第5話 猫の前の鼠

 鍼灸治療院が見えてくると北斗は足を止めた。明かりがついていない。ゆきが先行し、中を覗き見る。人の気配はなかった。


 「……17時で終わってるんすね」


 しんくが室内にある張り紙を見て言う。それから手袋をした手で自動ドアに触れた。押し開ければ、それはゆっくりと動いた。

 ゆきがしんくの背を押す。しんくはそのまま中に入り、足音を立てずに奥へと進む。最後に入った北斗は自動ドアを閉め、ゆきに手招きされてカウンターの陰に隠れた。誰の話声も聞こえてこない。北斗は天井を見回し監視カメラを見つけたが、その画面は割れていた。柊が拳銃を使っただろうことを想像して苦い顔になる。ゆきはずっと右耳にある通信機に手を当てていた。


 「どうした?」

 「……通じてない」


 北斗は自身の通信機に手を当てた。小声でしんくを呼ぶが返事がない。しんとした空気に嫌な予感が走る。


 「おい、しんく」


 その時、カウンターの角から影が伸びてきた。北斗はしまったと思い、ゆきをかばうように立ち上がる。が、顔を出したのはしんくだった。しんくは北斗をみてニヤニヤと笑う。


 「なんすか〜?そんな深刻そうな顔しちゃって」

 「なんだしんくか。ハラハラしたぞ」


 北斗はすぐに座り直した。それほど大きくもないカウンターにしんくも無理やり体をねじ込ませる。


 「たーいーちょー、ちょっと酷くないっすか〜?通信が入んなくなったから心配して戻って来たのに。もっと寄って〜」

 「あ〜残念だがキャパオーバーだ。これ以上はゆきが潰れる。ちっとはみ出てもお前は白いからカウンターと同化して見えないだろ」

 「わぁ、俺って便利〜、なんて言うわけないっす。見つかる見つかる」

 「誰かいたか?」

 「中は誰も。でも外に」

 「はあ?バカもっと寄れ」

 「うぉっ」


 ドアが開く音がした。数人の慌てた声が聞こえてくる。


 「電源が落ちたらしい、お前も早く、あ、くそっ切れた!」

 「切れた?電波も遮断されてるのか?……ま、まさか、バレたとか」

 「ねぇやだ、に、逃げましょうよ」

 「何してんだ、早く入れよ!院長に聞かないと」

 「電波がちょっと悪いだけかもしれないし」

 「それだけじゃないでしょう!電源も落ちたのよ!わかってる!?」

 「いいから早くしろ!」

 

 ドタバタと駆けていく足音は奥の方で止まった。「早く!」と叫ぶ声が1人、また1人と消えていく。しばらくして、しんくが体を伸ばして奥を確認した。


 「行ったっすよ。はぁ、ドキドキした〜」


 しんくは壁にもたれかかると、壊れた監視カメラが目に付いて思わず笑った。


 「これは当たりかもしれないっすね」

 「しんくもそう思う?ぼくもここは当たりな気がする」

 「ゆっきーが言うなら間違いないっすわ。はぁ、ついに来ちゃったかー…」

 「でもこれってさ」

 「そうだな」


 北斗はニヤリと笑った。


 「ファミリアはこんな小さい規模じゃねぇ。分裂したことは間違いないな。尻尾をつかんだだけでも上出来だ。こっから吐かせて本拠地を探すぞ」


 しんくもゆきも頷く。

 北斗はすぐに立ち上がり、足音が消えた方へと進んだ。2人もそれに続く。


 「だが、電波は誰がやったんだ?意図的だろ」

 「柊以外に誰か来てるのかな?でも上の階から声がしないってことは」

 「地下っすか……」


 「燈夜がこなくてよかった」としんくの呟きが北斗の耳に届く。北斗は眉を下げた。数年前の記憶が蘇ってくる。錆び付いた鎖と、ひどい臭いと、自分の手も見えないほどの暗闇。初めて燈夜に会った場所だった。今でも思い出すだけで五感を持っていかれそうだ。


 「ねぇ」


 ゆきが2人を呼び止めた。


 「これじゃない?」


 振り返ると、しゃがんだゆきが床にはめ込まれた銀色の金具を押し込んでいた。カチッと音がなり、取っ手が出てくる。取っ手を引けばマンホールのように床がくり抜かれるようになっていた。


 「それか。部屋に入ったような音はしなかったからな」

 「通信遮断してる奴はどうするんすか?中にいるんすかね」

 「2人とも」

 

 床にうっすらと積もる砂を払うように撫でたゆきが顔を上げる。その顔には怪しげな笑みが浮かんでいた。


 「ちょっと提案があるんだけど……静かに聞いてね」




 ***




 だだっ広い地下道に騒がしい声が反響し、懐中電灯の明かりがチラチラと壁や床を照らす。予備電源が作動しないことに気づいた者たちがやって来たのだ。

 それらから遠ざかるようにして柊は走っていた。床を這う太いパイプを跳び越え、素早い動きで進んでいく。それなのに、全くと言っていいほど足音がしない。柊が足音を立てない走り方を体得している、というわけではなかった。ただ単純に、彼が素足で走っているというだけである。


 ————電源は落とした。脱いだ靴も、落としたな。いいか。バレてない。予備もいい。偉い奴はもっと奥か……。


 「おい!管制室がやられた!ネズミがいるぞ、探せ!」

 「……」


 一層騒がしくなる声を背に、柊は近くの扉から外へ出ようとした。が、開かない。すぐ横に箱型の装置が光っていた。電源は落としたはずだが、扉の鍵は別だったらしい。柊はすぐに管制室で手に入れたカードーキーをかざす。と、耳をつんざくような警報が鳴り響いた。


 「……」


 キーが違うみたいだ。


 「あそこだ!」


 スポットライトで照らされるように、懐中電灯の光が柊に集まった。柊は眩しさに耐えかね、腕で顔を隠す。だが、そこから誰1人として近づいてくる者はなかった。警報が鳴り止む。地下道に反響していた音も消えた。誰も動かず、話し声もない。彼らは一様に何かに怯え、尻込みしているように見えた。


 「ま、前と同じ奴か!?」


 男が叫ぶ。周囲の者に聞いているようにも聞こえたし、柊に問うているようにも聞こえた。


 ————前…?足長おじさんか?あいつになんか獲られない。その前に俺が潰す。


 かしらのことを思い浮かべながら、柊は相手の人数を数えた。さっきの警報ですぐに応援が来るだろう。その前に抜け出さなければならない。そしてそれはとても簡単に思えた。どいつもこいつも腰が引けている。これなら余裕で走り抜けられそうだ。

 柊が動こうとしたその時、1番柊に近い場所にいる男が「ひっ…」と小さな悲鳴を上げた。その声に周囲の者が驚き、後ずさる。

 

 「な、なんだ。どうした」

 「ここっ、こ、こいつ、何も持ってな……あ、明かりが、」

 「それがなん、」

 「いやぁああああああああ!!!!」


 後方にいた女の悲鳴が反響する。前にいた者たちは一斉に女を振り返ろうとするが、柊から目を離すのも恐ろしく、焦燥と恐怖がない交ぜになった表情で叫び出した。


 「何があった!!早く言え!!早く!!!」


 女は震える足に力が入らず床に崩れ、それでも柊から少しでも遠ざかろうと体を引きずる。


 「イヤイヤイヤ!!死にたくない!!死にたくないっ!!!こないで!!!もういやぁあああ……!!」

 「まさかほんとにこいつが…!!」


 叫びが交錯する中、柊に近い男は震える唇を動かし、喉から絞り出すように隣の男に言った。


 「な、何も見えないのに、明かりもないのに、う、動くんだっ。ここ、こいつ、"クモ"だ…!」


 瞬間、隣にいた男が声もなく倒れた。あまりにも一瞬の出来事だった。いつの間にか、柊がそこにいた。男の腹に拳を入れた柊が、自分を睨んでいる。

 柊はすぐに顔を背け、逃げようとする者たちを追い、蹴り倒し、意識を奪っていく。だが、男の目には柊の鋭いまなこが、たった数秒の眼差しが焼き付いて離れない。男には、絶叫しながら逃げ回る仲間が抵抗もできず倒れていく姿を見ていることしかできなかった。

 最後の叫びが消えたところで、柊は振り返り、1人立ち尽くす男に言った。


 「"クモ"って、誰だ」


 柊はそんな風に呼ばれた記憶はなかった。自分の通り名は知らないが、おそらくクモではない。かしらのことだろうか。柊は多少夜目が利く方ではあるが、何も見えないような場所ではさすがに動けない。それは数年前燈夜に会った時、身を持って体験している。柊の目は、片方だけ視力が良すぎるというだけなのだ。


 「ここの一番重要な場所に案内しろ。人のいない場所を通れ」

 「わかった、から、クモ……おれを、こ、殺さないでくれ」


 ガクガク震えながら両手を挙げる男に、柊は冷ややかな視線を向けた。


 「俺はクモじゃない。でも俺はクモを殺せるし、お前も殺せる。教えろ。クモは誰だ。お前に何をした」

 「クモ、じゃ、ない……?」

 「鍵出せ」


 男は胸ポケットからカードキーを出し、柊はそれで先ほど失敗した扉を開けた。男の懐中電灯が中を照らす。そこにコンクリートの壁はなく、治療院と同じ白い壁があった。人の気配はない。男を先に立たせ、背中に拳銃を突きつけて歩くように促す。


 「クモじゃないなら、なんで……君は、だれなんだ」

 「教える義理がない」

 「おれのことはカードキーに書いてあるのに」

 「強気だな。死ね」

 「ごご、ごめんなさいごめんなさい!もう言わないから殺さないで……!」

 「黙らないと殺す」


 「ごめんなさいぃぃ…!」とか細い悲鳴を上げ、男は縮こまるようにして歩いた。

 

 「ここはどの辺りだ」

 「た、たぶん、実験室に繋がる通路です」

 「たぶん…?死ね」


 ぐい、と背中に銃口を強く押し付けると、男は「ひぃっ、」と叫んで跳ね上がり、柊の方に体を向けた。明かりがせわしなく動き、柊は不快に顔を歪ませる。落ち着きのない男は面倒なだけだ。

 

 「まま、待ってください!お願いだから、し、死にたくないんだ」

 「役に立たない奴はいらないだろ」

 「役に立ちます、立つから…!ち、地図は頭に入ってる、ただここを歩いたことがないだけで……」

 「お前の記憶力はどうでもいい。管制室で地図は見た」

 「でっ、でもでも、ここは何度も拡張されていて、それが新しい地図とは限らないし」

 「お前の情報が新しいものともわからない。それにお前は俺をはめるかもしれない。……お前いらないな」

 「く、クモを見たのはおれとさっきの女だけだ!」

 「本当かよ」

 「信じなくてもいい…!そうじゃなくてもおれは人質になるし!べ、便利だろ?な!」

 「相田壮太あいだ そうた


 カードキーにある名前を読み上げれば、男はびくりと肩を揺らしておとなしくなった。


 「俺に人質はいらない。邪魔だ」

 「そんな、」

 「それ貸せ」


 懐中電灯を奪い取り、壁や床を照らして何もないことを確認する。


 「早く歩け。その間にもっと役に立つ命乞いの言葉でも考えてろ。邪魔をしたら殺す」


 相田は小さく唸り、冷や汗をかきながら奥へと進んだ。

 妙に静かだった。追っ手が来る気配もない。柊の頭にある地図では、確かにこの先が実験室になっているはずだった。なんの実験をしているのかは予測できないが、その周囲には人が集まっているはずだ。ネズミは一匹。たった一匹のネズミを確実に仕留めるなら、出入り口と、侵入されたくない部屋の周囲、それこそ大事な実験室に人を集める。それがいつものことだった。だが今回は少し違うかもしれない。ここの者たちはクモをかなり恐れている。


 「クモはデカいおっさんか?」

 「えっ、い、いえ。えっと……おじさんという感じではなかった、かな」

 「……」

 「あぁああの、曖昧なのは、く、暗くて、はっきり見えなかったっていうか……で、でも、声は高くもなく低くもなくって感じで、女なのか男なのかもちょっと、あああの!でも!身長はおれくらいあったと思います!」

 「何センチ」

 「ひゃ、173です。最近測ったのは覚えてないけど、いいいいやでも173です……!」

 「どこで会った」

 「あと1つ施設が、あっ、でもこれは言ったら……ああでもあのっ!も、もう潰されたんですけどそこの地下で!1ヶ月くらい前で、あの、おれもほとんど死にかけでやっと回復したばかりで記憶があいま、あのでもでもすごく細身でした!!骨かよ!みたいな!?」


 必死に役に立つ発言をしようとしているのは認めるが、焦りすぎて余計なことまで口走っている。相田はそれに気付いたようで、顔を真っ青にして口を閉じた。

 柊はというと、話を聞くのに飽きてきていた。かしらでないことは分かったが、頭を使うようなことは得意ではない。これ以上は面倒だった。


 ————ゆきに渡したい……。


 心底そう思った。



***



 地下道には怒号が響き渡っていた。気を失っている者たちの傷の確認をし、地下道から運び出す。目を覚ました者たちは口々に「クモが…」と呻いた。

 看護に回っていた女は吐き気を覚え、一度地下道から出た。懐中電灯の数が足りず、女が頼りにできるのはスマホの明かりと周囲の者たちが点けている明かりだけだった。みな忙しなく動き回り、どこにいても焦った叫び声が聞こえてくる。だが、1人になれる場所に行けばクモに会うかもしれない。女に休める場所はなかった。


 「もう、なんなの。こんなことになるなら出勤しなきゃよかった。うぇっ」

 「あっ、大丈夫ですか?」


 傾いた体を細い手が支えた。女は「ありがとう」と呟きながら壁にもたれかかる。立っているのはキツい。座れる場所を探そうか。


 「あの、座りますか?ここにいても危ないので部屋に入りましょう」

 「はぁ、暗いのはもうイヤ……」

 「そうですね…。まだ電気の通ってるところがあればいいんですけど」

 「何してるんだ!動ける奴は女でもいいから第2に行け!院長が人を欲しがってるって聞いてないのか!」


 男が怒鳴って通り過ぎて行った。女はため息を吐く。

 

 「イヤよ、あんなとこ。電気が点いてるって言ったって、いつクモが来るかわからないし。誰も行かないでしょ」

 「……私、行った方がいいですか?」

 「やめた方がいいって。管制室よ?第1に来たんだから第2にも来るわよ。そんなの男たちに任せておけばいいって」

 「管制室じゃなくても、そのあたりなら電気が点いているかもしれません。私、行こうかな。こんなところじゃとても休めないですし……実は私もちょっと気持ち悪くて」

 「でも…」

 「それに、暗いところの方がクモが来る気がしませんか?私、それが怖いんですよね……。紛れていてもこの暗さじゃわからないし」

 「ちょっと、怖いこと言わないでよ」


 思わず女はキョロキョロと辺りを見回した。このうるさく走り回る者たちが見知った者とは限らない。いつ刺されてもおかしくなかった。体がぶるりと震えた。隣にいる者のことも女は知らなかったが、顔を合わせることがない部署もあるので気にはならない。

 女は隣にいる者を見た。暗くてはっきりは見えないが、若い子であることは確かだった。肩ほどの長さのある髪は柔らかく、優しい目をしたこの子の隣はなんだか安心できる、そう思った。女は深く息を吸って、決意を固めた。


 「だ、第2、行ってみる?」

 「行きますか…?」

 「あなたも行くのよね?」

 「はい」

 「怖くない?」

 「怖いです。でも、電気があればここよりは安心できそう」

 「やっぱ、明かりは大事よね」


 2人はお化け屋敷を進むように、こわごわと歩き出した。




***



 柊と相田は1つの扉の前に着いた。その先に実験室があると相田は言う。柊の記憶したものとも一致していた。


 「先に入れ」


 柊がカードキーを使い、相田が中に入る。相田は「あれ?」と声をあげた。


 「だ、誰もいない……院長はどこに……」


 柊は拳銃を構えて、慎重に中に入る。一歩踏み出した瞬間、柊は部屋の中央にあるガラスの壁に拳銃を向けた。だが、柊はそれが何か分かるとすぐに銃を相田に向け直し、安全装置を外した。


 「お前、ファミリアか?」


 ガラスの壁の向こうには赤ん坊が1人と、5歳ほどの子どもが2人いた。赤ん坊は眠り、あとの2人はぼうっとくうを眺めている。よく知っている光景だった。白い壁に白いベッド。縛られているわけでもないのに人形のように動かない子ども。叫ぶことさえしなくなった子どもたちを、柊は知っている。


 「え、あ、あの、」


 相田は戸惑いの表情を浮かべ、首を傾げた。


 「知らないで、ここに来たんですか?」


 カチャ、と小さく音がした。相田はそれが引き金を引いた音だと気付くのに時間がかかった。銃にはサプレッサー減音器が取り付けられており、銃声が聞こえなかったのだ。そんなものがこの世にあることを知らない相田には、何が起きたのか瞬時に理解できない。頬がじわりと熱くなる。汗かと思って拭ったものは血だった。頬がうっすらと切れていることに気付き、ようやく自分が撃たれたことを知った。


 「ひぇっ……ま、まって、まって」

 「手伝え」


 柊はガラスの壁にある扉を開け、中に入った。相田は震える足につまずきながら柊のそばに行く。明かりを自分が持っていないことが恐ろしかった。いつ撃たれるのか分からないのが怖くて仕方がない。


 「ドアは閉めるな。こいつを持て」


 相田は言われた通り赤ん坊を抱き上げようとするが、ガタガタと震える腕では赤ん坊を落としてしまいそうで、ぎゅっと自身の体にくっつけるようにして抱いた。柊は「殺すなよ」と呆れたように言い、自分は2人の子どもをベッドから降ろして立たせた。


 ————つまらないな。


 ずっとファミリアに会うことを待ち望んでいた。復讐することを決めてから10年以上経っている。それなのに、嬉しくもなければ楽しくもない。戦うことは好きなのに。仕事でこんな風に思ったのは初めてだ。

 子どもの瞳は空虚だった。その腕を掴んでもこちらを見ようともしない。抵抗することを諦めた姿は、昔の自分と重なった。情が湧いた訳ではない。今までだってファミリアと関係なく子どもを助ける仕事はたくさんあった。柊がつまらないと感じる原因は別にあった。


 「……こんなものか。あんなに探したのに。もっと、何かあると思ってたのに」


 そう呟いて、気付いた。何があると思っていたのだろう。いつも通り子どもを助けて、施設を壊して、ボスに後処理をしてもらう。それだけだ。目的のファミリアだって同じこと。他にすることなんてない。何を期待しているのか。

 その時、ガラス扉が勝手に動き出したのが見え、柊は閉まろうとする扉の隙間に懐中電灯を投げ込もうとした。しかし間に合わず、ガチャリと鍵の閉まる音が響く。すると部屋の明かりが点き、8人の男女が部屋に入って来てガラス越しに柊を見た。その中には小さな子どもも1人混じっていた。


 「遠隔操作だよ。管制室は1つじゃないんだ。君はそこまで頭が回らなかったのかね?」


 一番年上と思われる恰幅のいい男がしゃがれた声で言った。「院長…!」と相田が叫び、赤ん坊を抱いたままガラスに片手をついた。助けてと懇願する目で見つめるが、院長は彼の方を見ようとしなかった。


 「君はクモじゃないね。クモは躊躇なく人を殺すと聞いているが、君はまだ誰も殺していない。それよりも、これはすごい巡り合わせだ。いつの日か同士がイジった子どもじゃないか?本当に生きていたなんて。だが、その素晴らしい研究データはどこかに消えてしまったし、私たちもそこからの一連の事件でバラバラになってしまった。私が君をここで捕まえられればまたデータを取れるんだがね、それは無理そうだ。君を殺した方がいい、私はそう判断したよ」

 「院長!おれは…!?出してください!院長!!」


 院長は壁に併設されているコンピュータの前に子どもと一緒に行き、慣れた手つきでそれを操作する。相田は目を見開き、ずるずるとしゃがみ込んだ。彼の目からは涙が溢れていた。柊に必死に命乞いをしていたのに今では声もなく泣いている。生きることを諦めたのだと、柊は思った。相田は仲間に見放され、この子ども達もまた、いらないと判断されたのだ。


 「大事なデータを無下にしてしまうのは心苦しい。でも眼帯をした子どもには注意しろと、この界隈では有名だ。まさか自分たちがつくった子に侵入される日がくるなんてね。恐ろしいものだ」


 柊はガラス扉を見て、それから天井を見上げた。分厚いガラスは拳銃では壊せない。天井には通気口があるが、おそらくあそこから毒か何か出てくるのだろう。柊に逃げ場はなかった。

 院長は子どもの手をボタンの上に置いた。


 「さあ、押してごらん。これでうるさい羽虫は死んでくれるよ」


 子どもは言われるがまま、そのボタンを押した。


 

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