着任        一〇月五日 一二五〇時

「つまり、自分らの任務はお嬢さまたちの御守りっていうことですか」

 営門のゲートを抜けてしばらく経った後、ウィリアム・コックス一等兵曹は歩きながら上官に尋ねた。

 王都を訪れてから四日後。チャード・アーサー少佐はウィリアムと共に、王国の北部にあるノースポート基地に足を踏み入れている。王国海軍が本国に保有する軍港のなかで、最大の規模を誇る施設だ。王国本土を拠点とする艦艇――二〇隻の戦艦、五隻の大型正規空母、三〇隻の巡洋艦ほか合計三〇〇隻以上にのぼる――の三割近くがこの港を母港としており、それらを統括する本国艦隊グランド・フリートの司令部もここに設置されている。

 二人は配属先である〈リヴィングストン〉がこの地に錨を下ろしていると聞き、鉄道で二日ほどかけてここまで移動してきだ。彼らは着替えや私物を詰めたカバンを持ち、ゲートの守衛から教えられた〈リヴィングストン〉の停泊場所へと歩いて向かっている。

「その言い回しはどうかと思うが……。まあ、間違ってはいないな」

 部下の言葉に対し、リチャードはそう言って応じた。その口調は重く、表情も物憂げである。彼は先日の人事局の一件にそれほど衝撃を受け、自身の今後の展望に不安を抱いていたのだ。

 その人事局において、リチャードが聞かされた話は要約すると以下の通りである。

 

 一、貴官が着任する第一〇一護衛戦隊は、女性補助兵からの志願者で構成された部

   隊である。

 二、女性を戦闘任務に投じるのは本邦において初の試みであり、当然ながら彼女ら

  は実戦経験を有していない。

 三、戦隊は翌一一月に、連邦行き輸送船団の護衛として初の出撃を行う。

 四、貴官は旗艦副長として、隊司令を兼任する艦長へあらゆる面――艦の運用、戦

   闘指揮、隊内の規律維持など――で助言を行い、その補佐に努めること。

 五、またコックス一等兵曹と協力し、戦隊各艦の乗組員に対する戦技指導を実施し

   て練度の向上を図ること。

 六、なお、戦隊に配属される男性隊員はアーサー少佐とコックス一等兵曹のみであ

   る。隊内においては節度をわきまえた『紳士的』な振舞いを心がけるべし。


 実戦を通じて平時とは比べ物にならないほどの経験を積んでいるとはいえ、彼は士官になって三年ほどしか経っていない。三〇代どころか二〇代後半にすら達していない、若者にとってはあまりにも過酷な任務だ。

 なにしろ、上官も含めて素人同然の者ばかりの部隊に配属され、ほぼ唯一の実戦経験者としてその戦隊の戦力向上を図らなければならないのだ。駆逐艦には一隻あたり二〇〇人近く、最低でも一五〇人程度の将兵が乗り込んでいる。しかも戦隊には複数の艦艇が所属しているので、全体となれば一〇〇〇人近くになってもおかしくない。任務を遂行できるかどうか、リチャードが不安に感じるのも無理からぬ話であった。

 おまけに、配属先には女性しかいない。人事局長からは『妙なことをしないように』とリチャードは忠告を受けていた。本人にそのつもりは毛頭ないものの、男性であるいじょう気の迷いが起きないとも限らない。この点も彼の心情を、よりネガティブなものに増幅させていた。

「それにしても、女性しか乗っていない軍艦なんてどんな感じなんでしょうね。全く想像できませんよ」

 リチャードが思い悩みつつ歩いているなか、その隣にいるコックス一等兵曹が呟いた。上官とは違い、その口調はかなり明るいものである。

「……ウィル、おまえ随分と楽しそうだな」

「そりゃあ、今までにない新しい試みに参加できるんですからね。今後のことを考えると楽しみでしょうがないですよ」

 上官の言葉に対して、ウィリアムはそう答えた。彼の声は相変わらず明るく、その顔も好奇心に満ち溢れた子供のように輝いている。どうやらリチャードと違って、配属先についてさほど深刻には捉えていないようだ。

「しかし、前線勤務に限らなければ、今でも軍は女性を積極的に登用してきていますよね?」

「そうだな。今じゃさして珍しくもない」リチャードは部下の質問に頷いて答えた。

 ウィリアムが言及したのは、王国軍の内部に設けられている女性補助部隊のことである。補給業務や事務など、戦闘任務に関与しない各種の業務を担当するために設置された組織だ。

「じゃあ、なんで今さら戦闘部隊にまでその枠を拡大したんですかね?今だってかなりの人数がいるっていうのに」

「簡単な話だ、ウィル」リチャードはとつぜん足を止め、ウィリアムのほうを向いて言った。

「つまるところ、それだけ男の数が足りなくなってきているんだよ」


『女性は戦場にいるべきではない』

 このような考えが社会一般の認識となったのは、実はそれほど昔のことではない。

 戦争が騎士と傭兵たちのものであった時代において、少なからぬ数の女性たちが戦場に在ったといわれている。その多くは世話役として夫に付き従った兵士の妻であり、また娼婦や使用人の類いも数多く存在した。従軍商人として兵士に酒や食料、日用品を売りさばいた者も女性であることが多く、自ら武器をとって兵士となった女性すら、少数ではあるものの記録に残されている。この状況が変化したのは近代的な倫理観が発達し、社会に広まった一〇〇年ほど前のことであり、以後は一部の従軍看護婦を除いて、女性は戦場の表舞台から締め出されることとなった。

 その決して古くない価値観に再び変化が訪れたのは、戦争という暴力によって生み出される破壊が途方もなく肥大化した近年のことである。機関銃や戦車、航空機、そして毒ガスといった『高効率の殺人機械』が工場で大量生産され、それらが戦場でその牙を兵士たち――ときには民間人――に向けられたのだ。

 その結果は、三〇年ほど前に勃発した大陸諸国間の最初の戦争――いわゆる大戦争――によって明らかとなった。どの戦いにおいても万単位の死者が生じ、ときにはたった一日で一〇万を超える死傷者が出ることも珍しくはなくなったのだ。犠牲者の多くは二〇代の若者であり、将来有望であったはずの彼らの未来は、砲弾や機銃弾の嵐に飲み込まれて次々に戦場の露となって消えていった。

 これでは戦争に勝利しても、国家や国民に深い傷が残されてしまう――各国の政府や軍部はそう考えた。兵士が死ぬということはそれだけ男性の数が減るということであり、市民社会における労働者の減少という形で生産活動に大きな影響を及ぼしてしまうからだ。父親となるべき者がいなくなることで、新生児の出生率も低下してしまうだろう。早急に、なんらかの対策をとる必要があった。

 その対策のひとつとして、『もうひとつの人的資源』である女性を活用するという動きが出るのは時間の問題であった。

 各国が採用した当初のアプローチは、どちらかと言えば間接的なものであった。警察や地方の役場といった公的機関において女性を職員として積極的に登用し、軍需を含む各種の工業部門においても彼女らの雇用を促進するよう働きかけたのである(ときには法令によって強制することもあった)。女性が働きに出ることで、徴兵による男性労働者の不足を補おうとしたのだ。

 おおよそ六年間続いた大戦争の中ごろから本格化したこの取り組みは、実施した各国で一定の成果を上げ、徴兵人口の維持に大きく貢献した。

 だが、次に行われる戦争でも同じ手法が通用するとは限らない。そのため、一部の国では一歩先に進んだ、より積極的な方策が検討されることとなった。先ほどウィリアムが言及した、『軍による女性たちの積極的な登用』である。

 連合王国の場合、今次大戦の勃発から先立つこと二年――つまり今から五年ほど前に取り組みを開始した。陸海空の三軍それぞれに専門機関が設置され、入隊する女性たちの受け入れや訓練、人事管理などを一手に担っている。その任務は戦闘を除く各種の職務に就いて男性兵士を手助けすることであり、各組織は『補助部隊』と位置づけられている。王国軍自体が志願制を採っていたため、彼女らの入隊も同じく任意となっていた。

 当初は合計三千人規模であったこれら女性補助部隊は、戦時体制の移行による組織の拡大や徴兵制の施行、および法令の女性への適用によって、年を経るごとにその規模を拡大させていった。現時点では構成員の数が十万を超えるており、最終的にはおおよそ三十万人にまで拡張している。

 このうち、海軍における彼女らの帰属組織はWARNS、王立海軍女性補助部隊(Women‘s Auxiliary Royal Navy Service)と呼ばれている。現在の人員総数は約三万人であり、各地に置かれた基地や連絡事務所等において事務作業、経理、給食業務、車両運転手など様々な職務をこなしている。

 彼女たちは軍港内で使用される貨物用小型船舶の運用も任されており、各種装備の整備や医療業務、レーダーや通信機器の操作など専門知識を必要とする技能職を担当する者も少なくない。基地警備隊の一員として高射砲の操作を担当するケースもあり、最前線での戦闘任務を除いたあらゆる部隊・部署に彼女ら女性補助兵は配属されていると言っても過言ではなくなっていた。

 この結果、軍は現在までに陸海空すべてを合計して十万人ちかい男たちを最前線の戦闘要員として配置転換することに成功している。あくまで補助的な任務にしか従事しないとはいえ、彼女らはその身を以て期待された役割を十分以上に果たしているのだ。


「確かに、彼女たちの存在が大きな助けになっているのは事実だ。だが、王国の現状に照らして、必要十分な水準に達しているかどうかはまた別の問題なんだよ」

 リチャードはそう言って、さらに話を続けた。

「いくら後方要員を順次女性に置き換えているとはいえ、軍拡と人員の消耗が続く限りは徴兵によって男手は減ってしまう。ウィル、このまえ王都に行ったとき、若い男性の数が少ないとは思わなかったか?」

「……それは、確かにそうですね」ウィリアムは上官の言葉に対し、少し考えてから頷いた。「バスや電車の車掌は老人ばかりでしたし、我々みたいな軍人を除けば、街角を歩いている人も女子供がえらく目立っていました。」

「そうだ。働き手である成人男性が、それだけ社会から減っているということになる」

 リチャードの言う通り、王国本国では男性労働者の不足が大きな社会問題となっていた。企業による女性の登用によってある程度の補填が進められているものの、今次大戦における人的資源の損耗は予想以上の規模で推移していたのである。

「つまり、お嬢様がたにこれまで以上のお手伝いを頼まなければならないわけですか」先程まで明るかった顔をわずかに曇らせて、ウィリアムは言った。「男としては、少し情けなく感じてしまいますね」

「気持ちは分かるが、いまは戦時中だ」

 リチャードは強い口調で言った。どちらかと言えばウィリアムにではなく、今後の展望に意気消沈している自分自身へ言い聞かせているようにも見える。

「戦争をする以上は勝たなければならないし、そのためには贅沢を言ってはいられないぞ」

「それもそうですね。……すいません、いま言ったことは忘れてください」

「構わんさ。それに、助けと借りると言っても、男どもの仕事がすぐ楽になるわけでもない。俺たちに至っては、むしろ今から忙しくなるだろうしな」

 ウィリアムの謝罪に対し、リチャードは苦笑しながら応じた。

 リチャードの言う通り、彼らにとって新しい配属先は試練の場となるだろう。なにしろたった二人で、実戦に赴く女性たちの手助けをせねばならないのだ。女性の実戦投入がどれだけの成果を出すかは、リチャードたちの努力次第であるといっても過言ではない。個人的な思いはともかく、軍人としては全力を尽くして取り組む必要があった。

「少し無駄話が過ぎたな、そろそろ行こう」リチャードは腕時計に目をやると、そういって荷物を手に再び歩き出した。〈リヴィングストン〉への出頭予定は一五時ごろに指定されており、まだ二時間ほど先のことである。ただし、ノースポート基地は王国海軍でも随一の規模を誇る軍港であり、それ自体が小さな地方都市と比較できるほどの敷地面積を有している。そのため、決して余裕があるとはいえない状況だ。

 リチャードの後を追うようにしてウィリアムも歩きだし、二人は足早に目的地へと向かっていった。


 リチャードたちが向かったのは、ノースポート基地の海岸部、そのいちばん西側に位置する岸壁であった。ゲートの詰所で出会った警備隊の少尉によれば、そこに第一〇一戦隊に所属する艦艇が停泊しているとのことである。

 ただし、場所が分かったといってもそこに辿り着くのは簡単ではない。既に書いたように基地は広く、またその内部は文字通りの喧騒に満ちていたからだ。ありとあらゆる種類のフネ――軍艦だけでなく、徴発された民間船も多数含まれる――が停泊し、それら船舶への補給や修理、その他様々な業務で基地に属する将兵たちは多忙を極めていたのである。路上では人と車両が常に行き交い、時には事故などのトラブルが発生するほどの混雑状況となっていた。

 結局、ゲートを抜けて一時間が経過したころになると、二人は自力で目的地へたどり着くのを諦めてしまった。リチャードは基地の事務局に駆け込んで事情を説明し、乗用車を運転手ごと借り受けることになんとか成功する。岸壁に辿り着いたとき、時計の針は一五時半を回っており、すでに出頭予定の時刻を三〇分ほど過ぎてしまっていた。

「やっと着いたな」

 自分たちを降ろした乗用車が走り去った後、リチャードは疲れ切った表情でそう言った。上官の言葉に同意するように、同じく疲労の溜まった様子のウィリアムも呟く。

「これでやっと休めますね。あれが自分たちの配属先ですか」

 二人の視線、その一〇メートルほど先にある岸壁には木製の大きく長い桟橋がかけられていた。アルファベットの『T』を二つ重ねたような形のそれに、数隻のフネが船体を横づけして停泊しているのが見て取れる。運転手の案内が正しいなら、あれこそ彼らの配属先である第一〇一護衛戦隊の艦艇であった。

 しばらくそのフネを眺めた後、ウィリアムは口を開いた。

「名前を聞いてもしやと思いましたが、自分らが乗るのはL級なのですね。一緒にいるのは、コルベットのG級ですか?」

「ああ、そうだ」リチャードは部下の質問に短く答えた。

 ウィリアムが言った通り、桟橋には二種類のフネが停泊している。L級駆逐艦が四隻に、G級コルベットが三隻だ。どちらもクラス名にちなみ、艦名の頭文字がLやGに統一されている。

 L級は『駆逐艦』という艦種に特有の、高速性を重視した細身の船体を持つ軍艦だ。基準排水量一〇五〇トン、全長八五メートル、全幅九メートルにおよぶそのボディは、航行時に真正面から浴びる波の勢いを削ぐため、艦首方面の三分の一ほどが一段高く盛り上がったいわゆる『船首楼甲板』となっている。その艦首には主兵装のひとつである一〇・五センチ高角砲を載せた連装式の砲塔があり、直後に艦の指揮中枢たる艦橋構造物が存在する。船体中央部以降には順番に、機関部へとつながる煙突、同じく主兵装である三連装魚雷発射管、二つめの連装砲塔を載せた後部構造物といった様々な装備・設備が置かれていた。

 一方のG級だが、ここでいうコルベットは商船護衛任務に従事すべく設計された、専用の艦種である。排水量九八〇トン、全長六五メートル、全幅一〇メートルと、L級と比べて太く短い船体を有しており、そのデザインは軍艦というよりは、むしろ民間の漁船や貨物船に近い。目立った武装が艦首の七・六センチ単装砲一基のみであるため、軍艦としてはいささか頼りない雰囲気をにじませていた。

「……それにしても、どちらもずいぶん小ぶりなフネですね。武装も少ないですし、ちょっと心もとない感じがしますよ」ひとしきり眺め終わると、ウィリアムは不安そうに呟いた。

 彼の指摘も無理からぬ話であった。L級もG級も、従来の軍艦と比較すると能力上見劣りする存在であるのだ。

 例えばL級駆逐艦は、同時期に建造された他の同種艦に比べて小さい。概ね八割ほどの大きさしかなく、搭載兵装も標準的な水準(一二・七センチ連装砲塔五基、五連装魚雷発射管二基)の半分以下となっている。速力も不足ぎみで、他の駆逐艦が三五ノット(時速約六五キロ)を発揮可能なのに対し、L級は最大でも二七ノット(約五〇キロ)が限界であった。G級コルベットに至っては、民間捕鯨船をベースに設計されたため防御力に難があり、最大速力も軍艦としては鈍足の一七ノット(約三二キロ)程度しか出なかった。

「仕方ないだろう、ウィル」リチャードはたしなめるように言った。「商船の護衛には膨大な戦力が必要になる。多少の問題には目をつむって、とにかく数を揃えなければならないんだ」

 リチャードの言う通りであった。島国である連合王国は工業活動に必要な資源を国外からの輸入に頼っており、その多くは当然ながら船舶によって運ばれてくる。船舶が利用する洋上交易ルートは王国経済における大動脈であり、これらを帝国軍から防衛するのは、今次大戦における王国海軍の重要な任務となっていた。だが海はあまりにも広く、船舶は世界中から移動してくる。世界有数の保有兵力を誇る王国海軍でも、護衛任務に必要な戦力を捻出するのは困難を極めると戦前から予想されていた。

 L級駆逐艦とG級コルベットは、その問題を打開するために考案されたフネであった。ある程度の性能低下を承知で設計を簡略化し、建造に要する手間やコストを減らして量産性の向上を図ったのである。この試みは一定の成果を上げ、王国海軍は商船の護衛に充当するための戦力を確保することに成功した。

「それに、配属先の任務はあくまでも商船の護衛だ」リチャードは話を続けた。「敵艦と正面から殴り合いをするわけじゃないし、主たる相手は潜水艦や爆撃機だ。主砲や魚雷が少なくても、さして問題はないさ」

「まあ、それで困るのは砲術科と水雷科の連中ですからね。自分ら対潜科にはあまり関係ないですな」

 ウィリアムが納得したように頷くと、二人は会話を終わらせて岸壁のほうへと向かった。出頭時間は既に過ぎているので、急がなければならない。

 桟橋の入口には看板が立てられており、停泊艦の艦名がその位置と共に記されている。第一〇一戦隊の所属艦は、以下のようになっていた。


   ○L級駆逐艦    〈リヴィングストン〉(戦隊旗艦)

           〈レスリー〉

             〈レックス〉

             〈ローレンス〉

  ○G級コルベット  〈ガーリー〉

             〈ゲール〉

             〈ゴート〉


〈リヴィングストン〉の停泊場所はいちばん奥と書かれていたため、リチャードたちは桟橋の端へと歩いていった。しばらくすると、艦橋後部のマストに隊司令が座乗していることを示す司令官旗を掲げた艦が彼らの目に入る。それこそが、彼らの配属先である駆逐艦〈リヴィングストン〉だ。

 リチャードとウィリアムは、舷側に設置されたラッタル(階段)をつたって甲板へと上がっていった。終点にはライフルを持った衛兵がふたり立っており、来訪者に気づくと捧げ銃の姿勢をとってリチャードたちに敬礼した。どちらも小柄な体に紺色のセーラー服を身にまとった、幼い顔立ちの女性水兵である。乗組員を初めて目の当りにしたことで、リチャードは自身の配属先であるこの艦の異質さを改めて実感した。

 ウィリアムと共に衛兵たちへ敬礼を返すと、リチャードはその傍にいた受付役の女性少尉に着任を申告した。

「リチャード・アーサー少佐およびウィリアム・コックス一等兵曹、本艦への転属命令により着任した。乗艦許可をいただきたい」

「乗艦を許可します。〈リヴィングストン〉にようこそ」微笑みながら女性少尉は言った。「転属の件は艦長より伺っています。時間を過ぎても姿が見えなかったので、どうしたのかと心配しましたわ」

「申し訳ない、道が混んでいたのでね」

 リチャードは素直に謝罪した。相手が女性であるためか、彼のほうが階級は高いにも関わらずその口調は丁寧である。その様子を後ろから見ているコックスは、声を殺して笑っていた。

 リチャードは話を続けた。「艦長室への案内を頼めるだろうか。さっそく、着任の挨拶をしておきたいのでね」

「承りました、手すきの者に案内させますね。荷物は先にお部屋へ運んでもよろしいでしょうか?」

「ああ、頼むよ」

 リチャードが頷くと、女性少尉は衛兵のひとりに人を集めるよう指示を出した。間もなく三人の水兵が集まり、リチャードたちは二人に手荷物を預け、残った一人の案内で艦長室へと向かっていった。


「リチャード・アーサー少佐、出頭いたしました」

「同じく、ウィリアム・コックス一等兵曹であります」

 艦長室に入ったリチャードとウィリアムは、直立不動の姿勢をとり、敬礼しつつ着任を報告した。それに対し、部屋のあるじである女性士官も返礼してこれに答えた。

「艦長のホレイシア・ヒース中佐です。二人とも、よく来てくれました」

 〈リヴィングストン〉艦長のホレイシア・ヒースは、リチャードと同じ濃紺のリーファー・ジャケットを身に着けて室内に立っていた。年齢は二人より多少うえのようであり、女性としては長身でその背丈はリチャードとさして変わらない。茶色の瞳と金髪の持ち主で、長めの髪を後ろで団子状にまとめていた。

「本日は出頭が遅くなってしまい、申し訳ありません」リチャードが謝罪の言葉を伝えると、彼の新しい上官は微笑みつつ答えた。

「この基地は広いし、初日だから今回は大目に見ておくわ。次があるときは気をつけなさい」

「はっ、ありがとうございます」

「まあ、挨拶はここまでにしておきましょう」

 ホレイシアはそう言うと、二人に備え付けのソファに腰かけるよう促した。

「さて、貴重な実戦経験者を隊に迎えることができて、私は嬉しく思います」リチャードたちが座ったのを確認すると、ホレイシアは話を再開した。「現在、第一〇一護衛戦隊は来月、つまり一一月に参加する連邦への物資輸送作戦に向けた準備を行っています。残り時間はあまり残っていませんが、この作業に両名とも参加してください」

「分かりました」

「了解であります」

 リチャードとウィリアムが了承の旨を伝えると、ホレイシアはまずリチャードに今後の予定を説明した。その内容は、人事局長がリチャードに伝えたものとほぼ同様である。特に、実戦未経験者である隊員たちへの教育・訓練に力を入れてほしいとのことであった。

「さしあたっては、戦隊の活動日誌と士官名簿を後で渡しておきます。一読して訓練計画の参考にしてください」

「……分かりました。早急に草案を作成いたします」

 リチャードはわずかに間をおいて答えた。この手の仕事は未経験であるため自信はないが、任務である以上はできる限りのことをやらねばならない。

「よろしく頼みますね、副長」

 ホレイシアはそういうと、続いてウィリアムのほうに視線を向けた。

「兵曹。貴方は本艦の対潜科に、先任ソナー手として配属されます」

「はい、艦長」ウィリアムは元気よく返事をした。

 音波を用いて水中を探索するソナーは、敵潜水艦を捜索する際に重要な存在である。ウィリアムは下士官としては若手であるものの、この装置の扱いに習熟していた。

「兵曹には戦隊将兵の模範となるべく、〈リヴィングストン〉の対潜技能の向上に努めてもらいますが……。これとは別に、本艦の先任衛兵伍長も担当してもらいます」

「自分が、でありますか?」上官が発した予想外の言葉に、ウィリアムは驚いた表情をした。

 先任衛兵伍長とは艦内で軍歴が長く、かつ優秀と判断された下士官が任命される役職だ。兵と下士官を統率してその規律を維持するのが主たる任務であり、通常は入隊して数十年のベテラン下士官が任じられることが多い。

「自分は入隊から七年しかたっていない若造です。自分がその任にふさわしいとは、到底おもえないのですが……」

「私たちの軍歴は、もっと短いわよ」ウィリアムの言葉を聞いて、ホレイシアはすかさず反論した。「ほとんどが入隊して二~三年ぐらいだし、WARNSの創設時から参加していても五年ほどです。実戦に至っては、経験している人なんて誰もいないわ。戦隊にとって、実戦経験者であるあなたの存在はとても貴重なのです。先任下士官として、〈リヴィングストン〉の軍律の維持に是非とも貢献してください」

「……分かりました。若輩者ですが、できる限りのことはさせていただきます」

「ありがとう、助かるわ」ホレイシアは部下の言葉を聞くと、嬉しそうに微笑んだ。

「私からは以上です。夕方の点呼で貴方たちを乗組員に紹介するので、それまではしばらく自室で休んでください。詳しい話は、また改めて行います」

「分かりました。では、これにて失礼いたします」

 リチャードはそう言うと、ウィリアムと共に立ち上がって敬礼し、彼とともに艦長室を後にした。


 艦長との会合を終えて数時間後。

 夜の八時を過ぎた今、リチャードは与えられた自室で戦隊の士官名簿に目を通していた。二メートル四方ほどの広さをもつその部屋は、艦橋構造物の一階部分に置かれている(艦長室があるのもここだ)。移動の疲れが出ているのか、コーヒーを片手に眠たげな目をこすりつつ名簿のページをめくっていた。

 夕方の点呼で乗組員たちとの顔合わせを行った後、リチャードは他の士官たちと共に食事をとり、そこで〈リヴィングストン〉の主だった幹部の顔ぶれを知ることができた。その陣容は、新参である彼も含めて以下の通りであった。

  

  ○艦長(戦隊司令官を兼任)

   ホレイシア・ヒース中佐、二九歳

  ○副長(艦長補佐。戦隊付き参謀を事実上兼任)

   リチャード・アーサー少佐、二五歳

  ○水雷長(魚雷および発射管の管理・運用)

   エリカ・ハワード大尉、二六歳

  ○砲術長(主砲および機関砲の管理・運用)

   サリー・フーバー大尉、二四歳

  ○対潜長(対潜戦闘および関連装備の管理)

   フレデリカ・パークス大尉、二三歳

  ○航海長(航海・通信・レーダーの運用・管理)

   ジェシカ・シモンズ大尉、二二歳

  ○機関長(エンジンの管理・運用)

   ウェンディ・マイルズ大尉、二八歳

  ○艦付軍医(艦内の医療業務全般)

   シェリー・ブルックス少尉候補生、二〇歳


 彼女たち(とリチャード)を含めて艦内には合計一三人の士官が乗り込んでいるが、その全員が二〇代の若手ばかりであった。その指揮下にある下士官四十九名、水兵九四名も同様である。通常ならばどの艦にも必ずいる、軍歴十年以上のベテランは一人も乗っていない。それどころか〈リヴィングストン〉に限らず、隊員たちは戦隊に配属されるまでフネに乗った経験がないという者が半数以上を占めていた。

 リチャードに与えられた当面の任務は、この新兵同然の隊員たちに対して実戦に向けた訓練を施すことである。日誌によれば軍学校の教官らを招聘した猛訓練を半年ほど受けてはいるものの、その評価は芳しいものではない。

 戦隊の出撃は一ヶ月後の一一月二日を予定しており、リチャードは残されたわずかな時間を活用して隊員たちの練度を可能な限り底上げしなければならなかった。任務の成否にかかわる困難で重大な役割が、配属されて間もない、新参である彼の手に託されているのだ。自身もどちらかといえば若手であるリチャードにとって、かなり負担の大きい任務といっていいだろう。

(とはいえ、資料を見た限りでは悪いことばかりでもないようだな)リチャードは名簿を読みつつ、心の中でそう呟いた。

 前述したように、女性補助兵の統括組織であるWARNSは、各種の後方支援組織に人員を提供するのがその任務である。その特性を反映して、戦隊に属する隊員たちの前歴は文字通り多種多様となっていた。全員というわけではないが、エンジン技師やレーダー操作員、通信兵といった特殊な技能を既に取得している者が少なからず在籍している。中にはベテランの男性兵士にも引けを取らない、豊富な知識とノウハウを身に着けているものもいた。その能力を活用すれば、戦隊全体の練度向上は思ったよりも容易に進めることができるだろう。

 リチャードが物思いにふけっていると、不意に扉を叩く音が室内に響き渡った。彼がどうぞと言うと、士官制服を身に着けた女性が顔を見せる。袖の階級章は大尉のそれであった。

「副長、艦長がお呼びです。艦長室へお越しください」

「分かった、すぐ行く」

 敬礼して用件を伝えた士官にそう答えると、リチャードは名簿を閉じて机に置き、立ち上がって彼女のほうに視線を向ける。彼は〈リヴィングストン〉着任以前に、この女性大尉と会った覚えがあった。

「パークス大尉、だったな。五日前に海軍本部で顔を合わせたのは、確かきみだったね?」

「はい、副長。お久しぶりです……というのも、少し変ですね」

「まだ、一週間も経っていないからな」

 〈リヴィングストン〉対潜長、フレデリカ・パークス大尉にリチャードは苦笑しつつ言った。彼が人事局を訪れた際に、配属先の士官として紹介されたのが彼女であった。

「で、呼び出しの用件はなにかね?」

「業務引き継ぎを行いたいとのことです。既に他の幹部士官は集合しております」

 彼女の言う『業務』とは、おそらく副長が担当するそれのことであろう。リチャードの着任以前は他の幹部士官たちが代行していたはずであり、新しく着任した彼のために注意事項その他について確認を行う必要があるのだ。

「了解した。準備ができしだい向かうと、艦長には伝えておいてくれ」

「分かりました。では、失礼いたします」

 パークス大尉は笑顔でそう言うと、再び敬礼して部屋を後にした。リチャードはそれを見届けると、備え付けのクローゼットから書類カバンを取り出して準備を開始する。筆記具一式にメモ帳、それに士官に配布される勤務マニュアルなどをその中に詰め込んでいった。

「まったく、初日から忙しいことだな」と、リチャードは溜息をつきつつ心の中で呟いた。彼に与えられた職務の重大さを考えると、愚痴のひとつもこぼしたくなるのは無理からぬ話である。

 ただ一方で、リチャードはこの仕事にある種の面白みを感じはじめていた。なにしろ途中参加とはいえ、ひとつの部隊が組織化する過程に参加することができたのだ。指揮官として教育を受け、軍歴を重ねてきた彼にとっては、自身の能力をためす『腕試し』の機会が与えられたといっても過言ではない。リチャードはいま、困難な題材を前にして苦悩しつつも完成にむけての努力を誓う、向上心あふれる画家が抱くのに似た高揚感を実感していた。

 リチャードは準備を終えると、机に置かれていたカップを手に取り、わずかに残っていたコーヒーを飲み干す。多少冷め始めていた苦い液体を胃に流し込み、カバンを手にして自室を後にした。


 引き継ぎを終えてリチャードが部屋に戻ったのは、その四時間ほど後のことである。その後も書類の確認と訓練計画の作成に追われ、けっきょく彼は一度もベッドに入ることなく〈リヴィングストン〉における最初の夜を過ごした。以後、リチャード・アーサー少佐は乗艦の管理に戦隊の訓練、出撃に関する打ち合わせと、怒涛のような忙しさに見舞われる。

 そのような日々の末に、彼は一か月後の出撃を迎えることとなった。

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