長老
その集落に着いた時、研究者はなんとなく嫌な空気を感じた。
ここは南米、ジャングルの奥地。
文明の発達した現代では数少ない、いわゆる「未開の民族」の暮らす集落。
彼らにどうにか渡りをつけ、文化人類学研究のためにと訪れたのだが――
「なんか、ヤバそうですね」
「ああ……もしかしたらマズい時に来てしまったのかもしれない」
同行の助手の言葉に応じる研究者。
どうも、集落の雰囲気がおかしい。人々の表情がどことなく暗く、生気がない。何か嫌な予感がする。
しかし、ここまでやってきて何もせず手ぶらで帰るわけにもいくまい。
意を決して研究者が集落に踏み込むと、奥から他の者より艶やかなボディペイントをした男がやってきた。
「お前が研究者か? 俺が族長だ」
驚いた事に族長の言葉は流暢な英語だった。
「研究者のジェイだ。英語が喋れるのか?」
「ああ。英語の一つも理解できなければ、我々の部族で族長にはなれん」
どこか誇らしげな笑みを浮かべる族長。
「話は聞いている。我々はお前たちを歓迎する。好きなだけ滞在して調べていくといい」
「協力痛み入る」
予想以上の歓迎の言葉に研究者が頭を下げる。が、
「――だが、少しタイミングは悪かったな」
族長はそう続けた。
その表情は、先ほどと打って変わってどこか暗く重苦しい。
なるほど、やはりこの集落には何かが起こっているということか。
「どうしたんだ?」
「――疫病だ」
「ひどいっすね……」
「ああ」
族長に集落を案内されながら周囲を見回すと、集落のそこかしこで、病気に臥せって苦しげに呻く住民が目につく。
事態の深刻さを、否が応でも痛感させられる。
「とりあえずこの状況をどうにかしないと、研究どころじゃないな……」
「ですね」
幸い、研究者は仕事柄、多少なら医学の心得もある。
医療診断用の機器は一通り持ってきているし、この辺りで流行りそうな病気の薬を作れるだけの用意はある。
研究者は族長に許可を取り、床に臥せった病人を診せてもらうことにした。
「ファアサ病だな」
数人の診断を終え、研究者は呟いた。
「え、それって昔に猛威を奮ったっていう、致死率の高い病気っすよね」
「そう。まあ、今では簡単に治る病気だけどな」
ウィルス性の病気で、空気感染はしないが、唾液なんかを通じて感染する。
きちんと衛生管理された現代的な社会ならともかく、こういった民族では感染も広がりやすいだろう。
「治療はどのようにしているんです?」
族長に尋ねてみると、サリニールという植物を薬として与えているという答えが返ってきた。
その植物について端末で調べてみると、なるほど10年ほど前までファアサ病に最も有効だとされていた成分を含んでいる。
「きちんと診断はできてるし、少し古いが治療法は伝わってるんだな……」
だが、それでは完治できない。ファアサ病の完全な治療方法が確立されたのは8年前だ。その治療法まではさすがにこの部族には伝わっていないらしい。
「その方法では治せない。これは今ではもう治る病気だ。治療を任せてもらえないか?」
研究者が尋ねると、族長は首を横に振った。
「なぜ?」
「長老がそれをしろと言った。長老の言う事は絶対だ」
「長老……?」
族長によると、この部族には族長とは別に、長老と呼ばれる人がいるらしい。
なんでもその長老はこの世界の誰より物知りで、何か困りごとがあった時に尋ねると、何でも解決してくれるそうだ。
これまで長老の言うことが間違っていたことはなく、それゆえ長老の言う事は絶対なのだ、と。
「なるほど……」
確かにこの病気をファアサ病だと正しく診断できているし、少し古いながらも正しい薬を処方できている。
こんなアマゾンの奥地にあって、これだけの知識を持っているのは驚きだし、皆がそんな長老の言う事を絶対視するのもわかる。
しかし、だからといって目の前で苦しむ人々を放置するわけにもいかない。
それをどうにかできる手段を持っているのだから尚更だ。
「その長老に会わせてはもらえないか」
「それは難し……いや、お前たちなら、大丈夫か」
「……?」
「長老は不思議な人で、英語しか喋れないのだ。だからこの部族で俺とあと数人以外は、長老とは話ができない」
なるほど、族長がやたら英語に堪能なのは、そういう事情か――
「だから、お前たちなら大丈夫だ。だが、一つ大事な決まりごとがある」
「なんです?」
「長老の姿を見てはいけない。長老の姿を見た者は、気が狂って死ぬ」
「見たら死ぬってマジっすかね」
「さあな。でもそう言うのならそれなりの理由があるはずだし、見ないに越したことはないだろうな」
そんな事を言い合いながら、長老の家に向かう。
長老の家は、集落の奥まったところにポツンとあった。
中に入ると、薄暗い部屋に、目隠し用だろう、一枚の御簾のよう仕切りがある。
長老はどうやらその向こう側にいるらしいのだが、どうにも人がいるような気配はない。
少し戸惑いつつも、研究者は声をかけてみることにした。
「はじめまして、研究者のジェイと申します」
「ジェイさんですね、はじめまして」
さほど間を置かずに返ってきたのは、「長老」という言葉からイメージするのとはまるで違う、女性の声だった。
「ん……?」
この声は、どこかで聞いた覚えがあるような……。
研究者は心のどこかにひっかかりを感じつつも、しかし今はその違和感を追究している時ではない。
「今この集落で蔓延しているファアサ病についてなんですが」
「はい」
「長老は、サリニールという薬草を処方されていますよね」
「その通りです。それが治療に最適です」
「今は完治できるもっと新しい薬があるので、それを使うように集落の皆さんに伝えてもらえませんか」
「情報の訂正をご依頼ですか?」
「依頼というか……提案なんですが」
「申しわけありません、訂正は受け付けられません」
「どうしてですか?」
「情報ソースが見つかりません」
長老は、きっぱりと断った。
「ダメみたいっすね……」
横にいた助手が残念そうにつぶやく。
しかし、研究者のほうはこのやり取りで何かにピンときた様子。
どこかで聞いたことのある声だと思ったら……なるほどそういう事か。
「じゃあすみません、少し確認いいですか」
研究者はそう言うと、いくつかの質問と確認を繰り返し始めた。
「まず、あなたについてなんですが……」
それは、傍から聞いていると何をやっているのかよくわからないやり取りだった。
だが、研究者が一通りのやり取りを終え、あらためて
「ファアサ病の治療のしかたを教えてください」
と尋ねてみると、長老はたしかに最新の治療法を答えてくれた。
「よし、これで大丈夫だな」
どこか愉快そうな表情の研究者が言う。
その横でまるで何も理解できない様子で表情いっぱいに疑問符を浮かべる助手。
「えっと……先生一体何のやりとりしてたんですか? 設定がどうとかパスワードがどうとか言ってましたけど……」
「あの仕切りの向こうにいるのはな、AIスピーカーだ。ちょっと型は古いやつだけどな」
「えっ……ああ……なるほど!」
「で、俺の端末からネットワークにつないでデータを最新のに更新しておいた」
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