海棠の襖絵と水仙の襖絵
第1話
水仙の襖絵と睨めっこをしながら、ブツブツと独り言を繰り返して、文机の前に座して渋面を作っている。
その様がかなり深刻な状況なので、要は羽鳥編集長に、暫く先生のお宅に通う様に指示を受けた。
「君が行くと先生が落ち着くからね」
とか
「君しか先生を慰められないからね」
とか、相変わらず意味深な言い方をされて、安心した事が安心してはいけない事の様な気がしてくるのだが、やはり先生がお困りとなれば、仮令無知な新人の要であろうとも、担当者としてはできる限りの事はさせて頂きたくなるのが人情だから、ここ数日朝から通い詰めている。
「うーんうーん。実に困ったなぁ、どうしても艶子さんは、海堂君を愛してくれないなぁ……」
ここ数日ブツブツとしか聞こえなかった先生の言葉が、今日は判然と聞こえた。
今先生が書いているのは、落ちぶれた華族の令嬢が、成り上がり者の海堂匠に、金で買われる様に結婚したが為に、愛の無い生活を送り夫婦仲が上手くいかず、結局海堂が外に作った愛人に子供ができて、その子供が一代で作り上げた身代を潰し、海堂は悔恨の涙を流しながら、後に残す艶子を思いながら死んで行く……というお話しだ。
「要君……どうして艶子さんは、海堂君を愛してくれないんだろうか?」
先生は余りに困り果てている所為か、そんな書いている当人が、解らない事を聞かれても……的な立場の要に聞いた。
要はそれこそ返答に困惑したりだが、そこはお人好しだから真剣に考えてみる。
……が、相手が要だ、解る筈が無い。
「先生……海堂は艶子さんを好きなんですか?」
と、それはそれはくだらない質問をする始末。
すると先生は、パッと明るい顔を作って要を見た。
「おお!要君確かに!確かに海堂君は、艶子さんを愛しているのだろうか?」
と質問してきた。
……いや、そんなの知るわけがない……
と、思いっ切り突っぱねたいところだが、そうはしないのが要の良いところだ。
「先生……先生は、どうされたいんす?」
「どうもこうも、海堂君は艶子さんを愛しているのだ」
先生は至極真顔で言った。
凄く凄く矛盾している…………のが、先生の様な気もする要だから、そこの所はスルーする。
「……では、どうして愛している様に、書かれないんですか?」
「それは……それは海堂君にも、自尊心があるからだ」
先生はドヤ顔を要に向けて言った。
「………?先生、どうして自尊心があると、海堂が艶子を愛していると、書けないのでしょうか?」
「それは……それはだね……昔の男子たる者、そう容易く心中を見せぬからだ」
「えっ?昔の男子たるもの……は、厄介なんですね……」
「そうなのだ、厄介極まり無いから困惑するのだ」
「う〜ん……?」
要はこんな所から、考え込む始末のヤツだ。
「それでも多少は、意思表示をするでしょう?」
安易に容易く話しを進め様とする。
「う……確かに……だが、海堂君は頑なにそう信じているのだ」
「かなり面倒くさいタイプっすねー……」
「だから困り者なのだ……」
「そこをなんとかさせましょう……」
簡単に事を収めようとするのは、性格的なものだ。
要はとにかく物事を追求しない。
「そうはいかない。そこは譲らないのだ」
「誰がです?」
「海堂君がだ……」
したり顔の先生を、要は凝視する。
もはや先生は作品の中に、入りこんでしまっている様だ。
「つまりだなぁ要君……艶子さんが愛していないと、思っているのだ」
「誰をです?」
「海堂君をだ。海堂君は、金で艶子さんを無理矢理妻にした、負い目を持っているのだ」
「負い目っすか?もし、海堂が愛していたのなら、そんな負い目持つ事無いと思うがなぁ?」
「ど、どうしてだい?確かに海堂君は金に物を言わせて、艶子さんを妻にしたんだよ?」
「そうですけど……えっ?まさかこれからの展開で、艶子さんの初恋の人が登場するとか?ドロドロの三角関係?とか?」
「いやいや。そんなのないよぉ……。初恋の人はいたかもしれないが、そんな事実はないからね?」
「事実?」
「あーいやいや。艶子さんに思い人が居て、それで夫婦仲が
「えっ?そうなんだ?」
要は簡単に納得する単純気質だ。
「うーん。やはり先生、僕は海堂が愛しているなら、愛していると意思表示すればいいのではないかと思うんです」
「なぜ?」
「だって好きなんですから……」
要は簡単に言った。
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