第9話

食後先生は少しお昼寝をする。

それは先生の毎日の日課だ。

先生がお休みの間は要も応接間にある、それはそれは本革の高価そうなソファーでウトウトとさせて頂く。

腹の皮が突っ張れば、目の皮が緩む……亡き祖母が言っていた。

そういう言葉が、あるか否かは定かではないが……。

広いお屋敷の様な邸宅で、先生は寝ているし米子さんは台所だ……。

しん……と静まりかえって怖いくらいだ。

サワサワ……と裏の森林の木々の揺れる音が心地よくて、時たま鳥の鳴き声が聞こえる。

凄く凄く気持ちいい。

さっきの支那そばは最高だし、米子さんが言うところの、旬の筍を使った青椒肉絲は美味かった。今まで食った青椒肉絲が色褪せて見える程に美味くて、そしてちょっと甘めの海老チリも美味くて……詰まる所食い過ぎて、何時にも増して眠気が襲う……。

森林からの吹き抜ける風が、まるでソファーに横たわる要を包む様に睡魔が襲う。


「海堂さんは貴女を、お金で買ったんですわ」


「……………」


「でも、貴女を買ったんじゃありません。貴女に付いて来る〝華族〟の称号を買ったんですわ。あのひとは身分が無いも同然の身の上ですもの、あそこまで成り上がれば欲して当然でございましょう?貴女が欲しくて買ったんじゃないんです」


「お話しはそこまでで充分です……」


「さすが、落ちぶれたとはいえ、お育ちはよろしいのね?顔色ひとつお変えにならない」


「貴女もお解りでしょう?私達の様な女は、家の為にはどこに差し出されても仕方のない身ですわ。あの方が私が持って来る〝華族〟という称号が欲しくて私を娶ったとしても、私はそれをも受け入れて夫に尽くします。貴女もお医者様のご正妻になられたのですから、身を固めた男に未練などお捨てなって、どうぞご主人様にお尽くしなさいませ」


「ふん……ちょっと育ちが良いからって……」


「そのお陰で、貴女が欲しくて堪らなかった地位に着きました……海堂の浮き名は存じております、貴女の他にも多数のご婦人がお越しでしたから……」


要は静かな邸宅で、女性達が話している声で目を覚ました。


……海堂って言ってたな……


気になる名を耳にして、身を起こして辺りを見回した。

だが、応接間には要しか居ない……。

そら耳か……。

あれはまだ幼稚園に上がる前の事だ。

要は慢性の中耳炎で、しょっ中近くの耳鼻科に通っていた。

ある日そこの大先生が、母親が会計をしている時に要に言った。


「要君、君は慢性中耳炎が酷くて、ちょっと……ほんのちょっと難聴なんだ。だけど君の耳はそれは偉くて頑張っているから、そら耳が聞こえるんだよ」


と言った。


……そらみみ……


一体それはどんなものだろう?

要は小さい時からボーとしてるから、そのまま忘れてしまった。

……が、小学校の高学年になった頃クラスで


「そら耳」


という言葉が一時期流行り、そしてその意味を何となく知った。

それは、要がたまに聞き間違う……聞いてしまう……そんな感じのものであるらしい事を悟った。


……そうか、ちょっと難聴だから、稀に誰かに話しかけられたり、話し声が聞こえたりするのか……


と納得したのを覚えている。

その話しを母親にした事があるが


「あら嫌だ、あそこの大先生は、ずっと前に亡くなってるわよ」


と言ったが、要が話したのもずっと前の事だから、母親のずっと前と自分のずっと前が、同じだと思い込んで今に至っている、あまり追及しないのが要だ。



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