5-終 めでたし、めでたし
「はい、お待たせ」
さっきよりも柔和な声でプーヴァはテナの前にホットミルクのカップを置いた。ほわほわとした甘い湯気が立ち上っており、彼女は待ってましたと手を伸ばす。
「まぁ、テナ。君と違ってこの人は元々人間なんだからさ、そんなすぐには割り切れないんじゃないかな。ねぇ、どうしても人間の血じゃなきゃダメなの?」
そう言って、ブラッドの前にも淹れたての紅茶を置いた。温かいうちならその香りを充分に楽しむことは出来るだろう。
「こりゃどうも……。ああ、やっぱり良い香りだ。淹れるの上手いね、白熊くん」
少しだけ態度を軟化させたプーヴァにブラッドも多少調子を取り戻したようだった。
「ダメかはわからないな。まだ試したことないから。動物って毛皮があるし、皮膚が固いから、さすがにこれでも歯が立たなくてさ」
そう言ってポケットから金属の差し歯を取り出した。その先端は鋭く尖っており、うっすらと血がこびりついている。
「こんなもので噛んでたのね」
「まぁね。生粋のドラキュラじゃないんだからさ、牙なんて無いし、俺」
ブラッドは口を大きく開けて見せた。確かに、挿絵に載っているドラキュラのような牙はどこにもない。
「な?」
「何も生きてるままかぶりつかなくたって良いじゃない。仕留めてから飲んだら? ってことよ」
プーヴァは差し歯をつまみ上げ、試しにとそれで自分の腕を刺してみるが、毛皮の中に埋もれてしまうばかりでまったく使い物にならなかった。
「確かにこれじゃ君の顎の力が加わっても厳しいかもね。全然痛くもないし」
「やっぱりか……。ま、俺は美味しけりゃ人でも動物でも何でも良いんだけどね」
ブラッドはプーヴァから差し歯を受け取り、服の端でこびりついた血を落とした。
「試しに血を使った料理でも作ろうか。香辛料も入るから、味は少し薄まっちゃうかもしれないけど」
「そんな料理あるの?」
テナが驚きの声を上げる。
「あるよ。血っていうのは、栄養価が高いんだ。ただ、やっぱりクセもあるし、好き嫌いがはっきり分かれるけど。どうする? 別に新鮮な人間の血が良いっていうなら止めないよ。僕もテナと同意見だからね。咬まれて痛いのは可哀想って思うけど、自分達がしているのに、されるのは嫌、だなんて虫がよすぎると思う」
淡々とそう話すプーヴァにブラッドは少々面食らった。そこで改めて、自分が対峙しているのは人間ではないのだ、ということに気付かされる。
人間だから、他の動物を傷つけて良いというわけではない。人間は神でも何でもないのだ。他の動物より多少知能があるからどうだというのだ。
そうか、そうだよなぁ。
何となく、胸のつかえが取れた気がした。そうなると、白熊の申し出である血を使った料理というのも充分魅力的ではあったのだが、やはり新鮮な人間の血に勝るものはない。最後に飲んだ女の味を思い出し、彼の口内に涎が溢れた。
「いや、ありがとう。何だか気持ちがすっきりしたよ。俺はドラキュラとして生きていく事に決めた。人間にとっ捕まったら、その時はその時だ。それで死ねるかもしれねぇしな。いやいや、良かった、ここに来て」
急に晴れやかな顔になったブラッドはまだほんのりと香りの残る紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「もし良かったら、また立ち寄らせてよ。そうだな、ドラキュラらしく満月の晩にしようか。大丈夫、あんまり遅い時間には来ないからさ。その時は、ぜひ血を使った料理を振る舞ってもらいたいね」
ブラッドは一息にそう言うと、ううん、と伸びをしてすたすたと玄関の方へ向かう。そしてハンガーに掛かっていたコートを羽織り、帽子を被った。
「どこに行くの?」
さほど興味はなかったが、そう聞くのが礼儀な気がして、テナは口を開いた。
「食事だよ。目の前に美味しそうな子がいても、その隣の騎士様がおっかないんでね」
ブラッドは軟派な笑みを浮かべてひらひらと手を振ってから外へ出た。おそらくゴラゴラの街へ向かうのだろう。
静寂が訪れた小屋の中で、テナとプーヴァはしばらく呆然としていた。
「何だったのかしら……」
「よくわかんないうちに解決したみたいだね……」
「とりあえず、明日はプーヴァ一人で行きなよ」
「まぁ、あの人がドラキュラなら、大丈夫……かな」
逆に心配な気もしたが、満月の晩に来る、という約束を信じてみることにした。
――客人No 6 移動花売りの娘 に続く
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