第8話
朝七時、起床から三時間しか経っていないはずなのに、既に一日分の疲労が溜まっている感覚すらした。
まだ陽も昇っていない早朝四時に叩き起こされ、素手で磨いた便器を舐めさせられ、味のしない食事を済まし、先ほど舐めたばかりの便器に用便を足した。
卸したばかりの糊の匂いのする学生服に袖を通した新入学生は、過酷な寮生活の洗礼から、新入学生らしい晴れやかさもなく、陰気臭い表情を浮かべたまま、寮の門に並んだ。
入寮時は夕方だったため気が付かなかったが、寮の外壁には脱走防止の有刺鉄線が張り巡らされ、また至る所に監視カメラが設けられていた。四画の望楼には自動操銃を構えた寮監が、今にもその銃弾を放とうとこちらを狙っている。豪田は、とても生きた心地がしなかった。
「進めー! 進めー! 紫水学園!」
寮から学校までの凡そ十キロの道程を、寮旗を掲げた寮長を先頭に、駆足で登校する。
寮長といえば、七十五人の団体を引き連れる雲上の存在で、常に中立で厳格であり、皆を先導するリーダーシップがある者が選ばれる。
「おい、見ろよ、紫水の連中。気色が悪い奴らだな」
紫水学園は、外界から完全に遮断された狭い社会ゆえ、学内の常識が社会に通ずることはない。寮から学校までの間、途中通過する住宅では周辺住民に罵詈雑言の嵐を掛けられ、小学生から石礫を投げられる始末であった。
それでも偲び難きを忍び、邁進するのが紫水学園生である。
恥を感じることこそが真の恥であり、周囲にどのように思われようが、大声を張り上げ、一心に行進することが、心身を鍛える唯一の方法なのだ。
生徒らは学校に到着するや否や、そのまま校庭に整列すると、巨大な学校長の肖像画の前で校歌斉唱を実施した。
万歳三唱、我が学舎は
恨み戦慄、勇ましく
瞼に浮かぶは、我が君の笑み
雄雄しく燃える、心の炎
覚悟を決めて、進国せよ
我が命を捧げよ、祖国のために
まるで軍歌のような歌詞であり、これが毎年の甲子園で流れるというのだから、宗教的と揶揄されるのも仕方ない。もっとも、テレビも新聞もない学内では最新のニュースを会得することができず、当の学園生は外界からどう思われているか知りようもないのだが。
「皆、校長の前に平伏すように、校長は神の存在、全物質における信仰の対象である」
教頭が朝の講和を始めると、生徒は最敬礼をしたまま、微動だにせず立ち尽くした。
紫水学園の学校長、鬼田権造元陸軍大佐は、その厳格な教育思想で知られ、この岐阜御岳山の山奥に、聖域ともいえる高等教育機関を設立した名士である。
校訓である「色気を出すな、奴隷として生きよ」の標語が高々と掲げられると、生徒は皆、拳を上げながら絶叫するのであった。
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