第14話
「あー、おはよう要君」
先生も力無く要を見て言った。
「お、おはようございます……先生……」
「うん?」
「襖絵……水仙の花じゃ無くなったんですね?」
「そうなんだよ要君。君のお陰で間に合ってね……水仙の花は球根を取らないといけないそうなんだ」
「そうなんですか?」
「うんうん。君が言ってくれなかったら、間に合わないところだったよーありがとねー」
「と、とんでもないです……」
よくは解らないが、季節が変わったから襖を変えたようだ。
今度の襖絵は見事な色彩煽れる百合の花の中に、何本か黒百合が咲いていて、とても可愛らしく可憐な襖絵だ。
障子が開いている所為か、微かに芳しい香りが漂ってくる感じがする。
「百合の花は芳しいね」
「そうですね」
疲れた感じの二人は、ホーとため息を吐いて言い合った。
「要君……実は言いにくいのだが……」
先生は口籠る様に言った。
「いろいろ書いてみたんだが、どうも上手くゆかなくってねぇ」
「はあ……」
「艶子さんはどうしても、海堂君を受け入れてくれんのだ……」
「そうですか……」
要は、先生がどんなに一生懸命に頭を捻り潰して書いたとしても、あの飛鳥すらマンネリと言わしめた小説を、どう展開を変える方向に持っていって頂くか困り果てている。
新米の要が、先生程の先生に言えるわけが無い。
「先生、この際ですから海堂に、無理矢理〝もの〟にしてもらいましょう」
やけっぱちで要は言った。
……どうせ今の時代の若者たちに、受け入れてもらえぬ内容だ、もう何とでも言ってしまえ……状態となっている。
要が非力なばかりに、とうとう先生がこんな憂き目に遭う日が来ようとは……。
「それは要君。紳士たる海堂君が無理矢理などと……」
「先生。今の時代愛人を囲っている自体、紳士とは言えません」
「へっ?……」
「そんな事がバレたら、どんなに偉い人でも袋叩きのご時世です。金で物を言わせて妻にしたのですから、無理矢理なんて当然しそうなヤツです」
「そ、そうかなぁ……」
「駄目元でいきましょう」
「うっ……しょうがないなぁ……そこまで要君が言うなら……僕は気乗りがしないけどなぁ……」
先生はしぶしぶ文机に向かった。
文箱の模様が気になって、要は漆黒の文箱の蓋を覗き見た。
……おっ!やっぱり黒百合か……
真っ黒な文箱の蓋に、金で縁取りをした黒百合が揺れている。
!!!揺れている?
「海堂君海堂君……艶子さんの為だよぉ〜艶子さんの為だよぉ〜」
呪文の様に唱えながら筆を進めている。
「愛しているんだ!君は愛しているんだよぉ〜」
裏の森林から流れる風と、その風に揺らぐ木々のざわめき……しか聞こえない静かな空間に、先生の呪文が流れている。
不気味だ……かなり不気味だ……がしかし、それよりもこの作品が世に出た時に、訪れるであろう先生への、絶対的信頼が崩れる方が恐ろしい。
10時のおやつを米子さんが、お茶と一緒に運んできた。
「今日は、葛の生地でこし餡を包んで桜の葉で巻いた物と、葛切りです」
「うわ!涼しげで美味そうすね」
昨日とは打って変わって、要が飛びついた。
「どうぞ……」
「えっ?でも……」
「夢中になられたら仕方ありません」
米子はそう言うと、桜の葉を巻いた和菓子を手渡した。
要が桜の葉を、取って食べようとすると
「おお要君!なんか……なんか……いいかもしれないよぉ〜」
「は?」
先生は要に抱きつかんばかりに喜んで、当然の様に米子が、意味ありげな笑みを浮かべて要を見ていた。
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