第2話

おやつの時間が過ぎて、要はトイレの帰りに毎日作業をしている部屋とは、反対側の廊下の先で、それは美しい笛の音を耳にして足を向けた。

そういえば、先生のお宅はそれは広く洋室や和室が規則正しく存在するのだが、要は余り幾つも在る部屋を覗いた事が無い。

玄関から入って廊下を真っ直ぐに奥に行くと突き当たり、左右に同じ位の広さで廊下が続いている。

何時も居る部屋は、右手に在る廊下のずっと先に在る突き当たりで、障子を開けると最初は水仙の花が可憐に咲いている本襖が在って、百合の花の襖、曼珠沙華(だけは違うんだが)の襖と季節によって変わっている。

今は初夏の森林の様な涼しげな襖で、鳥が囀り小川が流れている。

そしてその襖の前に先生愛用の黒檀の文机があって、その上に必ず襖と対の文箱が置いてある。

今回の文箱は漆黒に真っ白な入道雲がもくもくと漂い、その隙間に青空が覗いている。

そしてその部屋の右手には障子が嵌め込まれた窓があって、障子を開けると裏の森林に続く入り口が見えるのだが、なぜか要はその光景に魅入られている。

その部屋とは反対側の直ぐの部屋で、要がお泊りする時は米子が作った、それは美味い夕餉をご馳走になった後、必ず先生と床を並べてお泊りをする。

当初凄く凄く要は、先生が〝あちら〟の人だと勘違いして、かなりビビっていたが、それはちょっと違っていたと思う様になって来た……が何処か解らない〝あちら〟の人であるらしい事は、要も何となく勘づきつつある様だが、決して要は判然と解る人間ではない。

その部屋の二つ先の部屋が、それは見事な海棠の花を描いた襖がある部屋だ。

今は花弁を散らす事は無くなったが、何時見てもその豪華さは色褪せずに咲き誇っている。

それから、洋室として存在する、突き当たり迄行くまでの間にリビングがあり、そうそう独立型の台所が在るのだが、何時も米子が居るとは限らない。

……と、この三部屋四部屋位しか要は知らない。

とにかくいろんな物に興味を持たないタイプなので、沢山あるお部屋を見せてください……と言う気持ちが全く無いのだ。

そんなあんまり覗いた事が無い先生のお宅の、何時も居る部屋とは真逆の部屋から、それは胸を打つ音色が聞こえた。

要にしては珍しく惹かれる様に、その部屋へ足を運び障子を開けた。

瞬時に笛の音は止まり、要は真っ白な襖の前の真っ赤な卓上に、それは見事な拵の横笛と白絹が、黒塗りの盆にのせられて置かれてあるのを認めた。

要は引きつけられる様に部屋の中に入り、そして横笛を手に取った。

すると要は渋面を作って横笛を投げ捨てた。


「俵崎さん?」


米子は障子の外に茫然と立って声をかけた。


「あ……す、すみません」


米子は中に入って来るとマジマジと要を注視しながら、投げ捨てられた横笛を拾って要に差し出した。


「いえ……もう……」


要はそう言うと震える様に立ち上がって、部屋を出て行こうとするが足が動かない。

微かに……微かに震えて足が動かないのだ。


「俵崎さん?」


「だ、大丈夫です……ただ……凄え怖くて……」


「怖い?」


「あ……領主に死ねと……」


「死ねと言われたんですか?」


「判然とじゃ無いけど……そうしないとって思って……そうしたら、マジ怖い……怖いのに死ななくちゃ……って……死ななくちゃって……」


「死んだんですか?」


「腹を切りました……凄え痛くて苦しくて……結局……喉を突いて……」


「死んだんですか?」


「……悔恨が……。お遣いする主人に申し訳無くて……申し訳無くて……」


「俵崎さん?」


「それでもしないと……あの人の為に死なないと……」


「俵崎さん?」


要は突っ伏して慟哭した。

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