第5話
そうだ、その頃から気がついていた……。否、もっと以前からだ。
だがどうしても、それを認めたくはなかった。
豊子に騙された、哀れな男になりたくはなかった。
だから、知らぬ素ぶりで豊子に殺される事を選んだ。
諦めの感情の奥底に、豊子に対する憎悪と怨みを隠して……。
あと幾度毒を口にすれば、豊子の望む通りに死ぬのか……。
毎日そう思いながら、豊子が差し出すスープを口にした。
「認めてください」
要は貴彬に詰め寄る様に言った。
貴彬はただ静かに目を向けてくる。
「何を?」
「彼女を憎んでると……後悔してると……」
「後悔など……」
貴彬はそのまま言葉を、切って要を見た。
「家は?この家はどうなるんだい?」
「当然の事っすけど、彼女が全て金にして、もっと金持ちと結婚します……その人も数年後には死ぬんすけど……」
「毒殺か?」
「たぶん……オタクと同じで、病死って事になってますが……」
「……そうか……僕が愚かなばかりに僕の代で潰したのか……」
「悔恨があるなら、認めてください」
「どうして?僕の体はもう駄目だ……もし毒を飲まなくなっても、そう長くは保たない。それに彼女が……」
「それでも認めてください。彼女が憎いって……後悔してください……出会った事を……」
「それで?認めてどうなるんだい?僕が惨めに死ぬだけだろう?」
「どうせ死ぬ時には、惨めだっただろう?」
要が珍しく大声を上げた。
「自分の気持ちは解ってたろ?惨めに涙を流して死んだろ」
「ああそうさ。惨めだったさ……惨めで惨めで……最後に己の愚かさに涙を流した……あの女が憎かった。愛した分だけ憎かった!」
貴彬はそう怒号すると、身体中を震わせて痩せ細った身体を折り曲げた。
息が苦しげに荒くなって、唇が紫色に変色した。
「だがどうにもならない……」
見るに堪えない形相を向けて、貴彬は要を睨め付けた。
カッと窓外で雷が光った。
黒雲が強風と共に流れて幾度も光を放ち、そして大きく鳴った。
バタバタと窓に雨が音を立てて叩きつけ、ザーという音と共に物凄い雨が降った。
貴彬は要を睨め付けたまま突っぷした。
痩せ衰えた貴彬の形相は、まるで骸骨が怨みを持って睨め付けている様だった。
家守の米子は貴彬の見開いたまなこを、そのすべすべとした柔らかい体を、摺り寄せる様にしながら覗いた。
愛おしげに覗き込んでいたかと思うと、紫色に変色した唇を微かに開いた、その口に顔を突っ込んだ。
「!!!」
まだ息絶えていなかった貴彬は、渋面を作った。
「ここです……ここに……」
豊子は不審者が侵入して来たので派出所に人をやり、巡査を伴って貴彬の寝室に入って来た。
そして雨の音と雷の音を聞いた。
カッと稲光りが貴彬の姿を浮かび上がらせた。
その姿を豊子と共にやって来た巡査も目に留めた。
煌々と明るい柏木の屋敷で、豊子は柏木の友人という、元華族だという家系の一人息子の貴彬と出会った。
結婚を考える迄の仲になった柏木とは違い、長身で細身の貴彬は、さすがに出自が良いからか、豊子の目には輝いて見えた。
「母がどうしても駄目だと言うんだ……」
柏木は豊子の面前でも、隠そうともせずに言った。
柏木の家は手広く商売をしているが、貴彬の様な良家でも何でもない。
決して裕福な家庭ではない豊子を、見下しているところがあった。
「それは残念だね……だが、時をかけてじっくりと説得するといい」
「いや……僕は豊子とは別れるつもりでいるんだ」
「えっ?」
貴彬が柏木と豊子を見つめた。
豊子は少し泣きそうになりながらも、静かに頷いた。
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