第5話

「先生!先生!」


要は大急ぎで水仙部屋に戻って来ると、フリーズしたままの状態の先生の名を呼んだ。


「ん?うん?なんだい要君」


先生は要が後ろに居るのに気づいて、振り向きながら言った。


「先生。艶子さんは海堂さんを、愛していたんだと思うんです」


「ええ?それはまたなぜだね?」


「海堂……海棠の花の襖絵です」


要は満面の笑みを浮かべて言った。


「海棠の襖絵?」


「ああ……実はその部屋の前を通ったら、女性が泣いている声がしたんです……」


「女性?」


「はい、僕はてっきり、米子さんが泣いているのかと……」


「ええ?米子さんが?どうしたんだろうねぇ?」


先生はそれは狼狽して言った。


「いえ……それは僕の聞き間違いだった様で、中には誰も居ませんでした。そしたらそれは見事な海棠の花が満開の部屋を見たんです」


「……そうか……君は誘われたのか……」


「誘われてはいません。開けて見たんです」


「いや……そういう意味じゃないよぉ……そうか……君は艶子さんに会ったのか?」


「……まさか!艶子さんって小説に出てくる訳ですから……誘う訳がありません」


「それはそうなんだけど……」


「あの襖絵は艶子さんの物なんですね?……先生の小説には、モデルとなる海堂ご夫妻がいたんですね?……」


「うん……そうなんだが……お二人はお気の毒だった……しかし君は凄いね?」


「えっ?」


要は毎日毎日先生に褒めて貰うのだが、その意味は解らない。

解らないけど褒めて貰うのは嬉しい。

余り褒めて貰った事がないから、先生に出会って褒めて貰ってばかりだから、要は自分が褒めて貰って育つタイプではないかと思う様になった。


「僕は艶子さんに会えないのだ。だから困り物なのだ、だが、君は艶子さんに誘って貰える……凄い事だよ」


「……誘って貰える?……は無いですが、僕は艶子さんの気持ちは解ったんです」


要はドヤ顔を作って先生を直視した。

だから先生は、みるみる内に期待の色を表して要を注視する。

当然の事ながら、二人は物凄く見つめ合う事となった。


「あら?お邪魔をしてしまいましたかしら?」


お茶と菓子を、盆に乗せてやって来た米子が言った。


「はっ?よ、米子さん。人聞きの悪い言い方は、やめてくださいよ」


要が忘れ様と努めている事に、グングン持って行こうとする、米子に向かって言った。


「あら?人聞き……云々ではありませんわ。私はまでを言っているんです。までを……」


「それが米子さん……僕を不安にしているの、知っていて言ってますよねー?」


「あら?さようで?」


「さようで?じゃないっすよ」


要が米子に、抗議をするかの様に近づこうとすると


「米子さん。要君は凄いのだ」


先生がその行為を遮る様に、てくれた。


「ほら……先生の要君自慢が始まった……」


米子さんはわざと言う。


「要君は艶子さんに誘われたのだ」


「いや、先生。僕は誘われてはいないんです」


「それなら、私も見ましたわ」


……ええ!……

米子さんまで何を言っているのだ?


要の思考回路がショートしそうだ。


「やっ、だから二人とも、何を言っているんです?艶子さんは死んでしまっている、又は小説内の人物です、誘われる事はあり得ません」


「あら?だって海棠のお部屋に、誘われたじゃありませんか?」


「そうそう……」


先生と米子さんは、まるで同盟を結んだかの様に言う。


「いや……ただ、ただですね。僕は聞違ってしまった……って言うか、実は僕にはよくある事で、空耳が……そうそう、空耳がよくあるんです」


「…………」


二人の視線が痛い。痛いがここは、説明して誤解を解かないと……。

そう。空耳とかいろいろあるが、決して要は痛い人間ではない。

ただちょっと耳が悪いだけなのだ……。

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