第2話

「先生凄く良い香りがします」


要は突き当たって、右手に折れて歩いている時に言った。

甘く芳しい香りが、全てに鈍い要の鼻を捉える。


「ああ、今は木犀が咲き始めたからねぇ……」


「木犀?」


「金木犀とか銀木犀とか……」


「ああ……聞いた事あります」


「……だろう?有名な花だからねぇ……だが要君、ここだけの話しだが……」


先生は、声のトーンを下げて要を見た。


「金木犀は日本には雄株しか輸入されて無いんだが、裏の森林には当然ながら雌株がこっそりとあるのだ……」


先生は人差し指を、口元に持っていって言った。


「えっ!マジっすか?」


要迄声を落として先生を見つめる。


「凄いだろう?」


「さすが、唯一神様がお座す森林っす……」


「だろう?だろう?の神様は凄いのだ」


先生は至極自慢気に言った。


「またまた、お二人で怪しいこと……」


米子が輪島塗りの大きな盆にお茶とお菓子を乗せて、呆れる様に二人を見て言った。


「……そう言えば、米子さんのご主人は、凄くカッコいい男性ひとでした」


「あら?いつを?」


とか言いながら、それは当然の様な顔をして聞いた。


「あー以前……家守を見た時の帰りに……」


「家守?」


「それは綺麗な白い……」


「ああ……」


またまた当然の様な顔をする。


「あの帰りにちょっと寄り道して……」


「ああ。あの時?……二階からあなたを、見たと申しておりましたわ」


「ああ、それ俺っす」


「だからあなたを、見たと申しておりました」


「???」


「私共あなたには、恩がございますもの……」


「ふ〜ん……米子さん……その意味が解りません。そう遠回しに言わないで、凄く凄く噛み砕いてくださいよぉ〜」


「凄く単刀直入だと思いますわ」


「米子さ〜ん!マジで怖いんすけど……あの時言った事、まだ根に持ってます?ごめんなさいって謝ったじゃありませんか〜」


要は先生の手を離して、とっとと部屋に入った米子を追って入った。


「おお!」


要は部屋の中に入ると歓声を上げた。


金木犀と銀木犀とが入り乱れる様に、襖一杯にひしめき合って、その香りを競い合う様だ。

その入り乱れる香りは、互いを邪魔する事無く一体化して、今外で嗅いだ芳しい香りよりも、艶を帯びた芳香を漂わせている。


「なんか……なんか……嗅いだ事無い、物凄く良い匂い」


要は蕩ける様な、恍惚とした表情を作って言った。


「そうだろう?妻が好きな香りだったのだ……」


先生も恍惚とした表情を、作って言った。


「えっ?先生!先生、奥さんがいるんですか?」


「うーん?ではなくのだ……ん?……」


「…………」


「そう言えば、もうすぐお彼岸ですわね?」


「おお!そうだそうだ」


先生はそれは嬉しそうに、要を見て言った。


「今日の満月堂は……」


先生のおセンチな表情なんてお構い無しに、米子がサッサと言う。


「お芋で創った紅葉の色鮮やかな菓子と、栗、うずら豆、うぐいす豆を、求肥を餡で包んだ物の周りに付けた鹿の子ですわ」


輪島塗りの黒と赤の皿に乗せられて、秋の風情が満載だ。

それと金木犀の花弁を浮かべたお茶が、それは芳しく誘う。


「米子さん……」


要はお茶を目の前に置かれて、その芳しい香りを吸い込む様にしたかと思ったら、真顔を作って米子を見つめた。


「先生は結婚して無いって、言ってませんでしたっけ?」


「あら?そんな事言ったかしら?」


「もう〜米子さんたらぁ……」


要は思いっきり頬を膨らませて、米子を見つめた。


「ふふ……そんな可愛らしいお顔をなさっても、動じませんわ」


米子は片方のほっぺに、白魚の様な細い指を突いて笑って言った。


「さあ、召し上がれ……」


米子は笑いながら部屋を出て行き、入れ替わる様に羽鳥が慌てる様に入って来た。



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