39回目:近合融也<苦しみの果て>

 異世界転生させる人間の選び方は女神によって基準が異なる。私の場合、その人間が持つ英雄としての資質や、女神から与えられる祝福を遺憾なく発揮する才能も大切だが、それよりも、異世界に対する順応力の高さに重点を置いている。


 噂に聞いた話だが、英雄の資質を持つ人間を異世界転生させるため、その人間の運命を操ることによって、トラックなどを使って事故死させる女神もいるらしい。この噂が真実であるならば、人間の命を軽視する所業に、私はいきどおりを覚える。


 さて、今回、私が異世界転生させた人間は、近合こんごう融也ゆうやという名の、システム開発系の会社に勤める会社員だった三十代の男だ。彼は、異世界転生系のファンタジー小説を愛読し、また、異世界で冒険する自分を夢想することが多かった。


 異世界への順応力の高さをうかがわせる融也ゆうやは、不運にも、会社帰りの雨の降る夜道で、トラックにねられて命を落とした。……いや、念のために言っておくが、私は運命操作などしていない。


 レンガ造りの建築物が立ち並ぶ街の中心に位置する噴水広場で、先ほど異世界転生したばかりの融也ゆうやは、腕を組みながら現状の把握に考えを巡らせていた。


「……俺は女神に選ばれて異世界に転生した。俺の使命は邪神復活を阻止すること。そのために、俺が女神から授かった力は、……敵を倒すことで、その力を取り込むことができるというものか。ゲームで言うところの、経験値を稼いでレベルアップ、の感覚か」


 私は融也ゆうやに、女神の祝福と共に、この世界に関する様々な知識を与えた。彼に授けた祝福があれば、時間はかかるかもしれないが、どんな敵でさえも打ち倒すことができるようになるはずだ。そして、融也ゆうやは慎重な性格だ。確実に力を積み重ねて強くなっていくだろう。


「まずは冒険者ギルドで難易度の低い魔物討伐の依頼を受けて、お金を稼ぎつつ、強くなる必要があるな。……夢の異世界生活を楽しむのは、それからでも遅くない」


 早速、冒険者ギルドで世界最弱と名高い魔物討伐の依頼を受けた。その魔物は森に生息し、カバにウサギの耳を付けたような外見をしている。体長は八十センチほどで、動きは鈍く、木々の枝で少し体が傷付くだけで、数時間後には死んでしまう虚弱さだ。


「……これって、わざわざ退治する必要あるのか? 放って置いても勝手に死ぬと思うんだけど。……ん、なるほど、老衰で死んだ時に限り、猛毒の霧を広範囲に撒き散らすのか。そうなる前に駆除する必要があるわけだな」


 私が授けた知識を参照して敵の情報を得た融也ゆうやは、東門から街を出て、魔物のいる森へと向かった。柔らかな日差しが降り注ぐ明るい森だ。融也ゆうやの目には見えないだろうが、木の精霊ドリアードが小さなあくびをしつつ微睡まどろんでいる。


「この世界には森の妖精エルフって、……ふむ、いるんだな。ほかには、ケモ耳の女の子とか。うん、やっぱり、かわいい女の子たちと楽しく冒険できればなぁ」


 不埒ふらちな想像を繰り広げながら森の奥へと進んだ融也ゆうやは、草むらの絨毯じゅうたん日向ひなたぼっこしている、標的の魔物を発見した。


「よし、あれを退治すればいいんだな。最弱の魔物とはいえ、倒すことで少しくらい俺の力も上がればいいんだけどな」


 右手を魔物に向けて、狙いを定める。そして意識を集中し、体の奥底から魔力が湧き上がるのを感じ取った融也ゆうやは、その力を押し出すように、右手をさらに前方へと突き出した。


 刹那せつな、一条の純白の光が出現し、魔物に突き刺さる否や、音もなく魔物を霧散させた。


「……お、おお……」


 融也ゆうやは目の前で起きた光景に驚きの声を上げ、魔力を放出した右手に視線を移して、二度目の驚きの声を上げる。


「な、なんだよこれ!? ……俺の手が……動物のような手になって……、この手は、さっき倒した魔物の手のような……? まさか、こういうことなのか……? 倒した敵の力を取り込むって……、俺自身が魔物になるってことなのか?」


 断じて違う。これは想定外の事態だ。私の女神の祝福の術式に、何か間違いがあったのだろうか。いや、その可能性は低いだろう。私ほどの女神が術式を間違えるなど、考えられないからだ。


「じょ、冗談じゃねえ! 魔物になんかなってたまるか! ……元に戻るには、どうすればいい? ……クソッ! なんでわからないんだよ! これこそ必要な知識だろうが……」


 頭を抱え込んで苦悩する融也ゆうやを、私は見守ることしかできない。


「元の、人間に……、人間に、戻る……そうだ! 人間になりたければ、人間を倒せば……」


 いや、それは非常にマズイです。やめてください。そんなことをすれば、外見は人間に戻れたとしても、人間の心を失ってしまう。


 しかし、私の必死の呼び掛けもむなしく、街に戻った融也ゆうやは最初の標的を見つけると、わずかばかりの躊躇ちゅうちょもなく、魔力を込めた手刀をよこぎに払った。何が起こったのかも分からないまま、少女の小さな体が、鮮血を勢いよく吹き上げながら倒れ込む。


「は、ははっ! これで、俺は人間に戻れるはず……だ!?」


 突如、左足から地面を踏みしめる感覚が消失し、その場に倒れ込んでしまう。融也ゆうやの左足が細く、小さくなっている。この足は、融也ゆうやあやめた少女の足だ。


「……なんで、だよっ! ふざけんな!」


 融也ゆうやが悪態をくのと同時、複数の悲鳴が上がるのが聞こえた。血だまりに倒れる少女の体と、離れた場所に落ちている頭部を見た街の人間たちの、当然の反応だ。


「……ああ、俺が、俺に戻るための材料が……、まだ、たくさんあるじゃないか」


 すでに融也ゆうやは正気ではないのだろう。次から次へと自分の体を作り変えていった。こうして融也ゆうやは、複数の人間をバラバラにして、各部位を乱雑にぎしたような異形の化け物と成り果てた。


「オオ……俺の……カラだァ……」


 融也ゆうやが聖剣の勇者に討伐されるその日まで、彼の苦しみは続くことになるのだった。


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