第7話

「本当に採用されたの?」


 家に帰ってから、母にしつこいくらいに聞かれている。

 その内姉の飛鳥が帰って来て、やっぱり何度も聞かれた。


「着物の似合う白髪の、銀縁眼鏡の好紳士って……貳瑰洞怪先生じゃない?」


「えっ?そう言えば……いや編集長、先生先生としか言わなかったから……」


「馬鹿じゃない?貳瑰洞怪も知らないで、出版社に入社する気なの?」


「何言ってんだよ?バイトでも行けたらラッキーって言ったの、飛鳥だかんな!」


「そ、そうだけど……まさか、貳瑰洞怪を知らないなんて……」


 飛鳥が呆れ果てて、声音を落として言った。


「俺の中には、出版社っていう選択肢はなかったの」


「受ける資格も無いもんね」


 飛鳥の攻撃は容赦ない。


「うっ、まぁ、確かに……」


「それで、明日から?」


 母が肝心な事を、まとめようとでもするように言った。


「ああ、うん。入社式まではバイトって事で、少しでも慣れろって」


「編集長さんて、やっぱり遣り手なんだねー。要がかなりの分からんちんって、読んでるんだわね」


「まぁ……」


 という事で、入社前からバイトという事で、行ってはみたものの、何故か貳瑰洞先生のお宅でのバイトと相成った。


「とにかく君は特別級の特別だから、貳瑰洞先生の専属担当だからね」


「どういう事でしょう?」


「君が入社したら、貳瑰洞先生が月刊誌の連載を、開始してくれる事になっていてね」


「はあ……」


「貳瑰洞先生の連載は、此処数年何処もしていなくてね、これはかなりの話題となっていてね。我々もかなり期待しているわけで……。次が有るかは君にかかっているから、宜しく頼むよ」


「次?次っすか?」


「そうそう、貳瑰洞先生は、うちだけに書いてくれる約束でね……。ただ君次第ではどうなるか……って所なんだ」


「あの、意味が?」


「意味は言葉通りだ。君が先生の期待に添えれば、この連載の後も書いてくださる事になっているんだ」


「はあ……」


「とにかく頼むよ」


 ……マジかぁ……


 そんな大事な事、新人にさせる事ではないだろう?

 って思うが、こんな感じが社会の荒波ってヤツか?なんて思うのが、要の要たる所だ。

 世間知らずというか、無知極まりないというか、お人好しというか……。

 とにかく、それはそれは有名な先生の、担当にさせられてしまった。


 昼過ぎに、貳瑰洞怪先生のご自宅に伺う。

 根岸の閑静な住宅街の一角に、森林があって其処へ行くまでに貳瑰洞怪先生の、旧家の様な立派な佇まいのお住まいがある。

 門にあるインターホンを押すと


「おっ!俵崎君、入りたまえ入りたまえ」


 貳瑰洞先生自ら対応された。

 正門を開けて中に入ると、裏の森林からの風だろうか?サワッと冷たい空気が顔に当たった。

 そして庭も裏の森林を意識した感じの、鬱蒼とは言えないが、決して明るいガーデニングっていうヤツじゃない。

 すべて裏の森林を活かした 一体化庭園って感じで、要の印象は悪くない。


 ……飛鳥から聞いた貳瑰洞先生の、イメージにぴったりだ……


 飛鳥からの情報がどういうものか、かなり怪しげではあるが、この〝家〟を好印象に導いたのだから、飛鳥は〝流石〟というしかない。

 何に対して〝流石〟というかは別として。

 要の持つ旧家の玄関のイメージその物の、豪華なガラスを使った引き戸式の戸を開けて入ると


「いやぁ、よく来たねぇ……」


 と先生自らが、上がり框に立って出迎えてくれた。


「こんにちは。どうか宜しくお願いします」


「うんうん、宜しく宜しく」


 先生はそう言うと、要の腕を取って


「早く上がりなさい。早く早く……」


 急かす様に言った。


「あーはい。」


 要は玄関の昔風の凝った作りに目をやりながら、先生に急かされて靴を脱いで上がった。

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