第9話

…………………

かくとだに えやは伊吹の さしもぐさ

さしも知らじな 燃ゆる思いを

…………………


要は卓上を覗く様にして読んだ。


「???先生、先生が書かれたんすか?」


「いやいや……君読めるんだね?」


「ああ、はい。凄く達筆?癖字?汚い?……読みづらいっすけど……」


「いやぁ……君!本当に凄いねぇ!」


先生は歓喜を露わにして言ってくれる。

こんなに喜ばれたのは初めてだから、要はちょっと照れてしまう。


「それは百人一首の一句です」


要がハッとして頭をもたげると、盆にお茶を入れて持って来てくれた、ちょっと冷たい感じの綺麗な女性が言った。


「百人一首っすか?」


「藤原実方が詠んだ恋歌です」


「ふ、藤原実方の恋歌っすか?」


「こんなにあなたを思っていますが、それを言う事はできません。伊吹山のもぐさのように、熱く燃えている私の心なんて、あなたは知らないでしょうね?」


「はあ?」


「恋人の清少納言に負けないくらいの、和歌を詠みたいと思って、作ったと言われている和歌です」


「せ、清少納言っすか?和歌……和歌っすか……」


要は初めて聞く事ばかりで、何と言っていいのか解らない。


「ああ、米子さん。私のお仕事をこれから手伝ってもらう、要君です。要君、我が家の切り盛り一切をしてくれている米子さんです」


先生は冷たい感じの美人の、米子さんに言った。


「はい。一目見て解りました」


「えっ?そうですか?」


「とても先生好みの、可愛い方ですね」


米子さんは、さっきの印象とは真逆な、それは優しげな表情を作って、先生に言った。


「うんうん。それはそれは、期待以上の子だよぉ〜羽鳥君は調子が良すぎて困り者だが、実に今回は僕の事をよく知っているよ」


「はい」


先生の喜びようといったら説明のしようもないが、二人の会話はもっと理解しがたい。

まあ、二人でなくても、要はかなりいろんな面で疎い人間だ……。


「要君、明日から此処に来なさい。そしていろいろと話したり、書いた物について聞きたいなぁ………」


「はい。それは大丈夫なんすけど……」


「いい、いい。君は暫く、此処での仕事という事にしてもらうからさぁ……なんか、君と話していると創作意欲が……意欲が……」


先生はかなり、興奮気味に文机に向かった。


「あなた、本当に先生のお好みだわ……」


「えっ?それって、どういう意味っすか?……なんか編集長にも、僕は特別だとか言われてるんすけど……なんか……凄え不安……ってゆーか……」


要は真顔で、米子さんを見て言った。


「何も不安がる事はありません。言葉通りだと思えば」


「それが不安なんですって……」


米子さんは、ジッと要を直視した。


「ふふふ……そういうところも、先生のお好みだわね」


「その意味が……」


「あなた、お付き合いしている方は?」


「い、いませんが……」


「まあ!それはよございました。これからが楽しみですわねー」


米子はそう言うと、凄く凄く意味ありげに、意味ありげに言い残して行った。


「まじかぁ……」


要はそう言って、立ち尽くした。

先生は物凄い勢いで、何かを書いている。

それを只呆然と、見つめて立ち尽くした。


裏の森林で、鴉の鳴き声が聞こえて来る。

気がつくと、雲一つなかった青空は、真っ赤な夕焼けに燃えるように染まっていた。


……伊吹山のもぐさのように、熱く燃えている……


という、さっきの和歌が頭に浮かんだ。


……そういえば、先生って奥さんいるのか?……


要はちょっと気になりだして、ずっと文机に向かって書き続けている、先生の後ろ姿を見つめた。


……いやいや、この年だからいるだろう……


何を気になりだしたのか、要は考えを巡らせ過ぎて、自分で自分に呆れた。


……先生のお好みは〝そういう意味〟じゃない!断じて

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