第十二章

第十二章

優の病室。

がらりと戸が開いて、りまがやってくる。

と、突然三味線の音。

りま「どうしたの、いきなり、、、。」

優「ああ、看護師さんに言ってもってきてもらいました。どうも寝てばかりいると落ち着かないので。革を縫いたいって言ったら、池本院長に叱られてしまったので、代わりにこれをもってきてもらったんです。まあ、ジャイアンの歌より下手ですけど。」

りま「私にも聞かせてよ。」

優「でも、本当にへたくそですよ。」

りま「それでもいいの。」

優「そうですか?簡単な唱歌位しか弾けないけど、、、。」

りま「いいわ。」

優「じゃあ、浜辺の歌を一発。」

りまは小さく拍手する。

優「朝、浜辺をさまよえば、、、。」

その美声にりまは呆然としてしまう。優が弾き終わるとりまは立って拍手する。

りま「素敵!とってもよかったわ。」

優「ありがとうございます。でも、これもまもなく弾けなくなるんですかね。父が、大事に持ってたもので、捨てられないでとっておいたものです。母は、これを売りに出そうと思っていたらしいのですが、僕はどうしても捨てられなくて、修行に出た時、こっそり持ち出していったんですよ。」

りま「お父さんってどんなひと?」

優「ああ、同じカバン屋ですよ。えったぼしはそういう職業にしかつけませんから。本来、音楽なんてえったぼしにはできないけど、父はなぜか物好きで、これを大金はたいて買ってきたんです。母はすごく怒ってましたけど、それを弾いては楽しんでいましたね。と言っても、僕が中学三年で、亡くなってしまいましたけどね。」

りま「どうして亡くなったの?」

優「ああ、すごい大きな台風が来て、土砂崩れに巻き込まれたのです。あの時、父は電車に乗っていたのですが、他の乗客が全員助けられたけど、父は最後までダメで、遺体になってからやっと引っ張りだされたんですよ。まあ、そういうことはよくあることなんですが、やっぱり、ショックでしたね。」

りま「私、あなたが良くなってから、そういうこと記録したいと思うんだけどね。」

優「記録?」

りま「そう。あなたたちはもう十分戦ってきたと思うの。だから、次はあたしたちが戦うのよ。そりゃ、歴史的な流れでは勝てなかったのかもしれないけど、あなたみたいにきれいな人を私見たことなかったもの。私、学校やめちゃったけどさ、生徒たちのこと、時々思い出すのよ。そうするとね、あなたたちよりもっとかわいそうだなっておもうわけ。あ、決して否定しているわけじゃないわよ、誤解しないで。あの高校に行った生徒たち、つまり国公立大学にいくことだけが生きがいになっているあの子たちが大人になったら、世の中はどうなるのかなって。ああして、大人の都合で勝手にマインドコントロールされて行って、本当にその通りの人生を歩くことは果たしてできるかしら。」

優「できないと思いますね。」

りま「でしょ。必ずあの子たちはつぶれると思う。だって、国公立の大学にいけしか言われないで、それができなかったり、できたとしても幸せにはなれないと知ったとき、あの子たちはどう思うかしら。きっと、怒りがめらめらと涌くと思うわ。きっと、学校にだけじゃなくて、家族や社会にも。その時に、あなたたちのことが役に立つのよ。」

優「役に立つって何が、」

りま「具体的にどうするかは人それぞれ違うけれど、あなたたちは、そうやっていくら努力しても努力してもうまくいくことは少ないじゃない。だから、努力をしてもうまくいかないと知って、絶望的になった子たちに寄り添ってあげられると思うの。人って、具体的な現象は変えられることはできないのかもしれないけど、同じ境遇を持ってたり、同じ失敗をした人と一緒にいられると、生きようという気になるものよ。だから、あなたたちは、その役目を担ってほしいの。そうすれば、あなたたちだって、必要な人間になってくるのよ!」

優「そういうもんですかね、、、。必要とされる瞬間なんて持てるのは、一生ないだろうなと思ってましたよ。」

りま「ううん、そんなことない。確かに過去にはそういう立場だったかもしれないわね。それは私も歴史的な事実として認めるわよ。でも、今は違うの。このまま、進学率だけを追いかけるような教育を与え続ける社会では、なんの目的もない根無し草のような若い人が次々に出るわ。そして、その教育が間違っていたと知ったときのショックが大きすぎて、立ち直れないどころか、自殺してしまう若者もたくさんいる。その時に必要なのは、偉い人じゃないわ。おんなじように傷ついて、悩んで、苦しんだ人たちなの。それを伝えるように、記録していく。何にするかわからないけど、何かにしてみたい。」

優「そうですね。図書館は古代アッシリアのころからあったと聞いてますよ。」

りま「そう!だから、これ以上、ろくでなしとか、えったぼしとか口にしないでね。治ったらあたし、一生懸命やるから。あなたは、それを手伝って!そうすればあなたたちような人だって、ちゃんと役目を負うことができるんだから!」

優「そ、そうですか、、、。」

りま「そうなの!そうなのよ!」

優の右手にぽつんとしずくが落ちる。

りま「泣かないでよ!」

優「いえ、僕みたいなものが、そうやって役に立てるとは、思いもしませんでしたよ。」

りま「気が付いたんなら、すぐに行動に移して!過去にしがみつくのはやめて!」

優「はい、、、。」

と、ドアが開いて、看護師がやってくる。

看護師「高安さん、皮膚移植の説明が先生からありますから、こちらに来てくれますか?」

りま「わかりました、いきます!」

優「えっ、もうそんなに?」

看護師「はい、そうですよ、望月さん。明日、高安さんの皮膚を採取して、腫瘍の摘出と、皮膚移植の手術をするんですよ。」

優「そんなに早いんですか。」

看護師「当たり前でしょ。だって、それくらい大変なことになってるんですから、自覚してください。」

りま「看護師さん、そうじゃなくて、彼は新しい役目をするための準備をしていると解釈してください。どうも、病院というところは、悲観的になりすぎですきじゃない。そうじゃなくて、もっとプラス思考に患者さんを連れて行ってあげてください。じゃないと彼が、かわいそうですよ。」

看護師「必要なことを言っただけですけどね。」

優「まあいいや。僕も、これからのためにりまさんにも協力してもらって、何とかしますよ。」

りま「その通り!一緒に頑張ろうね!やっと前向きなセリフを言ってくれた!」

看護師「じゃあ、来てくださいね、りまさん。」

りま「はい!」

優「よろしくお願いします。」

と、りまに一礼する。

りま「お互い様よ!じゃあ、私はこれで!」

と、看護師の後をついていく。


翌日。手術室の前で待機している杉三と蘭。杉三は合掌し、必死に祈り続けている。

蘭「杉ちゃん、そんなに大げさにしなくても、、、。」

懍と水穂がやってくる。

蘭「ああ、青柳教授、水穂さんまで。杉ちゃん、挨拶ぐらいしろ。」

懍「いえいえ、大丈夫ですよ。杉三さんは、刺激しないほういいでしょう。それよりも手術の進み具合は、」

蘭「ええ、だいぶかかってますね。もう、五時間以上経ってます。」

懍「なんとか、摘出できて、植皮できるといいんですけどね。」

水穂「どうなんですかね、、、。何とか成功するといいといいますが、人の命ってのは不思議なものだから、、、。」

杉三「そんなこと言わないで。必ず成功する。成功して見せる!」

蘭「杉ちゃん、君が手術するわけではないんだから、成功して見せるといういい方はないだろ。」

懍「あ、明かりが消えましたね。」

手術室の扉が開いて、優を乗せたストレッチャーが黙って通り過ぎていく。手術着を着た池本院長が残る。

蘭「杉ちゃん、手術は終わったよ。今通っていった。」

しかし、杉三はそちらのほうは向かない。

懍「どうでしたか、院長。手術は、、、。」

院長「いやあ、腫瘍が思ったより大きかったので、摘出するのにかなりの時間がかかってしまいましたが、何とか植皮できました。でも、高安さんがああして立候補してくれなかったら、間違いなく彼は助からなかったと思われるほど、巨大な腫瘍でしたよ。」

懍「じゃあ、摘出はできたと?」

院長「ええ、とりあえずは。」

蘭「杉ちゃんよかったね。腫瘍は取れたって。」

水穂「でも、腫瘍ってのは取ったたけでは済まされないところもありますからね、、、。」

懍「水穂さん、今日は余分なことは考えないようにしましょう。とりあえず、腫瘍の摘出に至ったのですから、素直に喜べばよいでしょう。」

杉三「そうだよ。」

蘭「杉ちゃん、ありがとうしなくっちゃ。」

杉三「神様が助けて下さったんだ。」

蘭「杉ちゃん、腫瘍を取ったのは、神様ではなくて、池本院長なんだから、」

懍「いえ、蘭さん、杉三さんの世界と、僕たちの世界は違います。」

蘭「そうですね。確かに杉ちゃんの世界は独特です。」

懍「今日はとりあえず帰りましょう。院長、本当にありがとうございました。手術費は、僕たちが折半で払いますから。」

院長「支払いは急がないで結構ですから、皆さんも、今日は早くおかえりください。」

懍「わかりました。じゃあ、僕がタクシーを取ります。」

院長「お気をつけて。」

懍「はい。どうもありがとうございます。」

と、杉三以外全員、院長に向けて最敬礼して、廊下を移動する。

蘭「杉ちゃん、もう帰るよ。」

杉三「僕は残る。優さんのそばにいる。」

蘭「そんなこと言わないの、杉ちゃん!優さんのことは看護師さんとかお医者さんがいるから大丈夫だから!」

懍「いえ、残ったほうがいいでしょう。」

蘭「しかし、」

懍「院長、杉三さんだけ、特別に残してあげてください。彼には、おそらく、僕たちの世情は通用しないでしょう。」

院長「わかりました、青柳教授。特別に許可しましょう。」

懍「ありがとうございます。では、蘭さん、水穂さん、僕たちは帰りましょう。」

蘭「杉ちゃん、頼むから病院で騒いだりしないでね。」

懍「蘭さん、もう余計なことを言うべきではありません。」

水穂「タクシー、呼びましたよ、教授。」

蘭「わかりました、、、。」

と、杉三の顔を心配そうに見るが、懍に着物の袖を引っ張られたので、慌てて方向転換し、廊下を移動していく。懍を先頭に、蘭、水穂と続いて外に出る。

病院の正面玄関。

空は黒雲で覆われ、今にも雨が降りそうである。不安そうに空を眺める水穂。そこへタクシーが到着する。

運転手「いやはや、さっきまでいい天気でしたけどね。これではひと雨降るかなあ。土砂崩れにはならないと思うけど。皆さん、濡れるといけないから、早く乗ってください。」

水穂「教授、本当に大丈夫なのでしょうか。」

みな、帰りたくないことを示す顔をしている。

懍「わかりました。ではこうしましょう。今日はみな製鉄所に行きましょう。蘭さん、空いている部屋を貸しますから、気が済むまで製鉄所で寝起きしてくれてかまいません。池本院長には、何かあったら製鉄所に連絡するように言っておきます。」

水穂「あ、ありがとうございます!」

運転手「いいから早く乗りなよ!でないと、みんな体が不自由なんだから、濡れちゃうよ!」

懍「そうでしたね。では運転手さん、よろしくお願いします。」

運転手「はい。」

全員、運転手に手伝ってもらって、タクシーに乗り込む。みな、険しい表情をしている。このような時、何も感情的にならず、淡々としていられるのは、懍だけであった。


夜。集中治療室の外で、杉三がガラスに顔をくっつけて優をじっと見ている。

看護師「杉様、まだいらしてたんですか。」

杉三「うん。そばにいてやりたいんだ。」

看護師「そばにいるって、ガラス越しじゃない。」

杉三「そんなことは関係ない。優さんはいつになったら治るの?」

看護師「そうね、移植した皮膚が剥がれ落ちるのに二週間で、そのあとで、もう一回、本人の皮膚を植皮することになっているの。皮膚は、他人のものでは、くっつかないからね。」

杉三「剥がれ落ちるのか。優さんも剥がれ落ちるかな。」

看護師「それはないわよ。もう腫瘍を取ったんだから。杉様も帰ってやすんだら?」

杉三「僕は疲れてないからずっとここにいる。」

看護師「でも疲れるでしょ。」

杉三「だって、優さんが目を覚ました時に、一人ぼっちではかわいそうでしょ?」

看護師「なにいってるの。院長も、私たち看護師もいるんだから大丈夫よ。」

杉三「本当?看護師さんも、汚い人は嫌だから近寄らないとか言わない?」

看護師「それはないわよ。あたしたちは平等にせわをするのが役目なんだから。」

杉三「でも、僕はここにいるよ。」

看護師「何を言っても無駄ね。」

杉三「無駄でいいよ。だから、優さんのそばについててあげてね。」

看護師「全く、変な人。」

と、杉三のそばを離れてしまう。

杉三はなおも、集中資料室の中をずっと見つめている。その表情は少しずつ、少しずつ変わっていき、、、。


製鉄所。

朝早く、懍が応接室にやってくる。応接室の電話台に伏せて眠っていた水穂が、疲労こんばいした顔で懍に目配せする。

電話が鳴る。

懍「はい、青柳です、ああ、院長、、、。」


池本クリニック正面玄関。

超スピードで走ってくるタクシー。

運転手「もう、こんな危ないことはしないでくださいね。こっちの安全というものもあるのですから、、、。」

懍「わかりました。後で謝罪しますから、僕たちを先におろしてください。」

運転手「皆さん、どうなさったんです?」

懍「説明している暇はありません。」

運転手「わ、わかりましたよ、、、。」

院長が正面玄関で待っている。その顔を見て三人は何があったのかすぐにわかった。

集中治療室。ドアは開いている。なぜならもう治療する必要がないからである。ドアの前には看護師が立っているが、不思議と罪の意識はなさそうである。そこへ、院長に連れられて、蘭たちがやってくる。

蘭「院長、杉ちゃんは、、、。」

院長「中にいますよ。優さんと一緒に。本人がどうしても一緒にいたいというので、そうさせました。」

声「馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!」

蘭「杉ちゃんだ!」

水穂「蘭、止めないほうがいい。」

懍「院長、どういうことなんです?僕が調べた限りでは、皮膚移植というものはさほど難しいものではないとでていました。それなのに、たった一日で逝去するというのは、何があったのでしょう?腫瘍をきちんととり切れていなかったか、それともどこかに転移があったとか、そういうことでしょうか?」

院長「いえ、こちらの責任です。申し訳ないことをしました。」

懍「どういうことですか?きちんと説明してください。」

院長「はい、私の監督不行き届きと言ってよいでしょう。私どもも一生懸命手を尽くしたのですが、細菌の感染により移植した皮膚が壊死してしまい、そこから敗血症で亡くなられたという次第です。」

声「馬鹿なのはそっちだよ!みんな、優さんのことを汚い人だからといって、他の患者さんとちがってがさつに扱っていたからそうなったんだ!だって、止血だとか、消毒だとか、点滴だとか、やってたけど、みんながさつに手を抜いて、乱暴にやっていた!僕は亡くなるまでずっとここにいたんだから覚えてる!最期の最期まで、かわいそうな思いをしなければいけないのなら、せめて誰か一人だけでも、そばについていてやりたかったからね!」

蘭「杉ちゃん、じゃあ聞くけど、どうしてそうなったと思うの!」

声「顔を見ればわかる。例え口に出さなくても、みんなこの人は汚い人で、いやねっていっているのがすぐわかる。僕は騙されないよ!全部見たんだからね!」

蘭「でも、杉ちゃん、仕方ないことってあるんだよ!いくら泣いたって帰っては来ないんだから!」

懍「蘭さん、この場合は杉三さんのほうが正しいでしょう。例えどんな階級であっても、がさつに患者を扱って、治療に落差を付けるのは許されるべきではありません。」

蘭は、静かにドアのほうへ移動する。ベッドの上に優の遺体が置かれていて、杉三は冷たくなったその手をしっかりと握りしめ突っ伏して泣いているのであった。全員、彼の周りに

集まった。

蘭「杉ちゃん、」

水穂「止めるな止めるな、こんな時くらい、杉ちゃんに言わせろ。」

蘭「しかし、」

と、言いかけて止まる。

杉三「じゃあいう!どうしていつもそうなんだよ!どうして本当に奇麗なひとが、こんなにも早く逝かなきゃいけないわけ!なんで奇麗な人をあんな風に乱暴に扱って、馬鹿にして、そうしてこんな結果に終わらせてしまうなんていう行為が、こうして平気で行われるんだ!本当に偉い人ってのは何を考えているのだろう。何を教えているのだろう。そして、僕たちはなんで何もできないのかなあ!あんまりだ、あんまりだ、あんまりだ!」

懍「一体いつ頃?」

院長「ええ、移植してしばらくは何もありませんでした。ガーゼの交換などもさせましたが、免疫力が非常に弱かったのでしょう。三時ごろに四十度近くの高熱が出て、急いで私たちも、点滴をするなり何なりと手立てを尽くしましたが、時すでに遅く、そのまま意識の戻らないまま、今朝の四時五分に静かに息を引き取りました。」

懍「そうですか。」

院長「ええ。直接的な死因は、感染による敗血症ということになりますな。もっとも、腫瘍はかなり広範囲に広がっていましたので、額一面の皮膚を全部取らなければなりませんでしたが、それでも、摘出には成功しましたし、仮の皮膚としてりまさんのものを縫合させるところまではいったのですが、、、。」

懍「わかりました。もう、言い訳は必要ありません。部落問題がこれ以上広がっていきませんよう。」

と、静かに合掌する。水穂が、静かに般若心経を口ずさむ。蘭はただ茫然とするしかできなかった。

しばらく、池本クリニックは水を打ったように静かだった。それをつんざくように杉三は、泣き続けた。









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