戦況概略      同日 〇八一五時

 リチャードはウィリアムと別れて自室に入ると、ずぶ濡れのコートを脱いで艦内巡回の報告書を書き始めた。

 途中で届いた食事を頬張りつつ、二〇分ほどで書類を完成させるとリチャードは再び外に出た。ホレイシア艦長に報告書を渡し、内容を確認してもらうためだ。行き先は艦橋構造物に設けられた〈リヴィングストン〉の司令塔、いわゆる羅針艦橋である。

 船首楼甲板の後部にある艦橋構造物は三層構造となっており、一階には通信室と幹部士官の居室が、二階には操舵艦橋(操舵室)や乗組員用の休憩室などが置かれている。羅針艦橋は最上部にあり、幅四メートル、奥行き五・五メートルほどあるスペースには艦の指揮に不可欠な各種装備が設置されていた。文字どおり、フネの頭脳とでもいうべき場所だ。

 構造物内にはいるラッタルが設けられた中央部を境として、艦橋の前半分には海図台や羅針盤といった航海用の設備が、後部には見張り用の大型双眼鏡に、発光信号を送る際に用いられる信号灯などが置かれている。奥には三メートルほどの高さがある円筒形の射撃指揮装置――対水上レーダーと光学観測機器を組み合わせた、精密機械の塊といっていい物体だ――がそびえ立ち、その両脇には艦橋構造物後方の機銃台へつながる別のラッタルが存在していた。

 羅針艦橋には屋根がないため、リチャードがラッタルをつたって三階に辿り着くと、そこには寒気を伴う強い風が吹き付けていた。一メートル半ほどの高さしかない壁以外は遮蔽物も存在しないため、その勢いは艦尾にいたときとは比べ物にならないほど強い。艦のもっとも高い場所にあることから揺れも大きく、艦首よりに位置している関係上、真正面からぶつかる大波のしぶきまで時おり大量に降り注いでいた。

 そんな極寒の部署――もっとも、寒いのは艦内のどこも同じだが――に配置されているのは、主として航海科の将兵たちだ。操艦と通信を主に担当する職種であり、フネとしての〈リヴィングストン〉が動くために欠かせない存在である。また戦闘時の命令はここから発せられるため、艦長はじめ主だった幹部士官たちの勤務場所にもなっていた。

 ラッタルからは現在、一〇名ほどの女性乗組員たちが羅針艦橋で勤務しているのが見てとれた。リチャードの上官であるホレイシア・ヒース中佐もその中に含まれている。彼女は艦橋の右舷側前方、そこに置かれた海図台の傍で双眼鏡を手にして立っていた。真後ろに置かれている、艦長専用の座席には腰かけていない。

「おはようございます、艦長」

「あら、おはようリチャード」

 リチャードが近づいて挨拶すると、ホレイシアは後ろを向いて彼に返礼した。彼女は茶色いウール製のダッフルコートを着込んでおり、マフラーで覆った口許からは白い吐息がはき出されている。

「朝の艦内巡回が終わりましたので、報告書をお持ちしました。確認ねがいます」

 リチャードは腰の書類ケースに手を伸ばし、三枚綴りの報告書を取り出すと上官に手渡した。ホレイシアはそれを受け取り、内容を確認するといくつかの質問を部下に投げかける。乗組員の健康状態と、除氷作業の進捗に関するものだ。質疑応答を終えると、彼女は手袋を片方だけ外し、懐からペンを出して報告書に署名した。

「はい、ご苦労さま」

「ありがとうございます」報告書を受け取ってケースに戻すと、リチャードは続けて言った。「艦長、よろしければ少しお休みになられませんか?」

 軍艦において、すべての乗組員が配置につくのは敵艦と交戦中、あるいはその可能性が高いときなど限定された状況に限られている。そうでない場合は必要最低限の人員を除き、配置から外れて非番になるものとされていた。(ただし非番イコール休憩ではない。時間の半分程度は経理事務、備品の点検、清掃といった雑務に費やされる)

 艦橋要員を例に挙げると、戦闘時の二〇名に対して通常は一〇名ほどが配置につき、各科を統率する幹部士官のうち一名が当直士官としてその場を統率する。操艦などの指揮はこの当直士官が行うため、本来わざわざ艦長が艦橋に立つ必要性はまったくない。

 ただし、これはあくまで制度上のはなしであり、航海中――特に戦闘任務に従事中している艦艇の艦長は、『指揮官率先』の精神に基づき可能な限り艦橋にあるべきだとされていた。ホレイシア・ヒース艦長もそれに倣い、用事がないときは羅針艦橋で部下たちの様子を見守るように心がけている。リチャードが把握している限り、昨晩も彼女はほぼ徹夜であるはずであった。

 ホレイシアは腕時計にちらりと目をやると、リチャードのほうに目を向けて言った。

「そうね。朝食もまだだし、少し休ませてもらうわ」

「承知しました。では艦橋のほうは、しばらく自分が……」

「いえ、副長も私の部屋に着てちょうだい」

「……自分もですか?」

 リチャードが思わず尋ねると、ホレイシアはそうよと言って頷いた。今後の航海について、いろいろと相談したいことがあるそうである。

「そう言うことでしたら、お供させていただきます」

「じゃあ決まりね。サリー、後は頼むわよ」

 ホレイシアは当直士官――砲術長のサリー・フーバー大尉――にそう言うと、ラッタルのほうへと歩いていった。砲術長の応答する声が、すぐさま艦橋に響く。

(なんだか、女学校の教室にいるような気分になるな)軍艦の内部で場違いな女性の声を聞いてそう思いつつ、リチャードは上官の後に続いて羅針艦橋を後にした。


 既に書いたが、艦橋構造物の一階には幹部用居室が存在しており、艦長室もそのひとつである。艦首寄りの位置に設けられた幅六メートル、奥行き三メートルほどの専用スペースは応接室と寝室に分けられ、応接室には机に椅子、それにソファなどそれなりの設備が置かれていた。幹部士官の特権として、冷暖房も完備されている。

 部屋に入るとホレイシアは、艦内電話で紅茶を用意するよう烹炊室に連絡した。朝食は後でとるつもりのようである。

「楽にしてちょうだい。せっかく部屋に入ったのだし、コートも外してかまわないわ」

 リチャードは上官の言葉に従い、制帽と手袋を脱いでオーバーコートのボタンに手をかけた。波しぶきを浴び、湿気を帯びて重たくなっていたコートを脱ぐと体が軽くなったように感じられ、暖房から運ばれてくる暖かい風が眠気を誘ってくる。

 彼がコートをハンガーにかけ終えるころには、ホレイシアも防寒着を脱いで椅子に腰かけていた。徹夜明けのため彼女も眠くなったらしく、あくびを噛み殺しながら背筋を伸ばしている。

 ホレイシアがコートの下に着ていたのは、青色のバトルドレスと呼ばれる服だ。シングルタイプ・隠しボタンのウールサージ生地で作られた裾なし短ジャケットであり、両胸には大きなポケットが縫い付けられている。本来は陸軍用の野戦服だが、丈が短く動きやすいため、カーキー色の生地を染め直して愛用する海軍将兵が数多く存在する。

 ホレイシアが来ているものは寸法がややタイトなのか、持ち主の体格を見る者に強く主張していた。彼女の容姿はなかなかのものであるため、リチャードの視線もついそちらのほうに向いてしまっている。

「あら、アーサー君は私の美貌に見とれているのかしら?」

 部下の様子に気づくと、ホレイシアは背伸びをやめてリチャードに目を向けた。団子状にまとめた金髪がわずかに揺れ、茶色の目を輝かせながらいたずらっぽく笑っている。

「茶化さないでください。これ見よがしにポーズをとっておいて、いったい何を言ってるんですか」

 リチャードが苦言を呈すると、ホレイシアは悪びれる様子もなく言った。

「あら失礼。お疲れらしい副長に目の保養をと思ったのに」

 ホレイシアは事あるごとにこういった行動をとり、部下であるリチャードをたびたび困惑させていた。受ける側のほうは軽く受け流してはいるが、配属前に人事局で釘を刺されていたこともあり、毎回のように冷や汗を流している。

(この人、たしか入隊前は学校の先生だったんだよな……?)

 リチャードは隊員名簿に記載されていた上官の経歴を思い出すと、こんな教師じゃ教え子も苦労しただろうにと、内心で苦笑いした。

 そんなことをリチャードが考えていると、ホレイシアは彼にソファに座るよう促した。部下をからかって、とりあえずは満足したようである。

 彼が腰かけたのとほぼ同時に、ノックの音が室内に響いた。ホレイシアがどうぞと言うと、赤毛の三つ編みとそばかすが目立つ若い女性水兵が扉を開けて入ってくる。艦長の世話役である従兵だ。両手に持った盆にはマグカップが二つに、ティーポットと砂糖瓶がのせられていた。

 盆を受け取って従兵を退出させると、ホレイシアはポットに入った熱い紅茶をふたつのカップに注いでいった。それが終わると砂糖瓶から角砂糖をいくつか取り出し、カップに放り込んで片方をリチャードに手渡した。艦の揺れでこぼさないよう、大き目の金属製カップに注がれたのはその半分ほどの量だ。

 二人は手にしたカップ口をつけ、紅茶を飲んでその味を楽しんだ。その暖かさと風味、そして砂糖の甘さをしばし存分に堪能する。話が本格的に始まったのは、最初の一杯を飲み干してからのことであった。

「さて、色々ありつつも、ここまでは無傷で到達できたわね」

 二杯目の紅茶をカップに注ぎながら、ホレイシアは感慨深げに言った。

 〈リヴィングストン〉を旗艦とする第一〇一護衛戦隊は、一一月五日に母港であるノースポートを出港。翌六日に護衛対象であるNA一七船団と合流した。

 NA一七船団は合計四〇隻のフネ――排水量二〇〇〇トンから四〇〇〇トンクラスの貨物船やタンカーからなる大船団だ。積荷は武器弾薬や食糧、工業原料などが一八万トンに、戦車三〇〇両、そのほか車両四〇〇両、各種航空機三〇〇機と膨大なものである。また輸送船舶のほかに、救難船が一隻(といっても軍が徴発した中型客船である)参加している。

 船団は第一〇一戦隊と邂逅したのち、以下のような陣形を形成して連邦への航海をスタートさせた。民間船主体の集団であり、なおかつ旧式の貨物船が少数ながら参加しているため、船団速力は九ノット(時速約一六・五キロ)と低速である。


  ○前衛:船団本隊の前方四海里(約七・四キロ)に展開

   駆逐艦〈リヴィングストン〉

  ○中央:各八隻の五列縦隊を形成。幅五海里(約九・三キロ)、奥行き四海里の

      範囲に展開

   NA一七輸送船団本隊(民間船四〇隻)

  ○右翼:本隊の右端から二・五海里(約四・六キロ)離れて展開。駆逐艦が先行

      し、その後方五海里にコルベットが配置につく

   駆逐艦〈ローレンス〉、コルベット〈ゲール〉

  ○左翼:右翼と略同

   駆逐艦〈レスリー〉、コルベット〈ガーリー〉

  ○後衛:船団の後方二海里(約三・七キロ)に展開。駆逐艦が右側、コルベット

     が左側の配置につく

   駆逐艦〈レックス〉、コルベット〈ゴート〉

  ※一海里はメートル法換算で一八五二メートルとなる。また一ノットは時速一海

   里に相当する。


「そうですね。ただ、艦長の言われるその『色々』の部分も、なかなか大変でしたよ」

 リチャードは苦笑しつつそう言うと、上官が差し出した紅茶のお代わりを受け取った。ホレイシアも部下の言葉を聞いて、同じように苦笑いしている。


 第一〇一戦隊に課せられた任務はNA一七船団の護衛であり、その本分は襲い来る敵を排除、撃退することだ。非武装船の集合体である船団を守り、その積荷を目的地へと届けるためである。

 ただし、護衛任務には船団の運航を手助けすることも含まれており、これに伴って発生する『色々な』問題が、リチャードやホレイシアの悩みの種となっていた。

 そもそも船団に参加するフネは、所属会社も性能も異なっている。寸法に速力、そして操艦時の癖までなにもかも違うこれらが集まり、統一した行動をとることは非常に困難であった。おまけに艦隊行動の訓練を受けている軍艦とは違い、単独行動が基本である民間船の船長は船団を組んだ経験がほとんどない。

 そのためNA一七船団の航海は順調と言えるものではなく、トラブルが頻発した。出港前に取り決められた隊列はしばしば乱れ、夜間になると僚船を見失い、列を離れて迷子になるフネも時おり現れている。船団には護衛指揮官と別に運航管理のための司令官が任命されているが、彼による指示・命令はさしたる効果をあげていない。受け手である船長たちがどうしてももたつくうえ、帝国側に聞き取られないよう無線の使用が制限されており、命令伝達に時間がかかるからだ。

 この事態に対処するため、活用されるのが護衛隊の艦艇群である。商船に比べてはるかに機動性の高い軍艦を現場に素早く派遣し、進路修正の監督や遭難船の捜索を直接おこなわせるのだ。そのため船団司令官の座乗船から〈リヴィングストン〉に向けて何度も支援要請の発光信号が飛び、そのたびにホレイシアは戦力を割く必要に迫られている。いわば本業を邪魔されるのであり、受諾する側にとっては迷惑このうえなかった。

 幸いなのは、ホレイシアが言ったようにここまで無傷で到達できたことであろう。偵察中とおぼしき航空機が遠方で飛んでいるのは何度か確認したが、襲撃そのものは一度も受けていない。落伍したフネはなく、スケジュールの遅れも一日程度におさまりそうである。現在は出港から八日目であるため、連邦に到達するのは三日後の予定となっていた。

「とはいえ、帝国の連中がこの寒さで港に引き籠っているわけがありません。早ければ今日中にでも、なんらかのアプローチがあると考えるべきかと思います」

「……いよいよ、私たちが戦うときが来るというわけね」

 リチャードの忠告に、ホレイシアは表情を硬くして頷いた。

「むしろ、今まで何も起きなかったことが不思議です」リチャードはそう言って話を続けた。「出港四日目(一一月八日)の時点で我々は帝国軍の偵察機に発見され、その後も断続的ですが接触を受けています。少なくとも彼らに船団の存在を察知されましたし、数度に渡る偵察でこちらの進路も予想して準備を進めているでしょう。連邦に辿り着くまではあと三日、それまでは帝国側の迎撃に備えて気を引き締め続ける必要があります」

「気を引き締めて、ね」

 ホレイシアは小さく溜息をつくと、そう小さく呟いた。表情はいまだに固いままである。

「やはり、不安がおありですか?」

「もちろんよ。これが初の実戦だし、今までこんな大人数を指揮したこともなかったから」部下の質問に対し、ホレイシアは肩をすくめつつ答えた。

 彼女の前職は、ノースポート基地の近辺をパトロールする哨戒艇部隊の隊長であった。九人乗りの小型高速艇五隻からなる小部隊であり、隊員の総数は五〇人にも満たない。乗員一〇〇名以上の艦艇七隻という大所帯を抱える現在と比べると、指揮官が負う責任の重さは段違いだ。

「けど、だからといって仕事を投げ出すわけにはいかないわ。やれるだけのことは、勿論やるつもりよ」

「微力ではありますが、自分もお手伝いさせていただきます」

「頼むわね、副長」

 リチャードの言葉に満足げな表情でこたえると、ホレイシアはカップに残る紅茶を飲み干して言った。

「さて。ポットの中身はまだ残っているけど、お代わりはいかがかしら?」


 再び紅茶をそそいだマグカップを手に、リチャードとホレイシアは話を続けた。現在はリチャードが講師となって、帝国軍による通商破壊戦の概要について説明しているところである。

 帝国は大陸沿岸部に割拠する国々のひとつであり、近隣諸国と対抗すべく、伝統的に陸軍主体の軍備を構築している。そのため海軍の規模はそれほど大規模なものではなく、その戦力の中核となるべき戦艦は五隻しか保有していない。王国海軍が本国だけで二〇隻ちかい戦艦を保有していることを考えれば、その劣勢は明らかだ。

 この戦力上の不利を挽回するため、帝国海軍では以前から潜水艦を主力とした海軍力の整備を推し進めていた。小型で量産性が高い点――排水量は七〇〇トン程と駆逐艦以下であり、また建造に際しては戦艦一隻分の資材で三〇隻以上の建造が可能だ――、そして水中活動による高い隠密性と魚雷の攻撃力に着目したためだ。三年前の戦争勃発時点で、帝国は各種あわせて四〇隻の潜水艦を有しており、現在では二~三〇〇隻が実戦投入されていると王国の情報機関は推測している。

 この潜水艦隊が主な標的としているのは、軍艦ではなく非武装の民間船だ。工業原料を含む各種の資源や軍需物資、兵員を積んだ商船を撃沈し、島国であるため自前の資源供給がほぼ不可能な王国の経済活動に打撃を与えるのがその狙いである。要するに相手を飢餓状態に追い込むことで、王国のもつ兵力上の優位を相殺してしまおうというのだ。

「……帝国軍の潜水艦は、いわゆる『狼群戦術』と呼ばれる戦法を多用して現在までに大きな戦果を挙げております。この戦法の肝となるのは、多数の潜水艦による哨戒網の構築、無線通信を活用した連携、そして襲撃時の迅速な戦力の集中、以上の三点です」

 リチャードは素人同然である上官に配慮して、分かりやすいように心がけて説明を続けた。ホレイシアのほうも、訓練時に受けた講習のおさらいとして熱心に聞き入っている。

 狼群戦術の手順は、大まかにいえば以下の通りだ。

①多数の潜水艦による戦力の集中

 輸送船団の存在を探知すると、帝国海軍は航空機による偵察や過去の航行ルート、諜報部が入手した情報などを元にして目標の進路をまず推定。次にその進路上に襲撃地点を設定し、複数の潜水艦に待ち伏せを命じて同地へと派遣する。その数は最低三隻であり、多ければ二〇隻ちかくになることもある。

②無線通信を活用した連携

 襲撃地点に到達すると、各艦は事前に指定された哨戒ポイントで配置について目標の到来を待つ。その後は担当ポイントの監視をおこない、その結果を定期的に無線で上級司令部と僚艦に報告する。また同時に僚艦の定時報告や司令部から発せられる情報などへ常に耳をすませ、周辺情勢の正確な把握に努める。

③迅速な戦力の集中

 参加艦艇のいずれかが船団を発見すると、当該艦はまず追跡を実施。その規模、速度、そして進行方向といった情報を収集してこれを無線で通報する。受信した僚艦はただちに哨戒を中止して目標へと急行し、次々に目標への襲撃を開始する。また司令部のほうでは報告を受け次第、周囲に移動可能な潜水艦がいるかを確認して攻撃への参加を命じ、また空軍などへ通報して共同攻撃の実施を要請する。

 なお名前から連想されるイメージとは異なり、潜水艦というものは長時間の潜航が出来ない。水中では化石燃料エンジンが使えないためであり――使用すれば艦内の酸素が消費され、乗組員が酸欠になる――、またその代わりに用いる電気式のモーターも、バッテリーの性能限界から稼働時間が短いからだ。潜航可能な時間は数時間から半日程度で、またその速力も水中では八ノット(時速一五キロ)ほどである。しかもその最大速力で走れば、おおよそ二時間で満タンのバッテリーが空になってしまう。

 そのため、多くの潜水艦は通常の航海は水上で行い、襲撃時や敵の攻撃をやり過ごすときなど限定された状況でのみ潜航するようになっている。水上走行時は通常のエンジン(多くは燃費のよいディーゼルが採用された)を用いることができ、また速力も一七ノット程度は発揮可能なため、目標を発見して追撃する場合も、攻撃を実施するギリギリのタイミングまで潜らない場合がほとんどだ。

「多くの場合、通報艦は無線通信を実施するとすぐさま襲撃に移行。他の僚艦たちの攻撃はそれに続くかたちで、時間差をおいて四方から船団に襲い掛かることになります。『狼の群れ』というその名前のごとく、集団で連携し、船団に息つく暇を与えず長時間の戦闘を強いて、こちらを心身ともに消耗させるわけです」

「その狼たちと戦う私たちは、さながらか弱い羊たちを守る牧羊犬といったところね」

 ホレイシアはそう言って少し考え込むと、リチャードに質問を投げかけた。

「ひとつ確認。戦闘が始まった場合、私たちは時間が経てばたつほど不利になると考えたほうがいいのかしら?」

「一概には言えませんが、おおむねその通りです」リチャードは頷いた。「続々と集まる敵に対し、こちらは迎撃するための戦力が足りなくなる可能性があります。一方の潜水艦を叩いているうちに、手空きになっている別方向から突破されるというということが起こりうるのです。これを防ぐには交戦時間をなるべく短くし、手早く撃退して次に備えるしかありません」

「そう簡単に出来ることじゃないわよね、それ」ホレイシア言った。

 潜水艦を探し出す手段としては、見張員による目視、レーダー、ソナーといった方法が存在している。前二者は水上の物体にのみ有効であり、襲撃時は潜航していることが多い潜水艦には音波によって水中を探知するソナーが、その主たる役目を担うことになる。

 しかし、潜航中の目標を見つけることは決して簡単ではない。なにしろ直接目視できない物体を、ソナーから得られた位置情報のみを頼りに探さなければならないのだ。例えるならば目隠しされた状態で、鬼ごっこの鬼役をつとめるようなものである。

「別に、敵艦を沈める必要はありません」上官の不安げな声に対し、リチャードは答えた。「我々の目的は船団を防衛し、少しでも多くの積荷を目的地へ届けることです。優先すべきは襲撃の阻止あるいは撃退であって、敵を撃沈することではありません」

「つまり、撃沈に固執すべきじゃないってこと?」

「その通りです。撃沈できればそれに越したことはありませんが、こだわりすぎて船団周辺への警戒を疎かにしてしまっては元も子もありません。引き際を見極めることも大事です」

「なるほどね、分かったわ」

 それはそれで簡単とは思えないけれどね。ホレイシアは苦笑しつつそう言って紅茶の残りを飲み干した。

 ひと通り聞くべきことは聞いたと判断したのだろう。彼女は空になったマグカップを机に置くと、新しい話題をリチャードに切り出した。

「ところで、潜水艦以外にも注意すべき存在はあるわよね?」

「爆撃機による空襲と、あとは通常の水上艦艇による襲撃ですね」

「それらについては、何か注意すべきことはあるかしら」

「そうですね……」

 リチャードは少し考え込むと、専門外ではありますがと前置きして答えた。

「まず空爆への対処は空母の艦載機にまかせるのがいちばんですが、あいにく当船団には参加しておりません。普段から周囲の空に目を配り、いざ襲ってきたら対空砲火で牽制しつつ逃げまわるしかないでしょう」

「まあ、それくらいよね」

 ホレイシアはしかたないと言わんばかりに溜息をつき、予定どおり空母がいてくれたらと呟いた。

 王国海軍では民間の貨物船や客船を改造、あるいはその設計を参考にした小型・低価格の護衛空母の建造を進めている。リチャードたちの乗るL級駆逐艦と同じく、性能の低下に目をつぶって大量生産された船団護衛用の艦艇だ。二〇隻以上が計画されて既に何隻かが完成しており、そのうちの一隻が当初はNA一七船団に参加するはずであったが、直前に座礁事故を起こしてしまったためその予定は取り消されている。

「無いものに文句を言っても、しょうがありませんよ」

「それくらい、分かっているわ」

 部下の言葉にすねた口調で答えると、ホレイシアは上着の胸ポケットから銀色のシガレットケースを取り出した。リチャードはすかさずライターを取り出し、彼女が咥えた煙草に火をつける。それは細身の葉巻であった。

「それじゃあ、もうひとつのほうはどうかしら?」しばらく紫煙をくゆらせて葉巻の香りを楽しんだ後に、ホレイシアは尋ねた。自らも手持ちの紙巻煙草に火をつけたリチャードが答える。

「水上艦艇については、特に現状では気にしなくてよいと思います。というより、何もできません」

 戦艦や巡洋艦、駆逐艦といった軍艦は、主に敵側のそれと交戦すべく建造されるものである。だが王国の敵手である帝国は、これら水上艦艇もしばしば通商破壊戦に投じていた。既に書いたように王国海軍との戦力差が大きいため、彼らと直接砲火を交えるよりも商船を襲ったほうが効果的だと判断したためだ。貴重な戦力を喪失するのを恐れてそれほど積極的に使われているわけではないが、対抗手段として一定の戦力を準備しなければならない王国側にとって、十分な脅威となっている。

 今回おこなわれているNA一七船団の航海においても、出発七日目(つまり昨日)の段階で帝国軍の迎撃艦隊が出撃していることが確認されている。その陣容は以下の通りだ。

  ○戦艦 一隻

   排水量五万トン、三八センチ砲八門装備

  ○重巡洋艦 二隻

  排水量一万四千トン、二〇.三センチ砲八門、魚雷発射管一二基装備

  ○駆逐艦 四隻以上

   排水量二二〇〇トン、一二.七センチ砲五門、魚雷発射管八基装備


 総兵力は最低でも七隻、うち三隻が大型艦であり、非武装船舶の群れを殲滅するには過剰といってもよい兵力である。一方でNA一七船団の護衛は七隻だが、その中でまがりなりにも対艦戦に対応できるのは四隻のL級駆逐艦のみだ。そのうえL級の搭載兵装は帝国のそれと比較して半分程度であり、交戦すればかなりの苦戦を強いられるだろう。場合によっては、ろくな抵抗もできずに全滅する可能性すらある。

「やっぱり、基本的な対応は別働隊に任せたほうがよさそうね」

「当面は、それで十分だと思います」

 ホレイシアの諦めが混じった言葉に、リチャードは頷いた。

 別働隊とは帝国軍艦隊の出撃に備えて用意された、王国海軍側の部隊のことだ。四〇センチ砲装備の戦艦二隻、大型空母一隻を中核として、重巡洋艦二隻、軽巡洋艦一隻、駆逐艦一四隻によって構成されている。本国艦隊司令長官の直接指揮下で船団とは別行動をとっており、敵の存在を発見し次第ただちにこれを追撃・撃破する任務を与えられていた。現在は帝国軍の艦船と砲火を交えるべく、四方に捜索の手を伸ばしている最中である。

「ただし、敵艦隊が追撃を振り切る可能性は否定できません。その際にはあらゆる手段を講じ、犠牲をかえりみることなく船団を死守しなければならないでしょう。その点は、肝に銘じておいてください」

「……指揮官は部下を駒とみなし、その死を許容して任務を果たさなければならない」

 ホレイシアはリチャードの忠告を受けてそう呟くと、葉巻の灰を灰皿に落とした。

「訓練中に繰り返しそう言われて、覚悟はしていたつもりだったのだけど。いざそういう立場になると、怖くなってしまうわね」

「我々に出来るのは、そのときどきに応じて適切な手段を選択することだけです」

 リチャードは厳しい表情でそう言った。

「そしてその選択をおこない得るのは、指揮官であるあなただけです。極論すれば、部下たちはその選択肢を実行するための道具でしかありません。ある程度の手助けはできますが、最終的な決断はご自身でなさるしかないのですよ。そういうものだと割り切るしかありません」

 もっとも、自分はその指揮官でないからこういうことが言えるのですがね。リチャードはそう言って話を締めくくった。

「えらく正直な言いようね」

「自分は〈リヴィングストン〉の副長であり、艦長たるあなたの助言者です。その責務を果たすためには、自分の見識をなるだけ正確に伝えるべきだと考えています」

「頼もしいことね。たのもしすぎて涙が出そう」

 部下のふてぶてしいことこの上ない物言いを耳にして、ホレイシアはこの場で何度目になるか分からない溜息をついた。ただし遠慮のない言葉で逆に安心したのか、口元には笑みが浮かんでいる。

『艦橋より全乗組員へ、船団運動一五分前。繰り返す、船団運動一五分前』

「あら、もうこんな時間なのね」

 休憩室のスピーカーから艦内放送のアナウンスが流れると、ホレイシアは壁に掛けられた時計に目をやった。時刻は九時を過ぎており、ふたりは三〇分ちかく話し込んでいたことになる。放送は船団進路を欺瞞するため、三時間ごとに行われる定期変針を予告していた。

「それでは、自分はそろそろ羅針艦橋に戻ります」

 リチャードはそう言うと、煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。

「お願いね」ホレイシアは灰皿を部下から受け取った。「私は食事を摂って、それから少し休ませてもらうわ。なにかあったら連絡をちょうだい」

「了解しました」

 リチャードは上官の指示に頷くと身支度を整え、一例した後に艦長休憩室を後にしていった。

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