第4話
岐阜県南部、木曽川沿いの羽鳥に生まれた豪田は、公務員である両親により、順風満帆な少年時代を過ごした。
小学生ながら身長は百六十センチを優に超え、父親譲りの恵まれた体格と類稀なセンスから、地元の少年野球チームに入部すると、みるみるうちに頭角を現し、全国大会に出場。中学以降も地元のシニアリーグにおいて主軸として活躍した。
豪田は毎夜、学校から帰宅すると、腕立て、腹筋といった筋力トレーニングだけでなく、木曽三川である木曽川、長良川、揖斐川を、対岸まで泳いでは次の川まで走り、さらに対岸まで泳ぐという過酷なメニューを繰り返した。
こういった練習法は、どれも、プロ野球を志したが怪我により大志を諦めざるを得なかった父による指導で、豪田は、幼い頃から野球一筋、それ以外の娯楽も何もかも捨て、直向きに打ち込んだのであった。
単に強豪チームに所属していたというだけでなく、厳し過ぎる父親の連日連夜の扱きにより、豪田は実力をつけ、将来を有望される選手となると、岐阜県でも強豪で知られる甲子園常連校の「紫水学園」に入学が決まった。
紫水学園は、岐阜県野球大会において、史上初の大会十連覇を達成するなど強豪で知られ、豪田の入部する年の春には選抜大会で準優勝を成し遂げるほどであった。
岐阜全体が紫水学園の活躍の余韻に暮れる彼岸の日、中学校の卒業式を翌日に控えた豪田は、級友によりある不穏な噂を耳にする。
「―おい、豪田」
三年間、過ごした学舎で、名残惜しく友人と談笑する豪田のもとに、聞き覚えのある声が聞こえた。
声の方向を振り向くと、そこには野球部の元チームメイトである丸山の姿があった。
「おう、丸山ではないか、明日で、みんな離れ離れになってしまうな」
丸山は、立端はないが、豪田と同じく野球部に所属し、俊足と好守で三年間二塁手のレギュラーを守った。
豪田ほどの注目は浴びなかったものの、丸山もまた、岐阜県内で強豪と呼ばれる大垣高校に、野球推薦で入学が決まっていた。
桜の蕾が所々弾け、三分咲きといったところであろうか、未だ肌寒い日が続くが、晴れの門出を祝うには相応しい、春らしい天候が続いていた。
丸山は坊主が少し伸びた毬栗頭を向けながら、豪田と対峙し、次のように言ったのである。
「豪田が入学する紫水学園だが、かなり厳しいらしいじゃないか」
私学である紫水学園は、強豪野球部だけでなく、その他の運動部や文化部、そして大学進学率も含め、いずれも岐阜県では目を見張るものがあった。
そしてそれらは厳しい教育体勢によるもので、豪田は高校入学の際して、期待の中にも不安が入り混じった複雑な心境でいた。
豪田は声調を下げると、
「ああ、噂は聞いている。しかし、俺は自分で紫水学園への入学を決めたのだ。悔いはない」
と、狼狽しながらも自信ありげに言った。
「そうか、お前が言うなら、それ以上は何も言わないが…」
どこか含みのある言い方で丸山は言うと、踵を返しかけた足を踏み留め、
「しかし、最後にこれだけは言わせておくれ」
と、去る豪田の背中越しに言った。
「なんだ、急に神妙な顔付をして、水臭いな」
「お前、男には興味があるのか」
「男?」
豪田は、丸山の言う意味が理解できず、頓狂な声を上げた。
「男に興味とは、意味が分からんなぁ、どういう意味だ」
「つまり、男に恋愛感情はあるかと聞いておるのだ」
「男に恋愛?」
思い掛けない問い掛けに動揺した様子を見せながらも、豪田は毅然として言い放った。
「おいおい、馬鹿なことを言うのはよしてくれ。俺は全くそっちの気はないぞ」
「そうか、ならば良かった」
何を言い出すかと思えば、予想だにしない低俗な質問に、豪田は軽くあしらってみせたが、丸山は再び語調を改め次のように続けた。
「しかし、紫水学園は、完全女子禁制の全寮制学校。変な気を起こして、男子生徒同士の強姦被害も相次いでいるという。特に上下関係の厳しい野球部は、入部と同時に、釜を掘られると…」
「まさか!」
豪田は、丸山の発言を遮断するように声を荒げながら、次のように言った。
「貴様、自分が紫水のセレクションに落ちたからと、負け惜しみに妙な風説を流しているのだろう。その手には乗らん、俺は必ず、甲子園の土を踏むのだ」
豪田は、丸山の心無い言葉を一蹴すると、怒気を漲らせ早足で教室を発った。
全寮制の紫水学園において、強豪野球部は特に生活指導が厳しく、若干、時代錯誤の全体主義を強いられることは話に聞いているが、間違っても男子の尻を掘るなど、想像もできなかった。
丸山の虚言など信じる気概もない豪田であるが、しかしその心の奥には、いつまでも丸山の言葉が刺さり続けるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。