3-5 客人、薬を飲む

 男性はぴったり二週間後にやって来た。


 さすがにプーヴァの出迎えにも耐性が出来たと見えて、にこやかに会釈をすると、コートと帽子を、と差し出された手に脱いだものを託した。


 そして、二週間前と同じように勧められた椅子に座る。

 テーブルの上に置いてあるのは、グラスになみなみと注がれた水色の液体と、小瓶に入った透明な液体である。


 テナは一度、そのグラスを自分の方へ寄せた。説明が終わる前に飲まれてしまうと厄介だからだ。

 テナはコホン、とそれらしく咳払いをしてから話し始めた。


「こっちのグラスは、あなたの分。そして、この小瓶は奥さん用。これを飲んだら、飲む前の状態には絶対に戻れない。それでも良いなら、これをあげる。それと、奥さんの方は無味無臭だけど、あなたの方はちょっと苦味があって、しばらくの間、耳がキーンってなる」

「わかりました」

「奥さんはこのことを知ってるの?」

「いえ……、それが……」

「そっちの方が好都合だわ。何に混ぜても味が変化することはないから、いつも飲んでるお茶に混ぜれば良い。その分、味が薄くなっちゃうから、お茶は濃いめに淹れるようにね」

「……わかりました」


 そう言って、グラスへ伸ばした手を制する。


「まだ続きがあるの。最後に確認するけど、これを飲んだら、もう二度と奥さんの『離婚したい』って言葉は聞けなくなる。本当に、本当にそれで良いのね?」

「もちろんです。ザナがあの言葉さえ言わなければ、きっと、うまくやっていけます。時間はかかるかもしれませんが……」

「そう。じゃ、ここで一気に飲んで。飲んだ後、『離婚したい』って言うの。良い? 大きな声ではっきりね。それ以外の言葉は話しちゃダメ」

「えっと……、それは永久に話してはいけないってことでしょうか……」

「違う違う。そういうんじゃないの。そうね……、一時間くらいかな。耳のキーンってやつがそれくらいで治まるはずだから、そうしたらもうしゃべっても良いよ」

「何だ、そういうことですか……」


 男はホッとした表情になり、テナの前にあったグラスを手に取った。鼻を近づけると、ふわりと花のような香りがする。男は目を固く瞑って、大きく深呼吸すると、その水色の液体をぐいっと飲んだ。


 液体はさらりと喉を通過していく。

 口の中いっぱいに苦味が広がり、思わず「苦い」と呟いてしまいそうだったが、慌てて口を押え、ぐっとこらえた。

 目の前にいる小さな魔女が、自分に見せつけるように顔を突き出し、指で×を作っていてくれている。まだしゃべるな、という合図だろう。男はこくこくと頷いた。やがて、テナは×を下におろし、口の動きだけで「どうぞ」と言った。


 男は大きく頷いて、口を覆っていた手を離す。そして――、


「り こ ん し た い」


 一文字一文字はっきりと言ってから、また口を手で押さえた。こうでもしないとうっかりしゃべってしまいそうだったからだ。


「耳、キーンって鳴ってる? あぁ、しゃべっちゃ駄目よ」


 テナは指で×を作り、それを自分の口元に当てながら質問した。男は少し顔をしかめながら首を縦に振った。


「うん。じゃ、それが治まるまでは絶対にしゃべっちゃダメよ。この小瓶を持って、お帰りなさい。奥さんとうまくやるのよ。悪いけど、後のことまではあたし、責任取れないからね」


 テナはにこりと笑って、突き放すようにそう言うと、暖炉の前から男のコートと帽子を回収し、手渡した。男は無言で何度も頭を下げると、コートの右ポケットに小瓶を入れ、左ポケットから金貨の入った革袋をテナに手渡して、口を押さえたまま小屋を後にした。




 テナはふぅ、とため息をついた。何だかどっと疲れたなぁ、と思った。


「……あの人、帰った?」


 地下室の扉から、プーヴァがひょっこりと顔を出す。多少慣れてくれたとはいえ、薬を飲んだ後の精神状態で白熊の姿を見れば、ついうっかり「熊だ」などと叫んでしまうかもしれないと思い、念のため、隠れていたのだ。


「帰ったよ。何か疲れちゃった」


 テナは椅子に座ったまま、大きく伸びをした。


「待ってて、いま何か飲むもの用意するから。ついでにおやつもね」


 そう言って、キッチンに向かい、冷蔵庫から牛乳を取り出した。


「ねぇ、テナ。奥さん用のアレは必要だったの?」

「えー? 何で?」

「だって、アレ、ただの水でしょ?」

「そうだよ」

「旦那さんに飲ませるだけで良かったんじゃないの?」

「そうかもしれないけどさ、でも、旦那さんの願いは奥さんの『離婚したい』って言葉を消す、なんだからさ。奥さんにも飲ませないと怪しまれるかなーって思って」

「まぁ……確かに……」

「てっきり、何で自分も飲むんですか? とか聞かれるかと思ったんだけど……。まぁ、ラッキーだったな」


 テナは、あはは、と笑う。変なとこで楽観的なんだよなぁ、とプーヴァは思った。


 出来上がったホットミルクをカップに注ぎ、トレイに乗せる。本日のおやつはプーヴァの特製プディングだ。


「……うまくいくかなぁ」


 テナの前にホットミルクとプディングを置きながら、ぽつりと漏らす。


「知―らない」


 ほわほわと湯気の上がるホットミルクをふぅふぅと冷まして、一口啜った。ハチミツの甘さに目を細める。


「あたしは薬を作る人。飲んだ後のことまでは責任持てないもん」



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