最終話

米子はそれは美しい瞳を、要に向けて言った。


「高々の人間の思惑通りの、神々様なんておりませんわ……とは言え、裏の森林と藻さんと白孤は一番の神様のご心痛だったのは確かですわ。その課題を今までお待ち頂けたのは、一方ならぬ先生の努力の賜物ですわ」


「…………」


「そしてあなたが、その先生の重荷を下ろしてくださいましたの。私達に幸福を与えてくださいましたの……」


米子の瞳はキラキラと濡れて、陽の加減で時折紅く見えた。


「あー!やっぱり。米子さん裏の森林は増えて……広がってますよねー?この間はなんだかんだと煙に巻いてましたけど」


「あら?そうでしたかしら?」


「……とかなんとか言って……米子さんの説明はムズイんす……もっと簡単に噛み砕いて……」


「俵崎さん、今回はかなり噛み砕きましたわ……これ以上のお望みは、親鳥が雛にする様に口移しかござんせん」


「はっ?」


要は真っ赤な顔をした。


「よ、米子さん……そ、それは……それはですね……」


「あら?あなたの様なヒヨッコさんには、全然抵抗はありませんわ」


米子はサラッと一瞥して言った。


「やはり、もう少し聡いあなたが、良いかもしれませんわね?」


米子は真顔を作って、要を睨み付けた。


「米子さん、マジで……マジで怖いっす……米子さんは整いすぎてて、マジ普段でも怖いんすからぁ〜」


要は縋る様に米子に懇願する。



森林の入り口は先生のお宅の、門から入って歩いて行く右手に在って、今まで存在しなかった反対側には無い。

金木犀と銀木犀がその香りを、微かに流れる風に乗せて漂わせる。

その森林には、貴彬様の土地が残って神様に捧げたが為に広がって、昔の広さに戻ったので、中央となった場所に、それは綺麗な湧き水からできる池がある。

その池の周りには、冬桜と共に十月桜が咲いている。

この十月桜は三分の一が秋に花を咲かせ、三分のニが春に花を持つ。

一年に二回花を咲かせる、ちょっと風変わりな木だ。

十月から十一月に花を咲かせるが、ここの森林では少し早く満開になる。

これは神様の恩情で、貳瑰洞先生の奥様の為に、精霊様方が気を利かせてくださるからだ。

そしてその木々の下には、それは見事に秋の花々が競い合う様に、貳瑰洞先生と奥様にその可憐で可愛い姿を、見てよ見てよとアピールしている。

そして池のちょっと先……入り口反対側に、先生達の短い逢瀬の〝時〟の為の小さな家屋が立っている。

ここで貳瑰洞怪は、最愛の妻と一週間の逢瀬を楽しむ。

妻が得意としたちらし寿司を、怪が米子が用意してくれた具材を持って、二人で作る。

無論怪は何もできないから、それは清い湧き水を運んだり、火を焚く薪を工面したり……森林にはお許しを頂いているから、焚き木となる木が沢山ある。

中日には小豆を煮て餅米を蒸して、おはぎを作る。

さすがの米子も妻には適わぬ程だから、少しおすそ分けをするが


「今年は貴彬君も居るし、要君も居るから多目に作ろう」


怪はそれは嬉しそうに言う。


「貴方が大変お世話になっている方々ですから、沢山差し上げましょう」


妻は優しげに微笑んで言う。

書くことばかりに熱中した人生であった。

そんな怪を、愚痴一つ言う事無く支え続けてくれた一生であった。

果たして幸せな一生であったのか……。


そして死しても尚、強欲にも書き続けている。

それが神様のお気に召し、妻も死して尚こうして怪に尽くしてくれる。

本当に幸せだろうか?

苦ではないだろうか?

聞きたいが、怪は怖くて聞かれない。

妻が死して尚辛い思いをしていると……知るのが怖い。


「貴方、もっと薪をべて下さいな」


妻は観音様の様に、優しい笑顔を向けて言った。


仮令彼女が苦であろうとも、怪は我儘にもずっとその笑顔を見ていたい。

怪のお役が尽きるまで、延いては何も書く事ができなくなるまで……。



《貳瑰洞怪先生のお気に入り達…終》

… 貳瑰洞怪先生のお気に入り…終…



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貳瑰洞怪先生のお気に入り 婭麟 @a-rin

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