38回目:獅藤伊鈴<小さき胸に大きな夢を抱いて>

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男だった獅藤しどう伊鈴いすずは、三十四歳の暑い夏の日に命を落とした。彼は、道路に飛び出してトラックにかれそうになっていた幼い少女を助けるために、自身の肉体を盾にして少女を助けようとしたのだ。結果、二人とも死亡したわけだが。


「ぬ、ぐぐ……。俺はトラックにかれて……どうなった? ここは……」


 異世界の地で目を覚ました伊鈴いすずは、かぶりを振りながら呟く。まだ意識がはっきりとしていないのであろう、伊鈴いすずは自分の置かれた状況に気が付いていなかった。


「ん? なんだ? なにか、違和感が……、っ!?」


 異世界に来て初めて自分の手を見た伊鈴いすずは驚愕する。伊鈴いすずの瞳が映している可愛らしい小さな手が、明らかに自分の手ではないことに気が付いたのだ。


「俺の、無骨な手が……、俺の腕が……。……声も、何か変だな。まるで、これは……」


 顔を上げて辺りを見回した伊鈴いすずは、すぐ近くに湖を見つけ、ほとりへと移動する。そして、透き通った湖面に自身の姿を映し出した。


「か、かわいい……」


 そう、伊鈴いすず筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男などではなく、非常に愛らしい少女の姿――伊鈴いすずと共に交通事故で命を落とした幼い少女――に変貌へんぼうしていた。こうなった原因は、転生術の対象である伊鈴いすずの近くで、そして、同じ時に命を落としたからだろう。


「これが俺、……いや、わたし、なのか……」


 小さく肩を震わせる伊鈴いすずに、私は掛ける言葉が見つからない。突然、自分の体が他人の、それも幼い少女の体に変わっていたのだ。彼の精神的苦痛は計り知れない。


「……は、ははは……」


 伊鈴いすずから小さな笑い声が漏れる。この現実に耐え切れなかったのだろうか。私は申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。


「ははは、はははは……くくっ、……はーっはっはっ!! やった! やったぞ! 俺の長年の妄想が、今、現実に! ……ああ、可憐かれんな顔、小さな身体、ツルツルな肌……、俺、かわいい! 俺、超かわいい!」


 ……私が心を痛める必要など微塵みじんもなかったようだ。


「いや、待て、落ち着け、俺……いや、わたし。まさか、美少女と思わせておいて、実は男の娘でした、なんてオチはないよな。……よし、確かめてみなくては。……ん、どれどれ……うん、おお、これは……うん、大丈夫、間違いなく、女の子だ」


 自分の身体が女であることを確認し、ほっと胸をなでおろした伊鈴いすずは、しかしまたすぐに思案顔を浮かべた。


「しかし、これからどうすればいいのやら。この姿になれたことは嬉しいが、これで一人で生きていくにはこころもとない。……そういえば、夢の中で女神様に会ったような……いや、もしかしたら現実か? 記憶が曖昧あいまいだが、魔王を倒して、世界を救ってくれとか言っていたな。こういう場合、何かしら不思議な力が与えられているものだが……祝福を授けるって、言っていたかな……?」


 その通りだ。残念ながら伊鈴いすずの頑強な肉体は失われてしまったが、彼に宿る魔力は問題なく強い輝きを放っている。


「よし。ちょっと試してみるか」


 伊鈴いすずは心を落ち着かせて、深呼吸を繰り返す。そうして集中力を限界まで高めると、全身に力を込め始めた。


「……ふんぬぅぅぅ」


 魔力が伊鈴いすずの全身を駆け巡る。凄まじい魔力の奔流ほんりゅうが大気を震わせ、地を揺らす。


「……お、お、お、……みなぎるぅぅぅっ!!」


 最高潮に達した魔力が伊鈴いすずの全身を白い光で包み込んだ。そして、晴れゆく光の中から現れたのは、一糸纏いっしまとわぬ筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男だった。先程までの姿とは体の大きさがまるで違うため、衣服が破れて粉微塵こなみじんになってしまったのだろう。


 なるほど、魔力が全身に行き渡ると元の姿に戻るのか。伊鈴いすずと少女の肉体は、おかしな感じに混ざり合ってしまっているようだ。


 元の姿を取り戻した伊鈴いすずは、無言のまま自分の体を、手足を眺めた後、ゆっくりと湖面を覗き込んだ。伊鈴いすずの大きな肩が小さく震えている。


「な……なんでだぁぁぁ!? こ、こんなのは、いやだぁぁぁ!!」


 水面に映る自身の姿に深い衝撃を受けた伊鈴いすずから魔力が霧散する。集中力が切れたのだ。次の瞬間、伊鈴いすずの姿は元の少女の姿へと戻った。


「……お、おお……よかった。……そうか、魔力を張り巡らせると、あの姿になっちまうのか。そういうことなら魔力の使用には気をつけないとな。間違っても全力開放は禁止だ」


 伊鈴いすずは安堵のため息をつく。しかし、魔力の全力開放なしに魔王討伐など不可能だろう。いつか必ず、再び元の姿へと戻る日が来るはずだ。


「ふむ。ならば、魔王討伐の旅をあきらめよう」


 え。まるで私の声が聞こえているかのような発言。いや、それは困る。私の声が聞こえるのであれば、私の願いを聞き届けて欲しい。魔王討伐の旅へ、どうか、お願い!


「これからは、一人の可愛い女の子として生きていくんだ。わたしは、わたしの夢を、この世界で叶えるんだ。それは誰にも邪魔させない。たとえ、それが女神様であろうとも……」


 ねえ、絶対、私の声が聞こえているでしょ! お願いします! そろそろ私も一度くらい世界を救った実績が欲しいの! だから頼みます!


「そうと決まれば、まずは近くの街へ行こう。」


 ……素っ裸で?


「……うおっ!? あぶねっ、俺、……わたし、裸だった。あぶないあぶない。てへっ」


 ……この者に災いがありますように。


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