悪魔

「ちょいとそこのお前さん」

フード姿の見るからに怪しそうな男が、通りかかった若者に声をかけた。

「なんですかいきなり」

あからさまに不審なものを見るような目で応じる若者。

「いや……別に怪しいものでは……あるんだが」

「あるんだ」

「まあ、悪魔だからな」

「悪魔ですか。へー」

値踏みするような遠慮のない視線をぶつける若者。その目は明らかに信じてない。

まあ、さすがに「俺は悪魔だ」とか言われてそれを素直に信じる奴がいるとしたら、それはそれで人としてヤバい。

「何か証拠とかあるんですか?」

若者が半ばからかうような調子で言うと、

「証拠か……そうだなぁ」

男はしばし思案して、フードを取ってその額から伸びたツノを見せた。

すると若者は「へぇ~」と言いながら、そのツノを眺めたり、なでたり、ツンツンしたり。

挙げ句の果てには折ったり取ったりできないものかと叩いたり力を入れたりするものだから、悪魔のほうはたまらず「痛っ」と声を上る羽目になった。

「遠慮とかそういうのないのな……」

まったく今時の若者怖い、と涙目になりながら思う悪魔。しかし若者のほうはそんな反応は全く意に介さない様子。

「なるほどちゃんと生えてますねこのツノ」

「し、信じてもらえたかな」

「まあ、ツノがあるくらいで悪魔だって信じるかと言われれば……信じないですけど」

「じゃ……じゃあ、この目と尻尾ではどうだ」

悪魔はその猫目のような独特な虹彩を持った目や、どことなく爬虫類っぽい尻尾を見せた。

「んー、こだわりのあるコスプレイヤーだったらそれくらいのものは用意しますよね」

「ぐぬぬ……じゃあ、ええと、この翼とか……」

必死に食い下がる悪魔。そんな様子を冷めた目で見ながら、若者は言う。

「まあ、いいですよ。信じます。なんか必死っぽいんで」

「そ、そうか」

「必死な人の言葉は聞いてあげなさい、ってひい婆ちゃんが言ってたんで。で、何の用すか?」

「悪魔とする話って言ったら、決まってるだろう」

悪魔の目がギラリ、と鋭くなる。

「えーとなんだろ。笛を吹くんでしたっけ」

「地味に古い話知ってるんだな……じゃなくて、お前の願いを叶えてやる代わりに、寿命を少しいただく、そういう契約をしようって話だ」

「あー、聞いたことある。なんか古臭い話によく出てくるやつですよね」

「古臭くて悪かったな……で、どうだ、何か願いとかないのか? あれば叶えてやるぞ? もちろん寿命はいただくがな」

「ふーん」

「どうだ?」

「願いって言われてもなぁ……」

思案顔になる若者。

「蹴落としたい奴がいるとか、金が欲しいとか、女が欲しいとか……何でも叶えてやるぞ」

「うわっ……何ですかその黴臭い価値観」

「……」

「だいたい今時願いなんて大抵叶うし、寿命売ってまで叶えたい願いなんてあると思います?」

少し嘲るような調子を含んだ若者のその言葉に――


「……わーってるよ」

悪魔は少し苛立たしげにそう吐き捨て、頭を掻いた。


そう、今や誰もが皆幸せに生きている。生老病死の苦もなく、不安や不満を持つ機会も少ない。

願ったことはAIなどがうまく調整してくれてだいたい叶うから、誰かを恨むとかそんな気持ちになることもない。

そんな世界で、わざわざ悪魔に魂を売ってまで叶えたい願いを持つ人間がいるほうがおかしい。


わかってる。そんな事はわかってる。もうとっくに悪魔なんていうものは、必要のない存在だ。

寿命を売ってくれる人間なんて、現れるわけがない。

でも、仕方がないのだ。悪魔なのだから。

寿命でも魂でもなんでもいただかなければ、干からびて死んでしまう。

だからこうして真っ昼間から、ダメ元でもなんでも寿命を売ってくれる人を探し回るしかない。

ほんの僅かな可能性に賭けるしかないのだ。


「……ま、どうせそう言うだろうとは思ってたからな」

悪魔は「またダメだったな」とでも言いたげに肩を落とすと、力のない笑みをその顔に浮かべた。

そんな様子を見ていた若者は、しばし思案顔になった後、言った。

「ふーん。じゃあ、いいですよ。寿命取っても」

「え……?」

その返答にはさすがの悪魔も驚きを隠せない。

「わ、わかってるのか? 寿命取られるんだぞ?」

「どうせ寿命長いし。多少の寿命取られたところでどうせ死にたい時に死ねるでしょ」

「な……なるほど」

確かに今の人間の寿命は長い。寿命を残して自らの意思で死ぬ人間も多い。

「これも人助け……いや、悪魔助けって言うんですかね、こういう場合」

飄々と言ってのける若者。

「ま、ひい婆ちゃんも困ってる人は助けておけって言ってたし」

「そうか……いや、くれるというならありがたくいただくが。しかしいいのか本当に……」

「いいですよ」

若者はなんともあっさりと、悪魔と契約した。


「で、お前の願いは何だ」

「そうだな……じゃ、悪魔さんが幸せに天寿を全うできるように、ってことで」

「お前……」

悪魔は泣いた。色んな意味で泣いた。

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