犬も食わない

「いい加減にしてよ!」

今日も今日とてフユミのヒステリックな怒号が飛ぶ。

「またトイレの便座上がりっぱなしだし、お風呂の脱衣所も濡れたまんまだし!」

「うるさいなぁ…いいじゃんかそれくらい」

タイキはこれ見よがしに大きなため息をひとつついて、「いちいち細かすぎるんだよお前は」とボヤく。そんな態度が火に油を注いだのだろう、フユミの声のトーンが一段上がる。

「私がどれだけ我慢してると思ってるのよ!」

「知らねぇよ!」


結婚して5年。

ここのところずっとこうだ。

二人でいればなんだかんだと喧嘩ばかり。

結婚したてのころは、こんな事はなかったのだけど。


「ハーヤレヤレ、夫婦ゲンカハ犬モ食ワナイト言イマスガ」

そんな二人の喧嘩を横目に見ながら皮肉げにそんなことを言うのは、家庭用汎用アンドロイドN-33型。

新婚当初からずっとこの家にいて、家事など色々なことをこなすアンドロイドなのだけど、最近はケンカをする二人に呆れたように皮肉を言うようなことばかりしている。

「お前は黙ってろ」「あんたは黙ってなさい」

「エー……デモコンナジャ掃除モロクニデキナイシー」

そうブツブツとぼやく声は無視して、二人の喧嘩は続く。


今日は特にお互い虫の居所が悪かったのだろう。口論はエスカレートする一方だ。

N33型は「ハーコリャ避難シタホウガヨサソウダナァ……」なんて言いながら、洗濯物でも片付けに部屋を出ることにした。

その時だった。

怒りに任せてフユミの手から放たれた皿が一枚、N-33型の後頭部にクリーンヒットした。

想定外の衝撃に、バランスを崩してしまうN-33型。机の角に頭をぶつけて派手な音を立てながら、床に沈む。

「あっ」

慌てて駆け寄る二人。

N-33型は、床の上で完全に動きを止めている。

もしかして壊れた……? と二人が心配する中、すぐに「ピピッ」という電子音が鳴った。

どうやら衝撃に対する保護プログラムが走って緊急回避的に電源が落ちたただけで、壊れたりはしなかったようだ。


「アレ、ドウカナサッタンデスカ、オ二人トモ」

再起動したN-33型は、むくりと起き上がると、怪訝そうな表情で二人の顔を交互に見ていたが、床に散らばった皿の破片に気づくと、

「アレ、皿ガ割レテル。片付ケマスネ」

そう言って、箒とちりとりを手にテキパキと片付け始めた。


「アア……コノオ皿ッテ、先週オ二人で買ッテコラレタモノデスヨネ……」

「え?」

妙に悲しげに言うN-33型。でも、割れたのはもう何年も使っている皿だ。

「私ニ修理ノ技術ガアレバ直シテ差シ上ゲラレルノニ」

「いや、直すほどのもんじゃないし……」

「イエイエ、ダッテ『イイノガミツカッタネ』ッテアンナニ嬉シソウニサレテタジャナイデスカ」

「ん……?」

N-33型の様子がどうもおかしい。口調も違うし、言う事も変だ。

割れたこの皿を買ったのは、新婚ほやほやの頃、つまり5年くらい前のこと。先週ではない。

「ホントニ羨マシイデスヨ。奥様愛サレテテ。昨日ダッテアンナ綺麗ナオ花ヲ」

にこにこしながら言うN-33型。

そういえば、この皿を買った頃、タイキが花を買ってきた事があったっけ。

つまり――

「記憶喪失……みたいなものか?」

「……みたい」

どうやらさっきの皿の衝撃で、ここ数年で学習した内容が消えてしまったらしい。

N-33型は皿の破片を片付けながら、新婚の頃の二人を相手にするように、喋り続けた。


結婚して、新居を構えたばかりの頃に買ったこのN-33型。

そういえば、あの頃のN-33型はこんな、時々ちょっと過剰に思えるくらい丁寧な喋り方だったんだっけ。


あれから5年。

N-33型の口調は、すっかり変わってしまった。

皮肉げにからかうような物言いや、不躾で遠慮のない態度。

二人の間に喧嘩が増え、N-33型の前でグチグチと言ったりしたせいで、きっとあんな風に変わってしまったんだろう。


新婚の頃。あの頃は、本当に幸せでいっぱいだった。

N-33型のこの口調を聞いているだけでもわかる。

互いが互いを想いあい、どうやったら喜ばせることができるかを考えていた。

穏やかで、優しい時間が流れていた。


それが今はどうだ。こんな喧嘩ばかりの日々。

そういえばあの頃、「喧嘩をしても仲直りできる二人になろう」って、そんな約束をしたはずじゃなかったっけ――


二人は顔を見合わせ、フユミは少し恥ずかしげに、タイキはどこか気まずそうに頭を掻いた。


翌日。

「オヤ、今日ハヤラナインデスカ? 犬モ嫌ガル大バトル」

学習データがバックアップから無事復旧され、皮肉げな口調に戻ったN-33型に

「うるさいよ」「うるさいわね」

そう言う二人の顔には、どことなく柔らかな笑みが浮かんでいた。

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