第4話

……確かに難しい状態になったから、海堂は悔恨の涙を流して死んだのだ……。


先生は物凄く考え込んでしまって、水仙の襖絵と睨めっこをする様に、全く動かなくなってしまった。


先生が自分の言葉の所為で、ショート寸前の憂き目に遭っているとは、思いもよらぬ能天気な要は、先生に一息吐いて頂こうと考えて、米子さんが居る筈の台所へと向かった。


「……………」


水仙部屋とは、反対側になる部屋の中から、シクシクと女性の泣き声が聞こえる。

あの何時も気丈そうで、冷静に要を揶揄っているとしか思えない様な米子さんが、

こんな乙女チックに、一人でメソメソと泣いているなんて……。

そう思うと、興味津津に障子の中の様子を伺う。

女性の押し殺す様な泣き声は、それはそれは悲しげで切なげで、盗み聞きしている要の方が、胸が痛くなってしまう程だったので、堪らずに障子を開けた。

凄く非力な要だが、少しは米子さんの気持ちを和らげてあげたいという、要らしい親切心からである。


「米子さん……」


要は障子をガラリと開けて、愕然とした。

部屋の中には誰も居なくて……無論の事米子さんも居なくて……

ただ部屋の奥に見事に描かれた海棠の花が、それは見事な程に満開に咲いていた。

本襖四枚に見事に描かれた海棠の木は、袋戸棚まで伸びて、まるで天井までも枝を伸ばして花を咲かせているように見えた。

そして要が障子を開けた勢いで、流れ込んだ微かな風を受けて、そのピンク色の艶やかな花弁を舞う様に、たおやかに散らした。

海棠の花は舞うが如くに、要の周りをピンク色に染めながら散った。

要はその美しさに、魅入られる様に佇んだ。


「俵崎さん?」


ハッと要が我にかえると、障子の外で米子が盆にお茶を乗せて立っていた。


「あー米子さん」


「何をしておいでなんです?」


「えっ?あー米子さんが、泣いているかと思って……」


「私が泣く?自慢じゃありませんが、ここ何十年と泣いた事はありません」


「あー確かに……なんか解る気がします」


要はぼんやりした様子を、隠す事なく言った。


「なんか……この部屋で、女性が泣いている声がしたので……」


「……で、誰かおりましたか?」


「いや!いやいや……米子さん、誰も居ません。ただ……」


「ただ?」


「見事な満開の海棠の花が、それは可憐に散って……ほら……」


「要は畳の上に散った、花弁を指差して言った」


「あら……障子を開けた時に、裏の海棠の花が、紛れ込んだのでしょう」


「裏の?」


要はそう言うと、部屋の中に見事なまでに、咲き誇っている襖絵に目をやった。


「ここの襖絵は見事ですねー。散ったとしても可笑しく感じない……」


「この襖絵は、持ち主だった方が、ご自分の名前に因んで作らせた物とか?」


「海棠の木ですか?」


「はい。身代を外腹の子に食い潰されたとか?なんでも、ご自分のお子様ではなかったようですよ」


「ええ?自分の子供じゃないのに、食い潰されちゃったんですか?」


「ええ。亡くなった後に発覚したらしいんですけどね、愛人が我が物顔で乗り込んできて、男を連れ込んだらしいんですが、その時に当主となっていた方を息子って、憚る事なく公言していたとか?」


「じゃ、じゃあ。奥様は?」


「ああ……奥様ですわ。これを作らせたのは……。ご自分のお部屋にこれを置いておいでだったのですって……。ご主人が亡くなられていたく悲しまれて、家を出る時に、ここの前の前?それとも前?とにかくここのご当主にお願いして、この襖絵だけは引き取ったんです。その時も血が繋がらない偽息子の癖に、いろいろ難癖をつけて大変だった様ですが、何せ間に入ったご当主が力のある方だったので……こうしてこれだけはどうにかここに在るんです……だって、アッと言う間に家は潰れて、何もかも無くなってしまったそうで……」


「奥様はそれから、どうされたんです?」


「さあ?ご実家に、お戻りになられたんじゃありません?お嫁入りした嫁ぎ先のお金で、何とかお家は成り立った様ですからね?」


「そうですか?いや、今先生が苦しんで書いているのは、たぶんその方達がモデルだと思うんです……そうか……先生はこの襖絵に纏わる話しを聞いて、感銘を受けて創作意欲が湧いてきたんだな……なるほど……」


要はそう言うと、何か閃いた様に部屋を飛び出して、水仙部屋に走って行ってしまった。


「また、嘆いておいでだったんですね……花弁を散らして……」


米子はそう言うと、そっと障子を閉めた。


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