37回目:津路村璃斗<奇跡を我が手に>

 異世界転生術は、転生執行官として厳しい修行を積んだ女神のみが扱える秘術であり、転生者には女神の祝福と呼ばれる奇跡の力が与えられる。その力の大小は、基本的には術者本人の力量に左右されるが、極稀に、女神本人の想像を遥かに超える力に目覚める転生者が出現することがある。俗に言う当たりというやつだ。


「ここは……まさか、異世界、とか? ……はは、そんなわけないか」


 異世界の地へ降り立ち、見知らぬ街の風景を前に苦笑する彼を、私は一目見ただけで確信した。彼は、――津路村つじむら璃斗りとは当たりだ。黒い髪に黒い瞳、端正な顔立ち、スラリと伸びた長身、無駄のない引き締まった肉体、そして、世界を隔てていても感じる、溢れんばかりの強大な魔力。


「……だけど、なんで俺は取り囲まれているんだ?」


 街の中心に造られた円形の広場で璃斗りとを取り囲む人々は皆、璃斗りとに熱い視線を向けている。しばらくの間は誰も口を開くことがなかったが、ついに我慢の限界に達したのであろう若い男が片手を挙げて璃斗りとに話しかけた。


「あ、あなたが勇者様ですね! 私はワスティタス王国の第一王子ブルヴィアと申しま――」


「ええい、どけ、若造が! ……勇者様! ぜひとも我がラームラへ――」


「小太りの中年がうっとしいわよ! さあ、勇者様、ステラと共に我が国カエルム――」


「いやいや、我らのフラゴ共和国へ――」


 状況のわからないまま次から次へと押し寄せる各国の代表たちを前に、璃斗りとは為す術もない。止める者がおらず、収集の付かなくなった事態は、やがて一触即発の静寂を生む。この場に集った全員が睨み合い、そして、少しの時間を置いてから、示し合わせたかのように同じ言葉を一斉に言い放った。


「「「ならば、戦争だ」」」


 こうして、璃斗りとの所有権を巡る世界大戦が勃発した。


 ここからの各国の動きは早かった。初めからこうなることを予想していたかのような動きは、瞬く間に世界を地獄へと塗り替えていった。


 冥界の王と契約した国の兵士は死しても動く不死身の軍団となり、彼らによって命を落とした人々もまた、軍団の一員となる。その勢力は拡大し、ついには、南の大陸全土を覆い尽くすことになる。


 東の大陸の強国、魔動工学で発展した国では英知の結晶とも言える魔動兵器が大量生産され、戦争へと投入された。容赦のない殺戮兵器は、街を、人々を、魔力粒子砲で焼き払い、全てを荒野へと変えていく。


 滅亡の危機に瀕した王国の姫巫女は、王国に伝わる禁忌の魔術を使用する。国民の命を魔力に転換して放たれた超長距離殲滅型爆散魔導砲撃は、西の大陸に存在する全ての国を消し去った。


 戦争によって命を落としたのは人間種族ばかりではない。魔物たちもまた、飛んでいる羽虫を払うかのごとく、呆気なく蹴散らされていった。私は後になって思ったものだ。ここまでの力があるならば、この世界に勇者とか女神の祝福とかいらないよね、と。



 世界が戦争に明け暮れている頃、中央大陸の中心に位置する中立都市ウトピアで勝者の報告を待ち続けている璃斗りとのもとへ、一人の少女が現れた。


「あなたが戦争の引き金となった勇者様か」


 褐色肌の小柄な少女の瞳は金色に輝き、側頭部からは緩やかな曲線を描いている大きな二本の角が生えている。少女に話しかけられた瞬間、璃斗りとの全身に甘く痺れるような電撃がほとばしった。


「……キミは?」


「私はアリエス。北の大陸を統べる王。皆は私を、魔王アリエスと呼ぶ」


 突然の魔王の出現に、しかし璃斗りとには驚きも戸惑いもない。アリエスはゆっくりと璃斗りとへ近付きながら語りかける。


「北の大陸で様子をうかがっていたが……なんとも酷い有り様だな。人間種族同士で争って、もはや自滅したも同然ではないか。私としてはできる限りではあるが、各大陸で暮らしていた亜人種族――エルフやドワーフ、獣人どもは北の大陸で保護したが……ん、おい、話を聞いているのか?」


 目の前まで近付いてきたアリエスの両腕を、璃斗りとは弾かれたかのように握り締める。そして間髪を入れずに叫んだ。


「一目惚れしました! 付き合ってください!!」


 突然の告白に、アリエスの表情は戸惑いで溢れかえっている。私もまた、同じ状況だ。


「なんだ、唐突に……。私に惚れたというのか? 私のどこに、惚れる要素がある?」


「褐色の肌、全体的に小さな体、幼い顔立ち……まさしく全てが俺の理想の女の子だ!」


 こいつはやばい奴だ。私の直感がそう告げている。


「……よくわからないが、なにやら危険な感じがするのだが。まあ、いい。あなたが私のものになってくれるというのであれば、問題ない」


「今この瞬間から、俺の全てはアリエスのものだ」


 アリエスの言葉に咄嗟とっさに返答する璃斗りとの表情は真剣だ。それを見たアリエスは満足そうに微笑みながら二度三度と頷く。


「さあ、愚かな人間たちを滅ぼして、世界に平和を築こうではないか」


 勇者璃斗りとと魔王アリエスの物語は、ここから始まる。私は何も悪くない。


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