35回目:誘咲心結<統一世界>

 長い黒髪が風に舞い、白い柔肌が白日の下にさらされる。しばしの間、突然の出来事に茫然としていた誘咲さそざき心結ここな であったが、すぐに我に返ると、一糸纏わぬ姿を少しでも隠そうと地面にへたり込み、両腕を使って見られたくない部分を覆った。


 それは心結ここなが異世界に転生した直後のことだった。見知らぬ街中で目を覚ましたよわい十三の少女が最初に聞いたのは人々の悲鳴で、すぐに、その原因が宙を飛ぶ巨大な昆虫型の魔物であることを知った。


 驚いた心結ここなは無意識のうちに魔力を解き放ち、魔物の群れを一掃したのだが、何故か彼女自身の衣服をも一掃してしまっていたのである。


「うう……、いきなりなんなの、これぇ……」


 目の端に涙を浮かべて羞恥に耐える心結ここなだったが、ふと、周囲の人々の様子がおかしいことに気が付いた。誰も一言も発することなく、全員が心結ここなに視線を向けている。しかし、彼らの目は虚ろで、表情に生気がない。


「……な、なんなの、これ……」


 異様な雰囲気に恐怖を感じた心結ここなは、裸身をさらけ出すこともいとわず、その場から逃げるように駆け出した。舗装された石畳の上を裸足で走って、走って、突き当りを右に曲がった心結ここなは、魔物出現の報を受けた騎士の討伐隊と鉢合わせした。


「っ!? 何者だ!」


 先頭にいる騎士の誰何すいかの声に、心結ここなは驚くと同時に安堵した。先ほどの異様な人々とは異なり、まともな状態であると思ったのだろう。心結ここなが騎士の顔を見れば、立派な髭を蓄えた壮年の男は頬を紅潮させながらも厳しい表情を浮かべていた。


「あ、あの、助けてください! みんな、おかしく……て……」


 心結ここなが最後まで言葉を発する前に、彼女の目の前で、瞬く間に騎士の瞳からは光が失われ、その顔からは一切の表情が消え去った。愕然とし、周りの騎士たちに目を向けるが、誰一人として正気を保っている者はいなかった。


 すぐさま後ろを振り返って逃げようと試みるが、そこには、先ほどの人々が追いかけてきたのだろう。彼らが壁のように心結ここなの行く手を遮っていた。


「……なんなの、なんなの……いや、いやああぁぁ!!」


 感情のたかぶりによって心結ここなの魔力が吹き荒れ、正気を失った人々を吹き散らす。人々は皆一様に無抵抗で、空高く舞い上げられる者、周囲の建物の壁に叩きつけられる者など様々だ。


 だがそれでも人々は正気には戻らない。全身から血を流そうとも立ち上がり、手足が動かなくても這うようにして、心結ここなへと近付いてくる。


「う……、もう、やだ、……やだぁ」


 転生直後から何もわからないままに襲ってくる現実に心結ここなは涙を流しながらも、安全な場所を求めて走り出した。後ろを振り返れば、もはや自我を失っているであろう人々が意外としっかりした足取りで、一定の距離を保ったまま追いかけてきていた。


 もはや裸であることも忘れたかのように心結ここなは全力で走り、ついには街の外に出て、森の中へと逃げ込んだ。それでも彼らは諦めない。さらに森の奥へと逃げ込んだ心結ここなは、そこで魔物の群れと遭遇した。


「ひっ……、また、化け物……」


 その魔物たちは小柄で人型、細長い耳元まで裂けた口からは、鋭く不揃いな犬歯が見え隠れしている。心結ここなの姿を認識した魔物たちは、各々が手にした武器を構え、裸の女を警戒しつつも大胆な足取りで近付いてきた。


 そしてあろうことか、小さく体を震わせる心結ここなへと手が届くほどの距離で、魔物たちがひざまずいたのである。


「……え?」


 さらに後ろからは、追いついてきた人々が魔物たちを恐れることもなく、そして、魔物たちと同じように心結ここなの足元にひざまずいていく。


 ……ありえない。私が彼女に授けた女神の祝福は、身体能力の強化や強大な魔力、言語能力といった基本的なものばかりだ。だから、人間や魔物までもが彼女にひざまずくこの光景は不可解であった。


 いや、ひとつだけ心当たりがある。転生前から彼女には、周囲の人間や動物を引き寄せる不思議な魅力があった。女神の祝福によって強い魔力を得た彼女は、彼女の持つ、周囲を魅了するその特性を、魔力によって強化されたのだろう。その結果が、これだ。


 ただ戸惑うばかりの心結ここなは、だが、長い時間をかけて状況を肯定し、恐る恐る彼らに問いかける。


「……あなたたちは、私の言うことを聞いてくれるの?」


「はい。私たちの全てはココナ様へ捧げます」


「……あなたたちは、私のために死んでくれるの?」


「はい。ココナ様が望むのであれば今すぐにでも命を絶ちましょう」


 彼らは心結ここなのために、いかなる命令であっても従い、死を恐れることなく遂行する。彼らはこれから先、魔物たちと、そして、魔王と戦うための強力な力となることだろう。だが、もはや彼らが正気に戻ることは決してない。心結ここなの強すぎる魅了の力によって、すでに彼らの精神は破壊されていたのだ。


 しかし、幸か不幸か、彼らが命を賭して戦う機会は訪れなかった。何故ならば、心結ここなの魅了の力には強い感染力があったからだ。心結ここなの指示で、情報を集めるために世界中に散らばった魔物たちから、他の魔物や人間たちへと感染が広がったのだ。そしてついには、魔王さえも魅了し、支配下に置いてしまったのである。


 今、心結ここなを中心に世界の心がひとつになった。世界に真の平和が訪れたのだ。



 後日、当然のことなのだが、私は女神転生本部にものすごく怒られた。


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