小さな城の王様は従者がいることで成り立つ。
客人No 9 箱庭の息子と猫の母
9-1 プーヴァ、雪で遊ぶ
一年中、季節が冬の国の話である。
四方を大きな山に囲まれたその小さな国には、魔女が住むという小さな森がある。
特に不気味な森というわけではないのだが、小ぢんまりとした小屋に魔女が住んでいる以外には特に珍しい植物が生えているとか、野生動物が生息しているわけでもなく、滅多に人は立ち寄らない。
この国に住むものならば誰もが一度は目にしたことのある絵本『北の森の魔女』によると、その魔女はしわくちゃの醜い老婆の姿をしていて、耳と鼻は鋭くとがり、口は頬まで裂けているのだという。厭らしい笑みを湛えたその口元からはボロボロの黄色い歯が覗き、そこからは腐臭が漂ってくる。
小屋の煙突からは常にもうもうと煙が上がっており、それは薬の材料である人間を煮込んだもので、興味本位でその小屋を訪ねた愚かな若者や、何も知らずに迷い込んでしまった旅人、そして、満月の晩に彼女が直々に攫ってきた子どもであるという。
彼女の優秀な相棒は人語を話す真っ黒いカラスであり、満月の晩に夜更かししている子どもを見つけると、それを彼女に知らせてくれるのだった。
そんな恐ろしい言い伝えがあるにも関わらず、数ヶ月に一人、多い時でも二、三人程度ではあるが、その魔女を訪ねて来る者がいる。
それが先述の愚かな若者かと思えばそうでもない。大半の大人達は、この北の森に住む魔女がそこまで恐ろしいものではないということを知っているのだ。
少なくとも、満月の晩に夜更かししている子どもを攫う、というのは全くの作り話で、それは子どもの躾のために付加されたものである。
それでも、魔女という存在に畏怖の念を抱かないわけではなかったが、彼女は気まぐれに魔法の薬を授けてくれることがあるのだという。だから、自分達の抱える問題と、『もしかしたら本当に材料にされるかもしれない』という恐怖とを天秤にかけ、結果、恐怖に打ち勝った者は、それを目当てにこの小屋の扉を叩くのであった。
さてこれは、そんな恐ろしい魔女テナと、その優秀な相棒の白熊プーヴァの物語である。
テナは今日も今日とて小屋からは一歩も外へ出ずに手袋を編んでいる。その容姿は絵本の中の魔女とは似ても似つかない、十九歳になったばかりの少女である。
顎よりも少し長いくらいの髪は透き通るようなハチミツ色で、日に当たらないせいかその肌は雪のように白い。イメージ通りなのは、魔女のしきたりどおりに真っ黒のワンピースを身に着けているという点だけであろう。それでも彼女の中の反抗心がちらりと顔を出したか、その裾には四つん這いの白熊が二頭ほど刺繍されていた。
テナがちらりと窓の外へ視線を向けると、外ではプーヴァが雪と戯れている。さすが彼は白熊だけあって一年中雪が降り積もるこの国の気候が大好きであった。散々辺りを転げ回った後は雪玉をごろごろと転がしながら大きくし、自分の身長の三分の二ほどの高さの雪だるまを作る。
同じように三体作ったところで気が済んだのか、満足そうな笑みを浮かべている。小屋に入る前に用心深く身体中の雪を払っているのを見て、テナは窓を開けた。
「雪だるま三つも作ったの?」
「うん」
充分に身体を動かしたプーヴァは晴れやかな表情で返事をする。
テナは窓を閉めると、彼のためにタオルを用意して、だけれども、どうぞ、と手渡すのは気恥ずかしく、わざと乱雑に床に放った。
小屋に入ってきたプーヴァは床に落ちているタオルを見て「ははぁ」と頷く。テナがなぜそんなことをしたかなど、彼にはすっかりお見通しなのである。
彼は「ありがとう」と言ってから床に落ちているタオルを拾い上げ入念に身体を拭いてから、テナの祖母兼師匠であるマァゴが作った白熊用の衣服を身に着けた。枚数も少ないため、雪の上で転がる時には脱ぐようにしているのだ。もっとも、白熊であるプーヴァが衣服など身に着ける必要性は限りなく0なのだが、この小屋で暮らし始めた頃からマァゴにそのように躾けられたため、何も身に着けずにいると何だか落ち着かなくなってしまうのだった。
ちなみにマァゴはテナが十二歳を迎え、魔女としての基礎が身に付いたことを見届けてから、ふらりと旅に出てしまった。だから、この小屋はテナとプーヴァだけが住んでいる。
すべての家事はプーヴァが行っており、彼の作る煮込み料理はとりわけ絶品であった。
テナはしばらくプーヴァが作った三体の雪だるまを見ていたが、やがて興味を無くしたように身体の向きを変え、編み物を再開した。テナは毎日せっせと編み物をしているが、この小屋から一歩も外へ出ない彼女がそれらを使うことはない。まして、白熊であるプーヴァに必要なものでもない。
なぜこんなにも休みなく編み棒を動かしているのかというと、それが純粋に彼女の趣味であるということと、出来上がった物をプーヴァが街で売ることで生計を立てているからである。
テナの方では『作ること』が好きなのであって、出来上がった物に大して愛着があるわけでもなかったから、それがどこの誰のものになろうと構わないらしかった。それに、それらを売った金は彼女を喜ばせる美味な料理へと変わるのだ。天秤に掛ければどちらに傾くのかなど、考えるまでもなかった。
「あっという間に九月だね」
ぼちぼち昼食の準備に取り掛かろうと、プーヴァがキッチンへ向かう。その途中で壁に掛けられたカレンダーをちらりと見た。
「道理で風が冷たいわけだ」
風の冷たさは日常的に外に出ているプーヴァにしかわからない。ここにはテレビなんて便利なものは無く、外の気温を知らせてくれるものなど無いのだ。
「プーヴァに風の冷たさなんてわかるの? そんなにフサフサの毛皮に覆われてるのに」
「僕をバカにしてる? わかるに決まってるじゃないか」
テナの小馬鹿にしたような物言いに、プーヴァもまた同様のトーンで返す。これくらいの応酬は日常茶飯事である。
「僕はやっぱり『厳しい冬』の方が好きだな。気温が低くて、キリッとしてて」
この国には二種類の冬がある。
四月から九月の『暖かな冬』と十月から三月の『厳しい冬』である。
『暖かな冬』といっても、最高気温はマイナスの日ばかりだし、雪もどっさりと積もる。ただ、『厳しい冬』と比べて多少気温が高く風が弱いことと、晴れの日が多いというだけである。
「あたしはどっちでも良いかな。でも、ポトフに入るキャベツは『厳しい冬』の方が好きだわ」
「ああ、それは『厳冬キャベツ』だよ。『暖冬キャベツ』よりもちょっと固いんだけど、煮込み料理にぴったりなんだ。甘みも強いし」
「季節でそんな違いがあるの。プーヴァって物知りね」
「何年主夫やってると思ってるんだい」
そう言って、真っ赤なエプロンの紐を後ろ手で器用に蝶結びしながら得意気に胸を張る。
「お昼は何?」
「暖冬キャベツのコールスローサンド」
「やった。それも大好き」
テナは指をぱちんと鳴らして顔をほころばせた。
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