第3話

そんな卯建の上がらない豪田が一年を通じて最も活躍するのは、社内で開催される野球賭博大会である。

安徳工機では、大小規模は異なるが、春夏甲子園大会、六大学野球、日本シリーズなどといった大きな試合で、社内で賭金を募り、有志で賭博大会の運営を行っていた。

年に数度開催される野球賭博大会の中でも、特に夏の甲子園大会は参加者が多く、国内外の事業所から応募を募るほど賑わいを見せた。

安徳工機は、本社が神奈川、本店工場が岐阜にあるため、例年、神奈川と岐阜の高校は人気があり、まして決勝が岐阜と神奈川の大戦となった年は、年休取得希望者が大挙し工場を止めるなど、異常な盛り上がりを見せた。

大会直前の社内では、至る所で高校野球の話題に花が咲き、どこが勝ちそうだとか、どの選手が有望だとかいった議論が盛んに為される。

「今年は神奈川の横浜大学付属や優勝やろ、あの山田ってピッチャーがええらしいで」

「俺は地元紫水学園に二万円賭けたで」

「岸山部長、日大五高に二十万だと。さすが独身貴族やなぁ」

本社の情報部門が勤務時間中に隠れて作成した「高校野球デジタル掲示板」には、各県代表校の勝敗予測が示され、毎日更新されるオッズ値をもとに、社員はどの学校に幾ら懸けるか予想し合うのであった。

「去年は、まさか初出場の長万部商が優勝して、千五百万も儲かった奴がおるらしい。ワイの退職金と一緒やないか」

社会人野球部を持つ安徳工機では、野球経験者の勝敗予想は信憑性が高いと評判で、練習後の部室には多くの社員が集まるのだが、この男にかける信頼は別格の者があった。

「―豪田の予測はよく当たる」

各都道府県の地区予選大会が大詰めに差し掛かる七月中旬、普段は頼りがいのない豪田が、急に忙しなくなる季節である。

豪田は、プロ野球シーズンは勿論のこと、オフのときもプロ野球の自主練に顔を出すほどの野球通で、また同期でプロの世界で活躍する知人も多く、野球に関する知識に関しては人並みを外れていた。

野球賭博のルールは単純で、全体の賭金合計に対する特定予想の懸金に、一定の払戻率を掛け、当選者に支払われるという仕組みだ。

強豪校に懸ければ当選確率は高くなるが、その分、当選者数も多くなるため、一人当たりの払い戻し金額は少ない。

同様に、無名校に懸けた場合の当選確率は低くなる傾向が強いが、払戻額は多くなる。

岐阜は、豪田の卒業した紫水学園を除けばお世辞でも強豪とはいえず、一方で優勝候補が犇めく神奈川や大阪は例年人気があり、仮に優勝しても小銭程度の払戻しかない。

「どうせ賭け事、勝っても負けても、楽しんだもん勝ちだ」と、割り切って勝負に臨む者もいれば、毎年のように手堅く強豪校を攻める者もいる。年に一度の野球賭博大会は、社員の人間性が垣間見える場でもあるのだ。


朝から茹だるような陽光が降り注ぐ初夏の日、この日も朝早くに豪田は出社すると、デスクには既に長蛇の列ができていた。

見慣れた光景ではあるものの、差詰仕事も滞っており、優勝校予想に現を抜かしている場合でなく、本来業務と全く関係のない賭博で残業するなど、さぞかし上司も目くじらかと思いきや、担当部長の木之内も豪田に賭博相談をするくらいだから、目の当てようがない。

「豪田、ちょっとええか―」

早朝、生産管理部部長の木之内は、なにやら人目を憚りながら会議室に豪田を呼び出すと、小声で語りかけた。

狭い会議室で二人は膝を突き合わせたが、何事かと思えば、話題は賭博へと流れた。

「私の見立てだと、東東京の山村学園が来ると思うんだが、どうだろう」

スポーツ誌の甲子園特集欄とオッズ表を睨み合わせながら、木ノ内は優勝校を予測したが、木ノ内の手帳には、大阪、神奈川、福岡、鹿児島と、毎年のように上位の食い込む強豪校の中に、ひっそりと、東東京代表の山村学園の文字がある。どうやら木之内は、数ある優勝候補の中から、山村学園に賭け倦ねているらしい。

豪田は口火を開くと、

「山村学園は、確かに、今年の戦力を見る限りは、上位に食い込める可能性はあります」

と、調子を合わせて言った。

全国で最もチーム数の多い東京大会を勝ち抜くのは至難の業である。

短期決戦に強いワンマンチームでは、長いトーナメントを勝ち進むことは出来ない。

東京大会は試合数が多いため、それだけ選手層の厚さが求められるのだ。

山村学園は、そんな東東京大会の中でも毎年のようにベスト8以上の成績を収める安定した強さがあるが、一方で長らく本戦からは遠ざかっており、意外にも二十年ぶりの甲子園出場となった。

「今年の山村学園は、パンチ力のある外国人野手を始め、チーム打率が三割後半と安定している。しかし投手力が弱く、エースの高山も、調子の良いときで、球速は百三十キロ台後半。さらに変化球も単調なツーシームとスライダーで、コントロールもあまり良くない。防御率は三点台と心許無く、打撃陣の活躍で勝ち進んだようなものです」

「なるほど、さすがは洞察が深い。しかしな、久しぶりの母校の躍進に懸けてみたい気持ちはある」

自身も山村学園出身の木之内は、今年の山村学園に賭ける思いは人一倍強かった。

山村学園は過去に二度の本戦出場経験があるが、その内一度は、木之内が在学していた四十年前であった。

「ちなみに君はどこが優勝すると思う?」

木之内は、自らの高校時代を思い返すように言うと、豪田の反応を伺った。

「総合力からいって福岡の九大付属か、横浜学園、名古屋商業が有力でしょう。山村に関しては、それほど話題になっていないため、まだ調査仕切れておりませんが、超高校級という選手はいないようですね」

「うむ、総合力で勝ち残ったようなものだからな。私が在校していた当時も、やはり小賢しい野球スタイルであった。優勝となると厳しいのかも知れんが、しかしオッズの兼ね合いもあるからな、小銭を稼いでもつまらない」

木之内は各県代表校のオッズ表を眺めると、東東京の欄に指を差して言った。

「五・五倍ですか」

「ああ、そうだ」

木ノ内は、保守派の多い生産現場にしては珍しく、若手の雇用促進に尽力したり、本社に対して新製品の逆提案を行うなど改革派で知られた。

そんな木ノ内は、賭博の世界でも大胆な賭けを好み、例年オッズの低いチームを避ける傾向にあった。

「今年は過去最大、二千五百人の社員が参加しています。一人頭平均一万円懸けていて、三千万円近い資金がプールされています」

「お前はこういう時ばかりは数字に強いな、どこからそんな情報を」

木ノ内は感心して言うと、豪田は、

「情報部門に元捕手の北村というのがおります、野球部の後輩で、頭脳派で鳴らしておりました。また本社経理に中西というのがおって、プールした三千万円の資金管理を行っています。彼もまた、野球部出身です」

と自信に満ちた表情で言った。

安徳工機には社会人野球部の他に、卓球、陸上競技などの運動部があるが、プロの世界で成功を掴みきれない者は、本社で正規採用された後に、各一般部署に割り当てられる。運動部出身者の多くは、頭脳は一般社員に劣るが、人脈とバイタリティーで、中には管理職にスピード出世する強者もいる。

豪田の鋭い予知能力も、こうした広い人脈に基づいていた。

数字に弱いはずの豪田であるが、野球に関しては話が別。セイバーメトリクスを駆使した詳細なデータベースは、各校の勝敗を確率論で細かく弾き出した。

また豪田の分析は、各校の経営状態やスカウト力にも及んだ。

「山村学園は、米国金融危機の際、拝金主義の理事長が投資で大赤字を被ったが、それから十年が経ち、近年は経営も安定してきた。野球特待生は学費を全額免除したり、スポーツジム付の屋内練習場を設立するなど、大盤振る舞いのテコ入れを行った。またプロ野球二軍コーチ経験もある宮本を顧問に誘致したり、北は北海道、南は沖縄まで全国津々浦々のシニアリーグに視察を張り巡らし、有望選手を好待遇で入学させた。こういった努力の成果もあってか、山村学園は、東東京大会で危なげなく勝ち進んだ。世間では横浜学園や日大五高が取り沙汰されているため、山村学園は穴場といえます。もう少し調査を進めてみますが、期待は出来るかも知れません」

「君の人脈と情報収集力には感服させられるよ…」

かくして豪田が年間を通じて唯一、絶対的な存在力を示せる野球賭博大会は、豪田にとってかつての栄光を思い出させる貴重な時間となっていたのだ。

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