第3話

「羽鳥君、今日は残念だったねぇ」


貳瑰洞にかいどう先生は、例のご贔屓の料亭の楓の間で、羽鳥と対座して言った。


「はい。何時も何時もありがとうございます」


「いやぁ、結局何の役にも立ってないからさぁ……僕の方こそ申し訳ないよぉ」


「とんでもないです」


羽鳥は重々しく首を振った。


「あの原稿は、どうなりましたかね?」


「どこかの狭間に、引っかかってるだろうね」


「やはり……お許しを頂いていないんじゃ、ないですかね?」


「それはないよぉ。もしお許しを頂いてなければ、君は何回も、生まれ変わる事はできないよぉ……それも、記憶を残してだ……」


「だったら……」


羽鳥は悲痛な声で言った。


「……せめて触れ合えればねぇ……愛し合う二人には、本当に酷な呪いだ……」


「それこそ、本当に呪いなんでしょうか?」


「それも解らないねぇ……ただ、みずくさんは確かに瑞獣だ。神様が遣わされた瑞獣だった。ゆえに従来の話しの様に、上皇に仇する筈はないし、寵愛を受けた皇后の筈もない。ただ女官の姿と化して吉兆を知らせに降りただけだ。ところが上皇が藻さんの美貌と博識を寵愛した。だがそれは後世で言われている様な事じゃない。お側に置いて話し相手に喜ばれただけだ。そんな上皇様の寵愛を快く思わない者が、藻さんを陥れたんだ……神様は殊の外、その事についてお怒りだ。だから岩に傷つけられて封じ込められた、藻さんを救い出され長きに渡って傷を癒させられた。お許しになっていなければ、その様な事はなされない」


「そして僕は、藻と運命的な出逢いをしたんです」


「そう……いいかい羽鳥君?お許しになられなけば、君と藻さんは僕とは会っていないよ」


「……そう、ずっと先生に慰さめられて来ました。だけど、僕達は今だに……」


羽鳥が辛そうに俯いた時、襖が開いてそれは美しい、ここの女将が顔を出した。


「先生、そろそろお食事をお持ちしても?」


「うんいいいい……。今日は上等の酒を頼むよ。羽鳥君は気分が沈んでいるんだ」


「また駄目だったんですか?」


女将は羽鳥を見つめて言った。

黒曜石の様な瞳が、それは綺麗に潤んで見つめる。

すると羽鳥は苦渋の表情を浮かべて、女将を見つめる事もできずに首を横に振った。


「またチャンスはあるよぉ。僕は諦めずに書き続けるからさぁ……」


女将も着物の袖口で目元を拭いて襖を閉めた。


「羽鳥君……行ってあげなさい」


「何を言えばいいのか……」


「……じゃないだろう?」


羽鳥は貳瑰洞先生の顔を見つめて立ち上がると、部屋を出て行った。

さすがの貳瑰洞先生も、大きく溜め息を吐いて、軽く首を振った。


「藻……」


羽鳥が廊下に出ると、女将は廊下の隅で泣いていた。


「いつまで待てば許されるのでしょう?」


「許しは頂いている」


「嘘です」


女将はそう言って羽鳥を見つめた。

涙を溜めたその瞳は、いつも羽鳥を見つめると、今の様に潤んで輝いた。

その瞳が美しくて見入ると虜となった。

瓜実顔の狐の様に綺麗な顔立ちは、永きに渡って生きている妖狐と言うよりも、やはり神の遣わしめ瑞獣という方が、崇高で気高いこの人に似合っている。

だから羽鳥は、貳瑰洞先生の言葉を信じている。

決して人に仇する妖狐……九尾の狐ではなく、吉兆を告げる神の遣わしめ又を瑞獣の九尾の狐だと……。


「嘘じゃない。あちらは先生を通して、僕らを救おうとしてくださってる……もう長い事待ったんだ、僕の一生くらい大した事はない」


「また、あなたが死んだら……私は堪えられません」


「それを堪えよう……ならば、私の為に堪えてくれ」


女将はわぁと声を出して、座り込んで泣き出した。

羽鳥はすぐ様手を差し出して、抱きしめる素ぶりを作って躊躇した。

女将……藻は羽鳥が触れようとすると、その身が透けて触れられないのだ。

ただ、羽鳥だけが触れられない。

体を小刻みに震えさせ、白い頸を艶めかしく見せながら、藻は羽鳥の側で泣いている。

触れる事ができない羽鳥が、苦汁の涙を浮かべる。

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