フラグ
ホーム内は、静かに熱く湧いていた。
きっかけは、過去に大災害をもたらしたものに匹敵する超大型の台風が上陸、というニュースだ。
ホームの外は、ごうごうと吹き荒れる嵐。
「さて、畑の作物が心配じゃ。堤防を見に行ってくるかの」
「わしは船が心配じゃから、海岸のほうを見てくるとしよう」
二人の老人が、よっこいしょと腰を上げる。
「二人とも待たんか、そんな装備で大丈夫か?」
横にいた老婆が声をかける。
「心配するな、大丈夫じゃ。ワシを誰だと思っとる」
「大丈夫じゃよ。ワシは腰痛でひぃひぃ言っとった昨日までのワシとは違うんじゃ。この程度の嵐など赤子の手をひねるようなものじゃ」
二人はそう言ってカッカッカッと笑うと、紺色の雨合羽に袖を通した。
その姿は凛とした強いものを感じさせ、どこか年齢に似合わない格好良さがある。
「ほうか。なら二人とも気をつけてな。安心せい、このホームは必ず私らで守り抜く」
「必ず……帰ってくるんじゃぞ」
他の老婆達も、そんな男たちの姿に何か感じるものがあったのだろう、口々に応援の意を示した。
「ほっほっほっ。大丈夫、わしは死なんよ。玄孫の顔を見るまではな」
「ワシはこの確認が終わったら田舎で牛を育てるんじゃ……」
二人は雨合羽のフードを目深に被ると、風雨が荒れ狂う扉の外へと飛び出していった。
「なかなか気持ちのいい嵐じゃな」
「まったく」
外に出た二人は、不敵に笑いあうと目的地へと向かって歩きだした。
目的地である畑も海岸も、ホームの目の前に広がる小さな森を抜けたその先にある。
鬱蒼と木々が生い茂るその森は、晴れの日でも暗いというのに、今日はこの荒天だ。
まるで夜のような暗さの森に、びゅうびゅうと吹きすさぶ嵐の音、そして風雨に揺れる木々の葉の音が混ざり合い、普段の5割増の不気味さを醸している。
老人の一人が懐中電灯をつけ、注意しつつ歩を進めた。
「ヤな雰囲気じゃ」
「まったくだ。ただでさえ雰囲気の悪いところに、さらにお前が横にいるというのが最悪じゃ」
軽口を叩きながら進む二人。
その時だった。
嵐のざわめきを縫って、ひとつの不気味な遠吠えが森に響き渡った。
「む、これは…」
「まずいな」
直後、ガサガサという音とともに道を遮るように現れたのは、数匹の狼。
この森には狼や熊など、危険な動物が多い。
普段なら猟銃などを持って移動するところなのだが、今日はこの嵐。
さすがにこの天候で出てくることはないだろうと装備を持たずに出たのだが、アテが外れたようだ。
「まったく、こんな嵐の日に出てくるとは物好きな奴らじゃ」
二人はため息をつくと、身構える。
狼たちは、じりじりと二人に詰め寄る。
「よし、決めたぞ」
「なんじゃ」
「ここはワシが受け持とう」
「何を言い出すんじゃ」
「ワシが奴らを引きつける。その隙ににお前は先へ行け」
「それは……」
「無事に切り抜けられたら、先の崖で一杯やろう」
そう言って、髭の老人はにやりと笑うと、腰にぶらさげたスキットルを見せ、軽く叩いた。
「お前、酒は医者に止められておったろうが…」
もう一人は呆れたように笑うと、「まあ、よかろう。では、タイミングは任せるぞ」と言って再び身構えた。
そして囮役を買って出た老人が、動こうとしたその刹那――
バリバリバリバリ、というものすごい音をさせながら、近くにひとつの落雷。
音に驚いた狼たちは、一目散に逃げ去っていった。
「なんじゃ、腰抜けめ」
「そういうお前もビクっとなっとったじゃろうが」
「うるさいわい」
「酒はおあずけじゃな」
「いい酒が飲めると思ったんじゃがなぁ…」
「お前さんの運動能力じゃ、狼にいいように噛みつかれて酷い事になったに決まっとるわい」
そんな事を言い合いながらも、どこかほっとした様子の二人。
狼に食い殺されるのは、さすがにぞっとしない。
そんなこんなで森を抜けると、今度は切り立った崖沿いの道。
この道を越えた先が、畑だ。そこからさらにもう少し進んだ先が、海岸。
「おい、そんな崖の際を歩くな」
「何をそんなに怖がっとるんじゃ、こんなのいつもやっとることじゃし、余裕じゃ、余裕」
一人が、遊び半分で崖のギリギリのところを歩く。
切り立った崖は高さにして数十メートル。踏み外して落ちればまず命はない。
さらにこのあたりの道は普段ホームへ行き来する人間しか通らないため未整備で、柵などもない。
それでもこの嵐の中、崖ギリギリのところを歩く老人。
しかし、いくら普段からやり慣れていることでも、さすがにこの嵐の中でそれをやるのは自殺行為――
「おっ?」
強い風に押される形で、老人はその一歩を踏み外してしまった。
「うぉっ」
バランスを崩し、崖のほうへ落ち込む。
慌てて体制を動かし、なんとか崖に捕まる事には成功。だが、体制があまりよくない。
「ほら言わんこっちゃない」
「う、うるさいわい」
もう一人が慌てて手を出す。だが、今にも落ちそうな老人は、その手を掴まない。
「こんなワシのようなヤツはほっといて先に行け」
「いや、そういうわけには……」
「いいから先に行け。これしきのこと、必ず這い上がってすぐに追いつくわい」
老人はそう言うが、この激しい風雨の中だ。手はずるずると滑り、もはや落ちるのは時間の問題。
「いいから手を貸せ。」
「お前に借りは作らん」
「こんな時に何を言っとるんじゃ。こんなところでお前を見殺しにしたら、お前の嫁さんに申し訳が立たん」
そう言うともう一人が無理やり手を取り、えいやっと持ち上げる。
「まったく、余計な事をしおって」
「お前に先に逝かれたら悔しいからな」
「それが本音か」
そんな事を言い合っていた、その時だった。
突如、ものすごい突風が、二人を崖のほうに押し出すように吹いた。
「なん……じゃと」
ピンチを乗り越えほっと一息ついていたところに、まったく予想外の風。
二人はなんの抵抗もできず、二人揃って崖から落ち――
(ああ…これは死んだな)
(死んだぞ、これは、ようやく)
――数十メートル下の海面に、激しく叩きつけられた。
と、その時だった。
風雨をものともせず、赤いパトランプを回しながら飛んできたのは二台の救命ドローン。
ドローンは、二人を海から引き上げると、鮮やかな手並みで全ての怪我を治療し、何事もなかったかのように去っていった。
海岸で二人並んで寝かされた状態の二人。
治療時の麻酔などの影響か、少しぼーっとした頭でどちらからともなく、呟く。
「今日もダメかぁ…」
「しっかりフラグも立てたし、今日はさすがにいけたと思ったんじゃがなぁ」
「諦めたらそこで試合終了じゃぞ」
「何年前のネタを持ってくるんだこのクソジジイ」
「うるさいわい」
「しかしなんというか、この辺のしんどい環境で生きるために体力もついてしもうたし、痛みにも慣れてきてしもうて、今から冒険に出たら世界でも救えそうじゃな」
「はっ、お前さんみたいなクソジジイに救われたい世界なんてあってたまるか」
「はっはっは、まったくだ」
「にしても……」
「ワシら一体いつになったら死ねるんじゃ」
「さてなぁ…」
未だに続く風雨の中、ずぶ濡れで荒れた空を眺める二人。
どんな病気も怪我も瞬時に治ってしまい、全ての人が圧倒的に長寿命になったこの時代。
周辺に数多の死にスポットを擁し、終の住処として人気の高いこの特別養護老人ホーム「桑島」においてさえ、多くの老人たちの死に場所は、未だ見つからない――
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