第16話
過酷な学園生活はその後も続き、三回生に上がる頃には、豪田は終にスリザリンの寮長、そして野球部主将となった。
全国制覇の大志を抱き三年の夏に臨んだ甲子園大会では、甲子園の土は持ち帰らないと心に決めたものの、紫水学園のグラウンドには、黒い土が積もった。
最後のバッターボックスに立った豪田は、沖縄水産高校の好投手島袋が投じた低めスライダーに空を切り、あと少しという所で無残にも散った。
どれもこれも、島袋だ。
紫水学園を抑え甲子園大会で優勝した島袋は、高卒新人ルーキーとして、鳴り物入りで巨人軍に入団。
一方で、古豪紫水学園、不動の四番として活躍し、プロ入りを有望視された豪田であったが、将来を見据え、大学に入学することを決めた。
野手は大学四年間でしっかりと土台を築いた方が良いという父親の助言もあったが、一方で島袋に対し引け目を感じていたのも真であった。
全国的に強豪と謳われた紫水学園だが、上には上がいる。
島袋の剛球を見たとき、豪田は、もう少し経験を積まないと、プロでは絶対に通用しないと自覚したのだった。
豪田は高校卒業後、東海地方の大学リーグで強豪とされる名古屋工科大学に入学した。
名古屋工科大学は、数多くのプロ野球選手を輩出する名門で、全国制覇の実績もあり、高校時代に甲子園で活躍した多くの球児達が入学した。
しかし、大学へ入学した球児達は、高校時代に比べ校則などの制約もなくなり、半ば弛みきった生活をする者も多かった。
また大学生たるもの、将来を期待されたプロ有望株も多く、女性ウケもいいため、合コンに明け暮れる同級生が多数いた。
「チクショウ、僕という男を差し置いて、皆、女遊びかい」
元来、真面目な性格の豪田は、夜の生活など無縁であったが、何より女性に興味を失っていたため、合コンなど、皆目、参加する気も起きなかった。
しかしそんな豪田にも周囲からの誘惑が付き纏い、入学して間もない頃、同じく野球部で、一番のプレイボーイで知られる浅野拓也から合コンに誘われることがあった。
「豪田、今晩、名古屋女子大と合コンに行くんだが、人数が足りんのだ。良かったらお前も一緒に行こうぜ」
浅野は野球人らしからぬスラリとした撫で肩をしながら、端正な顔立ちで女性人気があり、実際、高校時代も甲子園で黄色い声援を浴びていた。
豪田は手を振り払い様に、
「いや、僕はそういうの苦手だからいいよ」
と言うと、浅野はつまらないものを見るような目付きで
「何言ってんだよ、さてはお前、童貞だな」
と小馬鹿にして言った。
浅野は人脈も広く、気の置けない性格だが、女たらしのだらしない所があり、ストイックな豪田としてはどうも溶け込み難い雰囲気があった。
女子禁制の紫水学園出身の豪田は、高校三年間、女子と接する時間もなかったため、当然、女性経験はないのだ。
「ああ、俺は女には興味がないからね。女とはやったことはないよ」
強がって見せる豪田に対し、
「なら尚更じゃないか、俺が紹介してやるよ」
と、半ば強引に浅野が手を引くと、すかさず豪田は、浅野の手を握り返してみせた。
「でも、男となら前も後も経験済だけどね」
豪田は不適な笑みを浮かべて言い返した。
その瞬間、浅野は絶句した。
その後、浅野による風説により、豪田は大学四年間、「変態ホモ野郎」とイジメに合うことになる。
「豪田と一緒に風呂に入るとカマ掘られるぞ」
野球部は寮制のため、浴場は共用であるが、豪田が風呂に入ると同時に、他の学生は尻穴を抑え一斉に逃げ去るのであった。
「なんだい、僕はホモだけど、男なら誰でもいいというわけじゃないぞ」
豪田は悔しがると、ひとり虚しく洗体するのである。
豪田の大学生活を巡る不安は、何も野球に限らなかった。
今時、携帯電話やパソコンで世界中の情報が見れる世の中で、世俗から完全に隔離された高校生活を強いられた豪田には、教科書以外の情報が全くといってなかったのだ。
「へぇ、人類は初めて月に行ったのか」
豪田は、空中を浮遊しながら月面を歩く宇宙飛行士を見て、久方振りに見るテレビ画面に釘付けになった。
その他、名前も知らない芸能タレントや、世界中のニュース番組など、何もかも豪田にとっては新鮮なものに感じられた。
「初のメジャーリーグ日本人野手誕生か、イチローはいつの間にかアメリカに行ってたんだな」
豪田は、テレビで伴わせた知識を大学に持ち寄っては、嬉々とした様子で仲間に話し掛けるのだが、当然、返ってくる反応は邪険なものであった。
「なぁ、イチローって野球選手を知ってるか」
「は? お前、何を言っているんだ」
「野手がメジャーで通用するかなぁ」
前年、イチローは既にメジャーリーグ年間最多安打、MVPなど、タイトルを総なめにしており、豪田の発言はとても常識的とはいえなかった。
「お前、変な薬でもやっているのか…」
豪田は、特に知恵が遅れているということはないが、時折、このような頓狂な発言をするため、周囲の同世代に馴染めず、学生時代についたあだ名は「小野田寛郎」。
戦後三十年もの間、フィリピン・ルバング島に閉じこもっていた日本兵にちなみ名付けられた侮称であるが、人里隔離した環境にいたため、作戦解除命令が為された後も、世の中の情勢を全くもって伴わせていなかった。
それは岐阜の山中で過酷な高校時代を送った豪田と、似て非なるものがあった。
豪田はその後、大学で社会情勢を必死に学んだものの、感受性の高い高校三年間の溝は深く、その結果、一際ステレオタイプが強い性質を伴ってしまった。
ある日、大学の講堂で、同学年の一般男子学生を見かけたことがあった。
男は短髪、太眉で、また細身のジーンズを履いており、豪田はその奇怪な出で立ちに、釘付けになっていた。
「むむ、あれはもしやホモだな」
中性的な体付きの男を見て、直観でホモだと確信した豪田は、男の背後につき、耳元で次のように囁いてみせた。
「やぁ、君の股間が疼いてるよ」
大学生たる者、高校時代までと違い、多少、色恋に溺れても後ろめたさはない。
しかし、男の反応は、豪田の淡い期待を裏切るものであったのだ。
「気色悪い奴だな、警察呼ぶぞ」
男はそう叫ぶと、豪田を撥ね退け、走って逃げてしまった。
「くそう、絶対にホモだと思ったのに」
落胆する豪田であるが、よくよく見てみると、学内には同様の格好をした細身の男子学生が多くいることに気が付いた。
最近の男子学生は、中性的な格好をする者の方が多く、寧ろ豪田のように体育会で体を鍛えている男児は少数派であったのだ。
「これが流行り廃りというものか。カマっぽい格好をしやがって、思わせぶりだな」
豪田は、細身の男は皆ゲイだと信じ込んでいたのだが、どうやらそれは飛んだ思い違いだったのだ。
このように、社会から隔たれた空間で育った豪田は、書籍や新聞から入った情報を強く信じ込む傾向があり、固定観念が先行するようになってしまうのである。
こういった性質を脱却するには、失われた高校三年間分の常識を取り戻す必要があり、それには予想以上に時間がかかった。豪田の学生生活は、野球漬けの小中学校時代と、飛騨高山の過酷な隔離生活、そして「変態ホモ野郎」、「小野田寛郎」の二重烙印の押された大学時代と、多くのものを犠牲にし、歪んだものとなってしまったのである。
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