義務教育
キーンコーンカーンコーン
授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
「あー、終わったぁぁ」
教室の片隅で、男子生徒がぐっと伸びをしながら言う。
「どこまで進んだ?」
すかさず隣の男子が話しかける。
「重力の基礎とかそのへん」
「さっすが大分進んでるなぁ…。今度さ、素粒子のところ教えてくんない? 詰まってて」
「オーケー」
二人は、見たところ20代前半、というところだろうか。
さっぱり刈り上げた髪に、少し着崩したカッターシャツ姿。パッと見は新人サラリーマンのように見えなくもない。
が、しかしその胸についた名札がそうではないことを声高に主張している。
名札には彼らそれぞれの名前と、「11年生」という文字、そして「北」という漢字をシンボライズしたマークと「都立北中学校」という文字列が並んでいる。
そう、彼らは中学生。何を隠そう義務教育期間中だ。
「俺ら、一体いつになったら卒業できるんだろうなぁ」
「さぁねぇ……」
周囲を見渡せば、教室には同世代の生徒たち。同じ中学11年生のよく知る顔たちだ。
何人か転校したのを除けば、入学から今まで一人も減ってはいない。
11年間、同じ学び舎で学んできた大事な仲間たち。
11年だなんて何をそんな悠長に勉強してるんだ……と思うかもしれないが、今時中学校に11年いるなんていうのは当たり前……というか、まだまだ全然短いほうだ。
窓の外に目を向ければ、グラウンドでは体操着を着た中年の男女が体育の授業の後片付けをしているし、その横では老人たちが生物の授業の実習で畑いじりをしている。
そんな高齢の彼らだって、れっきとしたこの中学校の生徒。この中学校の現在の最高学年は105年生だ。
別に、生徒があまりに頭が悪くて、落第し続けているとかそういうことではない。
こうして長い間中学校で教育を受ける。それが当たり前なのだ。
簡単な仕事は、ロボットや人工知能など機械がすべてやってくれるこの時代。
人がやるべき仕事は少なく、あるとしてもそれは極度に複雑で知識や経験を必要とするようなものばかり。
社会に出て仕事をするためには、かなり高度な知識や技能が要求される。
そんな社会からの要請に応えるためには、義務教育レベルでかなり高度な内容を学んでもらう必要がある。
ゆえに学校の仕組みは、大きく変わらなくてはいけなくなった。
まず、勉強は基本的に個別指導の形になり、必要な事を身につけた子から順に次に進んでいく形になった。
それゆえ学年には「入学年度と年齢を表すもの」以上の意味はない。
卒業については、卒業に必要な知識と経験の量が定められ、それを得たら卒業できる、という仕組みになっている。
だから理論上は、頭のいい子ならすぐに卒業することもできる……のだけど、話はそう簡単ではない。
人工知能の発達によって、科学技術や理論などが日々更新されている。
様々なデータ解析によって、歴史までもが日進月歩で修正されていく。
義務教育レベルで学ぶべき「一般常識」というやつが、日々ものすごい勢いで更新されていくものだから、その差分を吸収するだけでも大変だ。
さらには機械や人工知能が進歩を続け、機械が人の代わりになれる領域がどんどん増えていくせいで、社会が要求する「成人」の水準はどんどん上がっていってしまっているのだ。
学んだことはすぐに古くなり、学ぶべきことは刻一刻と増えていく。
卒業に必要な知識量と経験量は、年々増え続けていき、減ることがない。
だからほとんどの学生たちは、勉強が追いつかず、なかなか義務教育を卒業することができない。
唯一とびきり頭のいい子だけが、飛び級のような形で卒業資格を得ることはあるが、その子も数年もすればまた「基礎学力不足」で学校に戻されてしまったりする。
義務教育期間が20年、30年になるのは当たり前。
それゆえ義務教育期間中に結婚するとか、子供を生むとか、離婚だのなんだのも当たり前になり、校内には産婦人科から保育園、託児所やら裁判所やら色々なものが作られるようになっていった。
実際のところ、それで都合もよかったのだ。
人のやるべき仕事がどんどん減っていき、「仕事」なんていうものがなくなっていく時代だ。
そんな世界に人を放り出してしまっては、何をしてどう生きるか、戸惑いおかしくなる人も多くなる。
学生であれば、皆「学校に行って勉強する」というやるべきことがある。
給食や様々な保健指導によって食事や健康はしっかり管理されるし、社会から孤立することもない。
一緒に学び、遊ぶ仲間がいて、皆が相互に助け合い生きる事も学べる。
部活を通して他校の生徒と競い合い、交流を持つこともできる。
遠足や運動会、学園祭、社会見学のようなイベントごともたくさんあり、アルバイトの形で仕事というものを体験する機会もある。異性との出会いのきっかけもたくさんある。
夏休みや冬休みの長期休暇もあるので、アルバイトで貯めたお金で旅行に行ったりもできる。
高度に機械技術が進歩したこの世界では、「学校」というのは人が生きる場としてとても優れた場であり、理想的なコミュニティ形態だったのだ。
◆ ◆ ◆
「みなさんに、今日は悲しいお知らせがあります」
校内のとある教室で、ホームルームの時間、学級委員長が、教室のみんなに向かって静かに告げた。
「少し前から保健室登校になっていたジェイ君ですが、残念ながらそのままお別れとなってしまいました」
「え~」
教室がどよめく。でも、多くの子達がそれを予感してもいたのだろう。「ついにか」「やはりなぁ」という声もちらほらと混じっていた。
「これからジェイ君のお別れ会をしますので、体育館シューズに履き替えて体育館に集まってください」
教室の皆が体育館に着くと、舞台には花に囲まれたジェイ君の大きな写真。
皺とシミだらけのその顔には、にっこりととてもいい笑顔が刻まれている。
「あいつともついにお別れか」
幼い頃からずっとこの学び舎で共に学んだ学友の旅立ち。一緒に作ってきたたくさんの思い出に涙を流しながら、一人の老いた子が呟いた。
「結局、あいつも死ぬまで義務教育じゃったなぁ…」
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