二人きりの生活にほんの少しの刺激を(それが劇薬じゃないことを祈りつつ)。

客人No 5 再びやって来た男

5-1 十七歳の魔女

 その国は、季節が二種類の冬しかない。


 四月から九月の『暖かな冬』と、十月から三月の『厳しい冬』である。どちらの冬も、雪はどっさりとつもり、いくら『暖かな冬』と言えども、最高気温はマイナスだったりする。あくまでも『厳しい冬』と比べて日差しがやや強いというのと、風が弱い日が多いというだけなのである。


 そんな銀世界の国のうんと北の方には『魔女の森』と呼ばれている小さな森がある。

 そこは、たとえばぶらりと散策するようなところでもなく、ただただ葉の細い木がたくさん生えているだけという、何とも面白味のない森であった。


 ただ、『魔女の森』と呼ばれるからには、相応の理由があるわけで、つまり、その森には魔女が住んでいるのである。


 もちろん、迷信だとか、伝説とかではない。


 森のちょうど真ん中あたりにある、ぽつんと小さな小屋(というよりも、この森にはその小屋しかないのだが)。それこそが、魔女の小屋なのである。



 ここに住んでいる魔女は、百歳を優に越えたしわくちゃの老婆で、耳と鼻は三日月のように尖り、ヒッヒッと厭らしい笑みを浮かべる口元からはボロボロの黄色い歯が覗いている。

 その小屋の中で日がな一日何をしているのかというと、大きな鍋でぐつぐつと魔法の薬を作っているらしいのだが、どうやらその材料は生きた人間らしい。その人間達というのは、愚かにも興味本位でその小屋を訪ねた旅人がほとんどだが、訪ねてくる者がいない時は、彼女が自ら人間を調達しに行くのだという。

 それは決まって満月の晩で、彼女は箒にまたがり、夜更かしをしている子どもを見つけては片っ端から攫っていく。

 だから、満月の夜は遅くまで部屋の灯りを点けていてはならない。



 というのが、この国でベストセラーになっている絵本の内容である。


 もっとも、親達の方では、満月の夜に限らず、もしかしたら今夜魔女が来るかもしれないなどと怖がらせて寝かしつけるらしいのだが――



「こんっなの嘘よ! ウソウソ! あたしまだぴっちぴちの十七歳だし!」


 魔女のテナはそう言って忌々しそうにその絵本を閉じると、居候のプーヴァが淹れてくれたカフェオレを一口啜った。それはほぼホットミルクと呼べそうな代物だったが、それでも彼女の方から「もう十七歳だし、コーヒーくらい飲めるようになりたい」と言ってきたのである。


 プーヴァは大丈夫かなぁと思いながらもコーヒーとミルクを半分ずつ入れたカフェオレを渡したのだが、一口飲むなり顔をしかめた彼女を見て、慌ててミルクを追加したというわけである。


「そんなに怒るなら、読まなきゃ良いのに」


 プーヴァののんびりとした声が聞こえる。

 彼はトレイの上に二人分のチーズケーキと自分の分のコーヒーを載せて、のそりのそりと彼女の向かいに座った。そして、彼女の前に手作りのチーズケーキを置くと、その代わりに絵本を回収する。それは彼女について――もちろんあくまでも想像で――描かれた『北の森の魔女』という絵本であった。


 彼はもう何度も読んだその絵本をぱらりとめくると、どうしてこの絵本には自分のことが一切描かれていないのだろう、と少しばかり残念に思った。


 絵本の中に登場する魔女の相棒は真っ黒いカラスである。それに対して彼はどこもかしこも真っ白の白熊だ。

 人の言葉を話したり出来るのは、テナの祖母であり、師匠でもあるマァゴのお蔭である。彼は人の言葉をしゃべり、理解し、人間のように二足歩行し、衣服を着て、家事をするのだ。


「――美味しいっ!」


 テナの機嫌はケーキを一口食べて回復したらしい。幸せそうに頬を膨らませて目を細めている。それを見てプーヴァは安堵した。


「それは良かった。そう言って貰えると、僕も作った甲斐があるよ」


 彼はそう言うと自分でもケーキを一口食べ、満足のいく味に頷いた。



 三時のおやつが終われば、プーヴァは再び家事に勤しむこととなる。


 毎日行う炊事や居住スペースである一階の掃除に加え、温室で育てている野菜や果実の世話に、必要に応じて雪かきもある。さらに、毎週金曜日は地下室の掃除と決まっているのだ。


 地下室はたくさんの書物が保管されており、その内容を考えても本来は魔女の領域であるはずなのだが、ここに立ち入るのはプーヴァだけである。


 その大量の書物の内訳は、魔法関連のものが九割で、残りは世界地図や動植物の図鑑、それから、プーヴァ用の料理本だ。図鑑は稀にテナも読みたがるので、掃除に行く際には必ず声をかけるようにしている。ちなみに、彼女が料理本に興味を示すことはまずない。


 それに対してテナの唯一の仕事といえば、日がな一日暖炉の前でぬくぬくと編み物をしたり、刺繍をしたり、たまには趣向を変えて飛行機の模型を作ったりすることで、出来上がったものはプーヴァがまとめて売りに行くことになっている。それが彼らの収入源なのだ。

 何かしらのイベント時には、それらにプーヴァの手作りスイーツをセットにして、多少可愛らしくラッピングすれば、飛ぶように売れた。


 だからプーヴァは、街へ行くたびにそのようなイベントが近づいていないか、さりげなくリサーチしている。



 そんなある日のことである。



「テナ、十字架のモチーフのものは作れないかな」


 ゴラゴラの街から帰って来たプーヴァが、模型の飛行機を作成中のテナにそう言った。彼女は少し首を傾げて「十字架ぁ?」と気の抜けた声を返す。


「そう、十字架」


 プーヴァはオウム返しにそう言って、買ってきたものを保冷庫や貯蔵庫にしまい始めた。

 テナの作った『へんしん薬』で人間の姿になっている彼は、白熊の時の高さに合わせている貯蔵庫の最上段に手が届かないのをもどかしく思った。まぁ良いか、と一段低い棚に並べて置く。


「作れるけど……。何、いま街では十字架のモチーフが流行ってるの?」


 ちょうど最後のパーツを取り付け終わり、テナはそれをそぅっとテーブルの端に移動させた。接着剤がしっかり乾くまではしばらくこのままで放置しなければならない。


 片付けを終えたプーヴァは換気のために少しだけ窓を開けてから、一息つこうと湯を沸かした。それぞれのカップを戸棚から取り出す。奥まった位置にあるキッチンからひょいと首を出して、「カフェオレと紅茶、どっちが良い?」と尋ねた。テナはひとしきり悩んでから、少し難しい顔をしてカフェオレ、と答えた。了解、と笑顔で返し、もう一つのコンロの上にミルクパンを乗せる。一人分の牛乳を注いで、火を点けた。


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