粗忽長屋SF

世の中には粗忽者というやつがおりまして。

粗忽、というのは、そそっかしい、間抜け、おっちょこちょい、みたいな意味で。

江戸の片隅のある長屋に、八五郎という男が住んでおりまして、これがまたそそっかしいったらない。思い立って出かけてみればどこに行こうとしてたんだか忘れる。買い物に行けば財布を忘れる。約束をすれば話をよく聞かずに待ち合わせ場所を間違える。

そんな粗忽者なくせに、信心だけは深く、毎朝浅草の観音様にお参りに行くのを日課としておりました。


この日も八五郎は、朝から浅草へやってきますと、雷門を抜けたところで何やら人だかり。

野次馬根性を刺激され「どうしたんです?」と近くにいた人に尋ねると「行き倒れだよ」との返事。

「いきだおれ? なんだかよくわかんねぇけど見てみてぇな。よし」

八五郎は人の輪を割って入っていこうとするも、厚い人の輪に跳ね返されるばかり。

「しょうがねぇな……ちょいとごめんよ、っと」

「あ、こら、人の股ぐらをくぐっていくやつがあるか」

「あいすいませんね」

そうして八五郎が最前にたどり着くと、そこには地面に倒れた男と、それを見守る老人一人。

「とんでもないところから出てきたねあんたは……。まあいい、あんたもちょいと見てやっとくれ」

「へぇ、これがいきだおれってやつですかい。なんでぇ、ピクリとも動かねぇな」

「死んでるんだから当然だろう」

「え、これ、死んでるんす? 死んでるんだったら死に倒れじゃねぇか」

「『生き倒れ』じゃないよ……とにかく、身元がわからなくてねぇ。引き取り手もなくて困ってるんだ。顔を見てやってもらえないかね」

「見ろと言われりゃ見ますがね……っと。どれどれ」

顔を覗き込んだ八五郎の顔がさぁっと変わる。

「ええっ!?」

「どうしたんだい」

「これ、クマ公の野郎じゃねぇか」

「知り合いなのかい?」

「知り合いなんてもんじゃねぇ。俺んちの隣に住んでる奴で、兄弟同然の仲だよ。生まれた時は別々だが、死ぬ時は別々。そういう仲だ」

「そりゃ当たり前だよ……」

「当たり前の仲なんでさ」

「まあ、何でもいいよ。とにかくお前さんの知り合いなんだね。じゃあよかった」

「あん? よかった、ってお前、人が一人死んでんだぞ? さてはお前ぇが下手人……」

「面倒くさい人だねぇ。そういう事じゃないよ。この人は身元の手がかりになるものもなくて困ってたんだ。身元がわかったならよかった。じゃあ、どうしようかね。おまえさん、おかみさんにでも知らせに行ってもらえるかい」

「あー、こいつは一人者なんで、かかあはいねぇんだ」

「そうなのかい。じゃあ親類縁者は?」

「親はもう死んじまってるし、身寄りはねぇのよ」

「そうかい。じゃあ、あんたが兄弟同然の仲だというなら、あんたが引き取ってくれないかい」

「なるほど……うーん、いや、そいつは御免こうむりましょう。あの野郎、あんなうめぇこと言って持って行っちまったなんて、痛くもねえ腹を探られるのは勘弁願いてぇ」

「おかしなことを言う人だねぇ……じゃあどうするんだい」

「そうさな……今からひとっ走りして当人を連れてきますんで、当人に引き取らせるってのでどうでしょう?」

「ん? 当人っていうのは?」

「クマ公の奴ですよ。行き倒れの当人」

「またおかしな事を言いだしたね……」

「あいつは今朝も浅草行くぞっつったら調子が悪いだのなんだのしてグズグズしやがって……」

「ん? 今朝その人に会ったのかい? だったら違うよ。この人は昨日の夜からここに倒れてるんだから」

「そうなんですかい。ったくあいつは自分がこんなところでぶっ倒れてんのにも気づかずにのほほんとしやがって。とにかくぴゃーっと走って当人連れてきますんでね。も少し待っててもらえますか」

言うが早いか八五郎は勢いよくその場を駆け出す。

「ああ、行っちゃったよ。まったくおかしな人があったもんだ」

老人はため息を一つつくと、再び身元を知る人を探し始めた。


八五郎は長屋に戻ると、「おい、熊、熊!」と熊五郎の家の戸をガンガンと叩く。

熊五郎はその音と声を聞きながら、

「なんだ朝っぱらから八五郎の奴騒がしいな。熊、熊ってこんなところに熊なんて出るわけないのになぁ……ってああ、熊は俺か」

なんてのっそりと起き上がり、戸を開ける。

「どうしたのそんな慌てて」

「どうしたの、じゃねぇ。お前ぇ、そんなゆっくり朝飯食ってる場合じゃねぇよ」

「なんかあったの?」

「なんかあったの……ってお前ぇは……こんな一大事になってるってのに」

「俺、なんかしくじったかなぁ」

「大しくじりもいいところだ。いいか、よく聞けよ、さっき浅草の観音様に行ったらな、人だかりができてんだ。何の人だかりかと思ったら、行き倒れだってんだ」

「行き倒れ?」

「道端で死んじまった奴のことよ」

「それじゃあ死に倒れ……」

「細けぇことを気にするな。でよ、俺が股ぐらかき分けてその行き倒れを見てみたらよ……俺ぁ驚いちまったよ。その行き倒れてた奴ってのがな、お前だったんだよ」

「へぇー」

「へぇー、じゃねぇよこのスカポンタン。事の重大さがわかってねぇのか? お前はもう死んじまってるんだよ」

「ひでぶ?」

「秘孔とか突いてねぇよ。あーもう、いい加減なお前のことだから気づいてねぇんだろうな。自分が昨晩に死んじまってたってことに」

「変なこと言うない。俺はちっとも死んだ気なんてしないぜ?」

「ったく図々しい奴だな。お前が死んだのは初めてだろう? 死んだ気なんてわかるわけねぇじゃねぇか。まあとにかく、お前の死体引き取らなきゃいけねぇから。つべこべ言わずについてこい」

そう言うと八五郎は、熊五郎の手を引いて浅草へ駆け出した。


「ごめんよ、どいてくれ、ごめんよ」

浅草にやってきた二人は、人だかりをかき分けてまた死体の横にやってきた。

「見張ってもらっちゃってあいすいませんね」

「ああ、さっきの。どうだい、やっぱり本人じゃなかっただろう?」

「ん? いえ、連れてきましたよ、当人」

「え?」

「ええと、すみません、俺、こんなところで死んじまったみたいで……」

八五郎の横から恐縮した様子で出てきた熊五郎に、老人は言葉を失う。

「いや、ここに当人がいるんだから、これがあなたの死体だというわけはないじゃないか」

「いやいや、ほんとにこいつはそそっかしい奴でね、自分が死んじまった事に気づかずにウロウロしてやがったんですよ。おい、熊、てめぇの死体ちゃんと改めろ」

「わかったよ兄貴」

熊五郎は死体の様子を見分する。

「ああ、確かにこれは俺だなぁ。そうか、ほんとに俺ぁ死んじまったのか」

「おかしな人が二人になっちまったね……」

老人は頭を抱えるが、そんなのお構いなしに八五郎たちは話を進めていく。

「じゃあ、当人であれば問題はねぇでしょう。この死体は引き取らせてもらいますんで」

「ちょっとちょっと……」

止めるのも聞かず、熊五郎は死体を担ぎ上げると「あいすいません」と言いながら人だかりを出ていった。

その様子をぽかんとした顔で見ながら、老人は呟いた。

「にしても……本当にそっくりだったね……」

やってきた男と死体は、まるで双子のようにそっくりだった。

「不思議な事があるもんだ」



「俺、死んじまったんだなぁ……死ぬんだったらもっとパーッと遊んどけばよかった」

死体を担いで歩く道すがら、熊五郎がボヤく。

「俺もこんなに早くお前の死に目にあう事になるとは思わなかったよ。ったく道端でうっかりくたばるってのはまったくお前らしいっつーかなんつーか」

八五郎はこみ上げてくるものがあったのだろう。目元を拭うと「チクショーめ」と吐き捨てた。

「にしても、兄貴、なんだかわかんなくなってきちゃったんだけど……」

「どした?」

「俺に背負われてるこの死体はさ、確かに俺なんだけど、じゃあ背負ってる俺は一体誰なんだろう?」

「ん? そういえばそうだな……」

八五郎もさすがに気づいたようでしばしの思案顔。

「ああわかった、そういえば横丁のご隠居が言ってたが、世間にゃマルチバース理論だとかいうのがあるらしい。なんでもこの世と同じような世界がごまんとあるって言うぜ」

「そうなのか」

「ああ、どうせ普段からボーッとしてるお前ぇのことだ。別の世界のお前ぇが、ふらふらとこっちの世界に紛れ込んできてうっかりくたばっちまったんだろう」

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