第7話

翌早朝四時、疲労と緊張でさすがに意識が薄くなり、漸く眠りにつけそうだと思った矢先、未だ漆黒の空に包まれる飛騨高山で、けたたましい鐘の音とともに、紫水学園の一日は始まった。

「起床ー!」

廊下を走るドタドタ音と怒声がし、何事かと思うと、突如照明がつけられ、先輩らが寝室に駆け入ったのだ。

「おい、一年坊主共、先輩より長く布団に入っているなど、言語道断、さっさと布団を四角に折り畳み、廊下へ整列せんか」

部屋の扉側にいた大甕は拳で殴られると、起床とともに気を失って倒れた。その様子を見て、他の新入生は、言い様もない緊張感に包まれた。

「起床だ! 起床! 起きろ、新入生共!」

次々と二年生、三年生が寝室に殴り込むと、布団を剥ぎ取られ、廊下に連れ出された。

「点呼!」

先輩方の小気味よい点呼の後に、新入生の気怠い声が続くと、鮫島寮長は剣幕を荒げた。

「今年の新入学生は元気がない。今日は待ちに待った入学式だぞ。キビキビとせんかい」

四時五分、廊下に整列させられた一年生二十五名は、屈強な先輩生徒に一発ずつ殴られ、喝を入れられた。痛みでその場に転げ落ちる者もいたが、転げ落ちた挙句、鳩尾を蹴り上げられ、泡を吐いて気を失った。

「やはり、普段から殴られ慣れていない分、軟であるな」

気を失った生徒は抱えられ、晴れの入学式の朝に、医務室に運ばれた。

紫水学園の一日は、一分足りとも気の休まる時間はない。

起床後すぐに、生徒達はそれぞれの持ち回り、立ち回りで、清掃活動を開始する。

一年生は、二年生以上に連れられ、男子便所に向かうと、早速トイレ清掃を行った。

「便所掃除は、小便器も大便器も素手で洗うのが紫水流だ」

「す、素手ですか?」

豪田は頓狂な声を上げた。

「ああ、そうだ。黄ばんだ陶器が、白く輝くまで手で磨くのだ。飛び散った糞便の滓は、爪で擦り落とせ」

見本とばかりに、二年の二宮は、掌を思い切りに便器に擦りながら、冷水を流し、汚れを落とした。

「ここには束子や洗剤といった高尚な道具はない。己の素手だけで磨き上げることで、便器だけでなく、洗っている本人の心も磨き上げるのだ」

二宮は一つ目の便器を磨き上げると、糞便の付着した手を豪田に見せつけた。

「貴様、昨夜は用便を足したか? 貴様の糞便が付着した便器を、ワシの手で洗ってやったのだ」

真の連帯感は、下の世話から始まる。糞便の世話というのは、本当に心を許した間柄でしか成立し得ないのだ

二宮は便のこびり付いた手で豪田に握手を求めると、豪田は思わず吐瀉してしまった。

「そして仕上げは、最後に便器を舌で舐めるのだ」

二宮は、目前いた大甕を捕えると、首に手を回し、無理に押し下げ、便器に顔を近付けた。

「舐めろ!」

当の大甕は、顔を便器から背けようと、必死に耐えた。

「無理です、舐められません!」

「何故、舐められぬのだ!」

「便器は汚いからです」

「汚いのは洗い方が足りんからじゃ、もう一度よく洗って舐めろ」

二宮は、大甕の頭を便器に打ち付けると、忽ち、大甕の額からは鮮血が噴出した。

白色の陶器が赤く染まり、みるみる血溜りができた。

その惨状たるや、見ている者も口を覆うほどであった。

大甕は、尚も抵抗を続けた。

「たとえ洗ったとしても、絶対に舐めたくありません、皆が糞便をする場所を舐めるなど、精神的に無理です」

「それは貴様の精神が歪んでいるだけだ、俺が貴様の曲がった精神を更生してやる。舌を出せ」

そういうと二宮は大甕の顎を掴み、先ほど便器を磨いて糞便の付着した指で舌を引っ張り出すと、そのまま便器に触れさせた。

大甕は堪らず嘔吐し、昨晩、食べた稗と粟の粥が、黄色い胃液とともに吐き出され、便器の中の血に混じり、赤錆色に変色した。

他の新入生も同様に、次々と先輩に首元を掴まれ、便器を舐めるまで袋叩きにされ、怯んだとこで舐めさせられた。

拳を突き上げ寮歌斉唱しながら、素手で便器を磨き、舐め仕上げる。声を出さなければ、殴る蹴るの暴行が振るわれる。こうした惨い仕打ちの中で新入生は自尊心を折られ、一方で先輩らは、後輩との間に完全な主従関係を作るのだ。

五時になり、漸く清掃が終わると、朝から怒り鉄拳を喰らった新入生らは、顔を四角く変形させながら、漸く朝食にあり付いた。

腹を空かせていたものの、食卓に並ぶ献立は、昨晩同様に、玄米、薩摩芋、玉蜀黍粥、鰊の塩漬けを湯で溶いたスープ、沢庵、浅漬けなど、やはり味付けが薄く、吐き出しそうになりながら口にした。

食事が終わると、先ほど舐めさせられたばかりの便器で用便をする。

真っ白な陶器に用便が垂れると、また翌日もこれを舐めさせられるのかと、豪田は複雑な心境に陥った。

数百名の生徒に対し、大便器は僅か三台。

豪田の後には多くの寮生が並んでいた。僅か一晩ではあるが、あまりに惨い仕打ちに、恐怖とストレスから、下痢を催す新入生が絶えずにいた。

「おら、一年坊、さっさと便を済まさんか」

「先輩より先に用便を足すとは何事だ」

扉の外から罵詈雑言の嵐が飛んだ。

スリザリン寮に在籍する七十五人が、三つしかない大便器に大挙したが、胃腸の弱い新入生が我慢できず失禁すると、「貴様、手で床を拭けよ」と、やはり怒り鉄拳が飛ぶのであった。

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