投げ銭
それは、この街に珍しく雪が積もった日の朝のことだった。
髪型がまとまってくれなくて、少し家を出るのが遅れた私は、滑って転ばないように気をつけながら、でもできるだけ早足で学校に向かってた。
まあ、こんな雪の積もった道じゃ危ないし、自動運転のコミュニティバスとか使ってもよかったんだけど。
でもやっぱりこういう特別な日は自分の足で歩いてみたい。
で、ようやく雪道にもちょっと慣れて、公園の横を通りかかった時だった。
なんとなーく車道のほうに違和感を感じて、そちらに視線を向けると、そこにはこちらに向かって走ってくる車。
その前方に……一人のおばあちゃん!?
「あ、危ない」
そう思うより先に、体が動いていた。
車道に出て、おばあちゃんをかばうように立つ。
するとその動きで緊急回避の仕組みがうまく動いたんだろう。
車は急ブレーキをかけ、ちょうど背中に触れるか触れないかくらいのギリギリの位置でなんとか止まってくれた。
車のほうは、運良く荷物を運ぶ自動運転の車だったみたいで、人は乗ってない。さっきの急ブレーキで誰かが怪我したりとかそういう事はなさそうだ。まあ、中の荷物はちょっと大変な事になってるかもしれないけど。
おばあちゃんのほうは、車の急ブレーキに驚いたのもあるのだろう。少し身をこわばらせながら、
「道を渡ろうとしたんだけどね、この寒さで足がよう動かんくなって…ありがとうね」
と感謝することしきりだ。
「いえいえ。とりあえず道の真中じゃあぶないから、渡りましょうか」
そう言っておばあちゃんを歩道までエスコートする間も、「本当にありがとうね」と何度も繰り返しお礼を言われた。
まあ、人を助けたっていうのは、気分としては悪くない。
でも、なんかちょっと照れくさいので、「ごめん、遅刻しちゃうから行くね」と、その場をそそくさと離れた。
自動運転の車が事故を起こしそうになるなんて、本当に滅多にあることじゃない。
やっぱり滅多に積もらない雪の中だと、滅多に起こらないような事が起こったりすることもあるのかな。
そんな事を考えながら、いそいそと歩を進めていると、スマート端末から「シャリーン」という、鈴を鳴らしたような音がした。
端末を見ると、コネココインの投げ銭を受け取ったっていう通知が表示されていた。
「もしかしてさっきの、誰かが見てたのかな」
ここ何年か流行ってる、仮想通貨。
受け渡しに手数料がほとんどかからないから、ソーシャルサイトなんかで投げ銭として、感謝とか応援の気持ちを表す意味で少額を渡す、みたいなことによく使われている。
その中のコネココインっていう通貨で、少し前から目の前にいる見ず知らずの人にも、投げ銭をすることができるようになった。
相手の事を全く知らなくても、端末をその相手に向けてコインを投げれば、コインがその人に届くのだ。
なので最近は、大道芸人やストリートミュージシャンに投げ銭するとか、お店で払ったお金以上に嬉しい事をしてくれた人にチップを払うとか、そんな時によくコネココインの投げ銭が使われている。
この投げ銭も、多分さっきの様子を見てた誰かが投げてくれたんだろう。
そう思ってコネココインのウォレットを開いてみたら、案の定、投げ銭に「かっこよかった!惚れた!」っていうメッセージがついていた。額も意外と大きい。
たまにはいい事するもんだな、なんて、ちょっと嬉しくなった。
しばらくして、また端末から「シャリーン」という音がした。
今度は、直接じゃなくてオンラインから……?
「うわ……」
調べてみると、私のしたことがソーシャルサイトで動画としてアップされていて「雪で暴走した自動運転車に轢かれそうになったおばあちゃんを果敢に救ったJK」なんて見出しをつけられて、シェアされていた。
もちろん、私やおばあちゃんの顔にはモザイクが入ってるし、位置情報もない。これが私だってことはバレないようにはなってる。
でも、そうやって個人情報は特定できないようにしつつも、動画に映ってる私に投げ銭をすることのできる情報だけは、動画に残してあった。
要するにこの動画を見て何かを感じた人が、投げ銭してくれたのだろう。
まあ、悪いことで目立ったわけじゃないし。たまにはこんなことも悪くない、かも。
その後、その動画は、いろんなソーシャルサイトや情報サイトに転載されていった。
動画はたくさんたくさん再生され、その度に、たくさんの投げ銭が飛んできた。
お陰で一日中、その通知や投げ銭についてくるメッセージが気になって、全然授業に集中できなかった。
授業が終わって帰る頃になると、ウォレットにはびっくりするような額のコネココインが溜まっていた。
私は全然大したことはしていない。
たまたま雪の日に、たまたま自動運転の車がおかしくなっちゃって、たまたま私がそこにいただけだ。
それをたまたま動画に撮っていた人がいて、動画がいろんなところで転載されて話題になっただけ。
それでこんなお金をもらって、いいんだろうか。
もちろん、こうしてたくさんの人に投げ銭をもらって、嬉しくないわけじゃない。
でも、なんかちょっと……気持ち悪い。
助けたあのおばあちゃんやおばあちゃんに関係のある人から、何かお礼を言われるんだったらわかる。
でも、助けた相手でもない、どこの誰かもしらない人からこんなにも投げ銭をもらうのって……。
なんだか晒し者にされて、善意の押し売りをされているような、そんな気分だ。
それに、こんなたくさんのコインを見てると、私自身も、こうして投げ銭をもらうためにおばあちゃんを助けたんじゃないか、みたいな気持ちになってくる。そんなつもりは少しもなかったのに。
嬉しいんだけど、嬉しくない。素直に喜べない、なんだか不思議な気持ち。
私は投げ銭でもらったコインの半分くらいを、慈善団体に寄付した。
あとはいくらかを換金して、少しハイになれるって噂の違法スレスレの薬と、ほんとは飲んじゃいけないお酒を買った。
なんだかそうやって、少し悪い事をしないと、バランスが取れない気がしたんだ。
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