。シェールガス用油井管の開発には、同じ財閥グループの安徳商事を中心に、鉄鉱大手の帝国鉄鉱、現地の掘削会社のテキサス・ディルド、そして安徳鉱研が関わっている。現にここの事務所にも、各企業から社員が派遣されている」

たしかに豪田がここに来る途中、事務所内を見渡したが、それぞれ社名の異なる社員証を下げた従業員が点在しており、日本人の姿も散見された。

テキサス支社では同州内外で使われる油井管を年間二十万本製造し、その数は今後も増える見通しだという。

油井管内部は、ガス噴出時に非常に大きな圧力が加わるため、強い剛性が求められる他、腐食しにくい素材、更にはガス洩れを起こさないよう高いシームレス加工技術が要される。

豪田の仕事は、鉄鋼メーカー、化学品メーカーから、鉄や炭素といった油井管の原料を買い付けることだが、生産計画、貯蔵、輸送管理といった川中事業を一貫して見るため、思いのほか、頭脳を使う。

「では、私からの説明は以上だ。聞くところによると、海外生活も初めてのようだから、衣食住など、何か困り事があればいつでも相談してくれ。夜はささやかながらウェルカムパーティを開くから、万全の体勢で臨むように。では」

黒宮は捲し立てるような早口で三十分程の短い説明を切り上げると、豪田のその日の勤務は終わった。


豪田はヒューストン郊外の自宅アパートに向かうと、日本から運ばれた荷を解きながら、初の海外生活に不安を募らせた。

米国式の広い間取りのアパートには、一人暮らしにも関わらず、トイレ、バスルームが二つずつ設けられてあり、またベッドルームも二部屋あった。広いキッチンには七面鳥が丸々一羽焼けそうな巨大なオーブンが備え付けられ、とても一人では使え切れないと感じた。

窓外には広い駐車場にピックアップトラックが複数台並び、またその先にはウォルマートの看板が掲げられている。

豪田は、これがアメリカか、とスケールの大きさを実感しながらも、一方でその広過ぎる部屋が孤独感を助長した。

ここでは親しい友人もいなければ、日本語の通じる同僚も少ない。

豪田は、部屋の整理をしながらも、六時から始まるウェルカムパーティのために部屋で待機していると、車のブレーキ音の後に、ドアベル鳴るのが聞こえた。

身支度を整えた豪田が玄関の扉を開くと、そこには思い掛けない人物が立っていた。


「豪田、久しぶりだな」

見覚えのある精悍とした顔付きは、かつて大学時代、野球部のチームメイトであった浅野拓也であった。

浅野といえば、その甘いマスクからチーム一のプレイボーイとして知られ、豪田も何度か合コンに誘われたが、男には皆目、興味がなかったため、一度も合コンに行くことはなかった。

その後、趣味が合うはずもなく疎遠であった二人だが、浅野は社会人以降、野球を続ける意思を諦め、大学卒業と同時に安徳商事に入社し、二人は奇しくも同じ財閥グループの下で働くに至った。

「出向者リストに君の名前を見て驚いたよ。まさかとは思ったが、豪田という珍しい姓はなかなかいないから、すぐに君だと分かった」

二十代後半まで社会人野球部に在籍していた豪田に比べ、浅野はすっかりスーツの似合う商社マンらしい身形をしていたが、気の置けない話し方は当時と変わっておらず、すぐに二人は意気投合した。

「すまないな、僕などのためにパーティなど」

同財閥グループの統括会社である安徳商事に比べ、安徳鉱研は存在感の薄い会社であるため、豪田は謙遜してみせたが、対する浅野は気にする様子もなく「何言ってるんだ、水臭いのはよせ」と豪田の肩を叩いた。

豪田は浅野の運転する車に乗り込むと、ヒューストンにあるホテルへと向かった。

ウェルカムパーティは、ホテルのレストランを貸し切った立食形式であったが、思ったよりもカジュアルなスタイルで、豪田はすぐに溶け込むことができた。

パーティは、豪田を含む、四月から加わった日本人の歓迎が中心で、現地人と日本人の割合は半々といったところであろうか。

もともと酒に強い豪田ではないが、自身を歓迎するムードに気を良くし、ビール二杯とジン、カクテルなどを口にし、すっかりと酔いが回った。

「なあ、豪田、せっかくテキサスに来たのだから、もっと楽しい場所に行こうぜ」

浅野は豪田のもとに寄ると、筒の長いシャンペングラスを傾けながら、小声で囁いてみせた。

「楽しい場所?」

不敵な笑みを浮かべる浅野に、豪田は不審な思いを抱きながら問うた。

「メキシコだよ」

「メキシコ?」

米国最南部、メキシコ国境に位置するテキサス州は、同国から流入した文化が数多く存在し、実際に街中でも料理や地名など、スペイン語の付くものを散見する。

しかし、そもそも豪田は海外に来たのも初めての経験であり、また浅野がわざわざ遠出してメキシコなど行く理由が解せず、答え倦ねた。

「アメリカじゃ風俗は違法だが、メキシコは合法だ。だからテキサスに住んでいる駐在員は皆、週末ともなるとメキシコに向かうのだ」

なんだ、そんなことか、と豪田は溜息混じりに苦笑した。

大学卒業以降、長らく顔を合わせていなかったが、持ち前の「すけこまし」は変わっておらず、豪田は躊躇いながらも、

「風俗か、僕はあまりそういうものは興味がないな」

と、適当にあしらってみせた。

浅野らが話す風俗とは、当然、男性を対象とする性風俗店のため、ホモの豪田には全く興味がないのである。

豪田にとって風俗とは、つまり同性に抱かれるのを意味するのだ。

「なに、怖がる所じゃない。実は明日、日本から来る出張者と一緒に、ティフアナに行く予定なんだが、君も来るかい」

ティフアナは、カリフォルニア州南部の都市サンディエゴから車で僅か二十分の位置にあるメキシコ最大の赤線地帯である。

ティフアナは国境沿いにあるため、週末ともなればアメリカからの旅行者で賑わい、また近年では日本人渡航者も増加傾向であった。

渡航者達の目的はひとつ、ラテン系の美女を抱くためであるのだ。

「昼はビーチで適当に観光を楽しんだ後、夕方から赤線地帯に入る。どうだ、乗るか。早速、航空券を手配しておくから、是非一緒に行こう。明日朝十時にアパートまで迎えに行くから、一晩分の着替えとパスポートを用意して待っていてくれな」

半ば強引な浅野の誘いに断る隙もなく、突如メキシコ行きが伝えられた豪田は、複雑な心境のなか、家路についた。

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